第6話
宇門は晴れて、しがらみから解放された。その一方で、別のストレスを感じるようになった。
悪人を逮捕する権利を失い、住民を守る新たな術を見つけられずにいたからだ。他業種に就く気にもなれなかった。
公舎を出て賃貸暮らしを始めるも、家具を買い足す意欲すら湧かなかった。適当にハローワークに通い、帰りにカフェへ寄る。カフェラテを飲むものの、目の当たりにするラテアートの面白みが分からなかった。夕方に帰宅すると、食事も入浴もせず布団の中で横になることが多かった。帰宅後に入浴することもあったが、一か月の内二十日は日付が変わってからだった。入浴するまでの間、布団の中でビーズのブレスレットを弄んだ。ブレスレットは警察官時代も制服の下から装着して一度も外さなかった。
退庁から三カ月経ったころ、洗面所の鏡を見て、宇門の髪が伸びていることに気付いた。運動不足により肩にも丸みが帯びて、成人女性としての柔らかい雰囲気が出てきた。
その姿でいること、見ることにも耐えられなかった。宇門は仕方なく理容室へ出かけた。
長崎市民の若年層は近所の理容室ではなく、浜の町もしくは住吉の美容室街に出向く傾向が強い。しかし宇門はおしゃれを追求していないので安価な理容室で十分だった。
「お客さん、
通い慣れたところではなく、気まぐれで選んだ店だった。ここならば警察官であったことも辞めた理由も問われないと思ったからだ。
「分かってます。男
「へぇ、変わっとるねぇ。そいならよかよ。今他のお客さん一人おるけど、席の空いとるけん」
理容師に案内された席の隣に、天玄が座っていた。
「ほぅ、女性のお客さんですか」
「悪かですか?」
宇門は眉間に皺を寄せて呟いた。
「とんでもなか! 職業柄、珍しいものに食いついてしまうもんで。ばってか、あなたにしてみれば失礼極まりなかですよね。すみません」
天玄は謝罪していたが、虫も殺せなさそうなはにかみ顔に宇門は苛立った。
「なら何も言わんでください。自分は、女性として扱われることが何よりも好かんけん」
「だから理容室に? あなたの言葉ば否定しとぅなかけど、別に性別に拘る必要はなかとでは? 自分の思うがまま動けるなら、そいはそいでよかとじゃなかですか」
宇門の散髪が始まっても、天玄は話し続けた。口調は店内窓際にぶら下げてある風鈴が鳴るリズムとほぼ同じだった。
「ところであなた、今お仕事は? よければうちの事務所に来(こ)んですか。今人手不足でね」
「板垣さんはうちの近くにある探偵事務所の所長さんでね。仕事の合間にこうして来てくれるとですよ。そいにしても珍しかですね。板垣さん、少なくともうちでは滅多にスカウトなんて
宇門の散髪をしていた理容師が軽快に言った。宇門は黙ったままだった。
その日は板垣に何も答えず理容室を出た。その帰りに銀行へ寄り通帳記帳をすると、宇門はもう一度理容室に戻った。家賃や光熱費の引き落としで減る貯金額が、宇門の足取りを軽快にした。
「おや、忘れ物ですか」
天玄が店を出るところだった。白髪交じりの頭髪が短くなり、生えかけだった髭も一ミリ未満に剃られていた。理容室を利用していたので当然のことだったが、宇門は男性の理容室用途を忘れていた。
「おたくでは自分に女性像を押しつけんとですよね? さっき、思うがままでよかって言ったけん」
「ああ、さっきの話ですか。それは、あなたが望むのであれば、もちろん。うちでは品行よりも実力を重視しているので。しっかり働いてくれるスタッフであれば、もちろん性別も不問ですよ」
二人は一旦別れ、その日の夕方、宇門は天玄の事務所に出向いた。息巻いて履歴書を提出するのを、剣人が天玄の隣で見届けた。剣人が雇用条件を説明する時点で、宇門とは犬猿の仲となった。
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