第22話

 健一は佐賀県、福岡県へと逃亡生活を十年も続けた。住処ごとで偽名を使い分け、実家より離れた長崎市に辿り着いた。桃代とは事実婚だったので、本名で住民票を移すのは容易かった。しかし長崎県は他県に比べて最低賃金が安いため、長崎市での生活は維持しにくかった。やがてアパートを追い出され、市に登録されている空き家に無断で住み始めた。空き家の管理にまで手が回らないのが、健一には好都合だった。そこに住み続けるためにコンビニのアルバイトを辞めた。揚げ物を扱うため、制服や髪に油のにおいが染みつくからだ。空き家にまでにおいが移ると近隣住民に察知され、住み続けることができなくなる可能性があった。そのため食品を扱わないアルバイトを低賃金で転々とした。しかし健一には金を要する趣味がないので、賃金に関しては一度も不満を抱いたことがなかった。健一は幼い少年や未成熟な少女を弄ぶことさえできさえすればよかったのだ。その趣味がやがて宇留美との再会に繋がることを知らずに。

 宇留美の激高を前に、健一は白けていた。亡き宇門と瓜二つだった少女の憎しみが醜悪に成熟していた。麗人を装っていても、やはり腰のラインが成熟した女性そのものだったことも理由の一つである。それよりも、囚人である間欲を発散することに困ることが健一を悩ませていた。宇留美から意識が逸れていたので、成人であるはずの宇留美が幼少期に戻って映っていることに気づいていなかった。

『宇留美にさえ……近づかんなら……あと一年は……生きられたとに』

 蔑みの目と、涎を垂らしてほくそ笑む唇は宇門のものだった。当時気に留めていなかった最期の言葉が健一の脳裏によみがえった。首の周りと心臓に圧迫を感じ、やがて息が詰まった。桃代と事実婚する前の調査で、一つだけ見落としていた。

 生前の宇門が、菊代はもとより先祖の誰をも超える言霊使いであったことを。

 宇門は宇留美よりも大人たちとの時間を多く確保し、菊代より言霊の訓練を受けていた。非力な自分が宇留美を守ることのできる唯一の手段であると信じて。結果として、健一は宇留美に性的な意味で触れることができなかった。

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