月を喰ろうて逝ね

津多 時ロウ

「なあなあ、ぎーちゃん。さっきの公園ってさ、公園だったよな」

「おい、藍太郎。お互い三十を越えたんだから、ちゃん付けはよせ」

「そんなこと言われたって、おいらの中ではぎーちゃんは一生ぎーちゃんなんだぜ」

「それよりも俺に何か言うことがあるんじゃないか?」

「おー、流石ぎーちゃん。さっきの公園のうどん屋で食べたカレーライスセットはさ、うまかったよな」

「あれは確かにおいしかった。……じゃなくて、お前の隣でジュースを飲んでるその子供のことだよ。その子、誰?」

「公園で拾った」


 俺こと美馬みま 義一ぎいちと、幼馴染の小松こまつ 藍太郎あいたろうは、目下のところ、中央自動車道を西進中である。

 どうして秋にもなって、おんぼろ4ドアセダンで男の二人旅を敢行中かと言えば、俺が仕事でぼろぼろになって会社から出たときに、たまたま藍太郎が前を通りかかったからだ。

 開口一番「ゾンビ社員になってるから、二人で旅に出ようぜ。秋だし」というあいつの言葉にまんまと乗せられて、ついでに車にも乗せられたという状態である。

 乗せられたというか、現在運転しているのは俺だが。


 さて、問題の件だが、バックミラーに映っているのは痩せ型で栗毛ツーブロックでお数珠みたいなネックレスで茶色のペイズリー柄のシャツで灰色のピンストライプのスラックスをお召しになっていて、ニヤケ顔の藍太郎。

 ……だけだったはずなのに、なぜかその隣に茶色のオーバーオールを着た栗毛の女の子が、紙パックのリンゴジュースを飲んでいる。シートベルトもバッチリだし、スニーカーも茶色で、後部座席は実に秋めいていた。

 違う。

 見たところ小学校低学年のややむっちりめの女の子が、どうして後部座席にいるのか。


「女の子は落とし物じゃないよ!?」


 我ながらツッコミが間違っている気がしてならない。


「堅物メガネのぎーちゃんには分かるまい」

「いや、分かんねーから」

「ちゃんと面倒をみるからいいでしょ?」

「ダーメーでーす。ちゃんと拾ったところに返してきなさい」

「それはそれとしてー、本当の話をするとー、この子さあ、諸事情あってお父さんと離れて暮らしてるんだってさ。それでさ、どうしてもお父さんに会いたいから乗せて、って頼まれちゃって、そう言われたら人としては断れないじゃん?」


 じゅごおぉ、じゅごぐごごじゅごぉぉ


 女の子がジュースを飲み終わる騒音が車内に行き渡った。


「そうだぞ。私を父のところへ連れていけ。ぎーちゃん」

「……喋った!?」


 もしかしたら、ジュースを飲む人形なんじゃないかという俺の願望は、儚くも崩れ去った。

 何がおかしいのか、藍太郎がお腹を抱えて笑っている。


「あー、それで君の名前は? お母さんはどうした? お父さんはどこにいる?」

「むー。質問が多いの」

「そうだぞ、ぎーちゃん。女の子にはもっと優しくしてやれよ」

「いや、藍太郎は黙ってて」

「ちぇっ」


 ちぇっ、とか言われてもな。


「えーっと、じゃあ、名前を教えて下さい」

「コヤス」

「ヤスコじゃなくて?」

「うん、コヤス」


 文字のつながりが不穏だったせいで、藍太郎がゲラゲラ笑っている。小学生なのか?


「お母さんは?」

「おらん」


 辛いことを聞いちゃったかな。


「……お父さんはどこにいるんだ?」

「徳島におる」

「徳島!」

「ぎーちゃん決まりだな」

「何がだ?」

「もちろん、この旅の目的地だよ。徳島で阿波踊ろうぜ!」



 *―*―*




 釈迦堂PAで運転手を交代し、後部座席には俺とコヤスという布陣である。俺は黒髪黒縁メガネ黒ズボン白シャツがデフォルトなので、後部座席の茶色一色も少しは和らいだことだろう。

 藍太郎はコヤスを楽しませたいのか、ずーと喋り続けているように見えるが、どこかで一線を引いているようでコヤスとはあまり話さない。というか、何回かボケたのに普通に返されたから、自信を無くしてしまったのかも知れない。


「やっぱ、ぎーちゃんを連れ出して正解だったわ。おいらマジ天才。もう表情なんて全然違う。この前がゾンビなら、今のぎーちゃんは干し柿だもん」

「それって良くなってるの?」

「もちろん」

「ギイチはゾンビだったのか?」

「もちろん違うよ?」


 コヤスに自己紹介をしたら呼び捨てられるようになってしまった。ちゃん付けと果たしてどちらが良かったのか。


「でもさー、ぎーちゃん。そんなに辛いなら府中の今の会社、やめちゃいなよ」

「そうは言っても、給料はいいしな。何よりも俺はお前のようにふらふらとは生きられないんだ」

「そんなこと言ったって、一度もふらふらしたことないじゃん。なんでもやってみないと分からないよ? もしかしたらふらふら特性S持ちかも知れないよ? ふらふらする勇気とか振り絞っちゃいなよ」

「そんな特性、あってたまるか」


 そう言ってまた三人で笑うのだ。


「それにしてもぎーちゃんはお父さんと全然生き方違うよねー。親子なのになんでそんなに違うの?」

「知るか。親父が適当過ぎるだけだ」


 俺の親父は国民的が付くような映画俳優だった。過去形にしてしまったが、存命だし俳優も続けている。美波みなみ 鉄山てつざんという芸名で。

 続けているのだが、愛人騒動は年に一度は起こるし、気に入らない映画からは途中降板してみたり、お酒などほとんど飲めないのに銀座の高級クラブを貸し切りにしたとか、引退宣言したのに翌日には撤回したりと、映画の全出演シーンよりもワイドショーで取り上げられた時間の方が長いんじゃないかと思われるほど、好き勝手に生きている。


「適当だけどさ、男としては憧れちゃうよねー。男だったら月を喰らって死ね、とか言ってみたいよねー」

「それ、月を喰ろうて逝ね、な」

「なんだい。お父さんと仲が悪いと思ってたのに、ちゃんと覚えてるじゃん」

「……別に。何度も言われたからな」

「そっか。……お、関ヶ原ICだ。降りるよー」


 おんぼろ4ドアセダンは、すっかりと日が暮れた町を走る。

 空には大きな月が浮いていて、その作り物めいた歪な形に、俺の目はもうどうしようもなく吸い込まれていった。

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