<33> vs抹茶シンジケート
旅程は三日。
その二日目、ちょうど朝食が終わる頃だった。
『敵襲! 四時の方向です!』
緊急事態を告げるベルがタンカー内に鳴り響き、ヒミカも割り当てられた船室を飛び出した。
「いつ来てもおかしくないと思ってはいましたが」
「全く、気が早いったら」
どこを見てもパイプと緊急隔壁と防茶マスクドックがある船内通路を駆け抜け、回転ハンドル式エアロック扉から甲板に出ると、むせかえるほどの緑茶の匂いが押し寄せてきた。
海は美しく濁った緑色。沈んだタンカーから流れ出した抹茶が、海を染め上げているのだ。泡立つ海面では異常に多い目玉を持つ抹茶ゾンビ魚が飛び跳ねていた。
高濃度茶漬け汚染海域で通常の船舶は役に立たない。抹茶に浸食されて装備は破損し、やがて船底に穴が空くだろう。
そんな海域で十全に動ける船は世界的にも貴重。それこそ、自ら抹茶を流出させても航行できるよう堅牢に設計された抹茶タンカーぐらいだ。
……本来なら。
「ヒャッハアー!!」
鬨の声が海を渡る!
抹茶色の波を蹴立てて迫り来るのは、恐ろしいことに、救命ボートに毛が生えたような小舟の群れだ!
そこに乗っているのは、抹茶色のモヒカンを逆立てた、抹茶シンジケートの戦闘員である。
あんな小舟、間もなく壊れるだろう。水飛沫を防ぐ機構さえ無いのだから、乗組員は高濃度の抹茶に暴露し、生きて帰ったところで確実に抹茶ゾンビになる。
だが! タンカーに追いついて襲いかかることは、できるのだ!
「撃てえ!」
繰機手長の命令一下、タンカーの武装が火を噴いた。
抹茶タンカーは軍船でこそないが、生半可な海賊なら茶柱に変えられる程度の武装を有している!
甲板の縁には、弦の無い巨大弓みたいなものが据え付けてある。
繰機手がハンドルを回すと、そこから次々、光の矢が打ち出された。
まるで魔法の機関銃だ。これは『定置魔弓』と呼ばれるで、街を囲う壁などにも据え付けられるオーソドックスな防衛兵器なのだそうだ。
光の矢は恐るべき威力。
小船に当たれば一撃で破砕し、乗組員は焼き砕かれる。
しかもそれが連射されるのだ。
だと言うのに!
右に左に蛇行しながら高速接近する小舟群の動きは止まらない。
「ボロボロ死んでるのに突っ込んでくる!?」
「くそ! あいつら珈琲でラリってやがるな!」
戦闘員たちは既に理性を消し飛ばされているのだ。
旧日本軍も特攻隊員には薬物を投与していたという。
やがて、フックロープが甲板の縁に掛かった。
船員たちがこれを切り払おうとするが、とにかく数が多い。
「ぎゃあ!」
遂に甲板へ登ってきた抹茶モヒカンが、長柄の泡立て器めいた邪悪な
「全員ぶち殺せえ!!」
そう、抹茶モヒカンが叫んだ瞬間。
さっきまで命だった肉塊は、崩れ落ちた。
「あーあ! 五年と三ヶ月、二十七日か。
四つで親父を殺して以来、人生最長記録だったってぇのに、この歳じゃ多分次は更新できねえな」
セラが銀の長剣を振るい、血を払う。
抹茶モヒカンの戦い方は、基本的に、船に取り付いての船上攻撃だ。
だが甲板の守りはヒミカたちが引き受けているのだ。
「流石です、師匠」
「思ったより敵の数が多いですよ。
このままでは船員を削られます」
セラが言うとおりで、海面にはもはや鮭の遡上の如く、無数の小舟が走っている。
これは飽和攻撃だ。定置魔弓で沈めきれないほどの戦闘員を送り込めばとりあえず攻撃はできる、という考えだろう。
そして、抹茶シンジケートにとって戦闘員は使い捨てだろうが、こちらは船員を減らされ続ければどこかで身動きが取れなくなる。
「ヒミカさん、水の上は歩けますか?」
「いや流石に無理」
「右足が沈む前に左足を出すだけですが」
「いや流石に無理」
「なら私が行くしかねえか」
言うやセラは防茶マスクを付けると、ひらりと甲板から飛び降りた。
波濤が生まれた。
ジェットスキーの如き海を割る航跡を描き、セラは汚染された海面上を駆け抜ける。
そして、銀の一閃!
彼女が剣を振るう度、抹茶モヒカンの乗る小舟か、その乗組員が真っ二つになった。
「…………私、なんか変な夢見てる?」
「ほっぺつねってあげようか?」
ヒミカは唖然と、それを見るばかりだった。
「ぎゃあああ! 苦ええええ!」
「苦いけど……美味い」
「これが抹茶の味か……」
「俺たち、ずっと抹茶のために戦ってたのに、抹茶を飲んだことなんてなかったな……」
「ああ……」
「何のために戦ってたんだろう……」
海に叩き落とされた抹茶モヒカンたちは、文字通りに冷水を浴びせられた様子で、僅か、理性を取り戻す。
彼らの目には、ままならぬ人生への悲しみと、悟りの穏やかさがあった。それこそが禅の境地である。
「「「結構なお点前で!!!」」」
戦闘員たちは親指を立てながら抹茶の海に沈んでいった。
「抹茶シンジケートの下っ端は、ほとんどが、学習の機会も無かった貧民です。
彼らは抹茶を飲むほどの収入すら与えられず、使い捨てられていきます……」
「やめて……社会の悲哀とか教訓とか、あんなのに教わりたくない」
フワレの解説を聞いてヒミカは頭を抱えた。
その時だ。
突然横っ面を張られたように船が揺れ、鼓膜が破れそうなくらいの轟音が響いた。
「きゃあ!?」
ヒミカすら体勢を崩して甲板に倒れ込む。
そんなヒミカの上に、パラパラと、金属片が降りかかった。
「えっ? 何、こ……れ……」
上を見て、ヒミカは、何が起こったか分かった。
タンクの一つが欠けていた。
頭の一部をひしゃげさせ、焦がし、そこから抹茶色の煙を立ち上らせている。
何らかの強力な攻撃がタンクに命中したのだ。
「大砲!? まさか!?」
甲板の一段高くなった場所で、船長が望遠鏡を覗いている。
海の上から煙が立っていた。
まさしく砲撃したばかりの大砲みたいに、何も無い場所から煙が立っていた。
何も無い?
いや、何かがある。
波が変だ。大きな波が、妙な場所から発生している。
そして蜃気楼のように景色が歪み、それは姿を現した。
「こっ、光学迷彩ぃ!?」
「あん畜生ども、総力戦じゃねえか……」
虚空に鋼の色が付き、ゆるゆると輪郭を結んだのは……軍艦だ。抹茶タンカーと同じように金属製の船体を持ち、しかし戦闘用船舶である証拠に側面にいくつもの大砲を備えた、軍艦だった。
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