第3話

 宇門は十一歳のとき、妙子が運営する児童養護施設に入所した。

「青柳——宇門です」

 やはり、妙子が出迎えてくれた。膝を砂利の上に乗せて、やせ細った宇門に視線を合わせた。

「宇門ちゃん、今日からこいここが、あなたのもう一つのお家ばい」

 妙子は、訳ありの子どもが心を開けずにいる心理を深く理解していた。宇門は入所して一カ月過ぎても馴染めずにいたが、妙子は決して急かさなかった。

「他の先生がどがん言ぅても何と言っても、無理して遊ばんでよかとよ。遊びたか(たい)ときに遊べば、ね。ばってかだけど、学校の宿題は忘れんごとせんばよ」

 それを聞いて、宇門は薄紫色のランドセルを引きずり、国語の教科書を取り出して見せた。

「音読の宿題、先生の名前の要る」

 一枚のシートが教科書からこぼれ落ちた。保護者の確認印を押す欄が一つも埋まっていなかった。

そんならそれなら、私が全部聞かんばね。印鑑ば持ってくっけんくるから、ちょっと待っとかんね」

 その日を境に、宇門は妙子に少しずつ心を開いた。口が利けると知れば、施設の男児も女児も宇門を外遊びへ誘うようになった。転校先の一般生徒とは違い、施設には宇門を奇異の目で見る子どもは一人もいなかった。そのため宇門は一般生徒ではなく施設の子どもたちと行動を共にするようになった。その方が気楽だった。成長するにつれ、宇門はその心地よさの理由が分かってきた。施設の子どもは過去の出来事や、両親の名前すら知らないという理由で孤独を感じている。周囲の無意識な牙で、二度も傷つかないよう自ら強固な壁を作る。施設の子どもはその壁を壊してはいけないことを知っているので、互いの許容範囲内でやり過ごすことができる。一方で一般生徒は親の愛情を受け、親の言動を見て育つので、その言動の良し悪しを理解するより先に真似が習慣化してしまう。個人差はあるものの、大抵の場合、人の心に定着する壁を感じるのに時間がかかる。その間、壁を持つ施設の子どもたちは無自覚な牙に心を痛める。施設の子どもたちはその理屈どころか連なる言葉を知るよりも遥かに早い時期から自衛を覚える。宇門もそのようにして育った。

 十八歳になった宇門は、妙子との面談で自ら選ぶ道を宣言した。

「自分、警察官になります」

 妙子は賛成も反対もしなかった。育った環境に関係なく、なおかつ経済的に無理のない範囲で夢を叶えてほしいという願いと、自立した思考を持ってほしさからの日ごろの言動は繋がっていた。また自ら口にした未来は心底望むものか否かも自分で見極めさせるのも妙子自身の務めであると固持していたからだ。

「今は、とりあえず宇門ちゃんの思うがまま進んだらよかかもね」

 妙子は毛先の跳ねたベリー・ショートヘアを優しく撫でた。

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