<31> サロン
サロンとは、主に上流階級の女性が主催する、私的な集まり全般のことである。
仲の良い者や、文化人、学者などを招き、知的刺激に満ちた会話をする。そうして交友と教養を深めることが目的なのだ。
サロンに集う者らの意識の高さは、皮肉や風刺の対象ともなったが、上流階級の文化の最先端を模索する場であることは間違いない。
さて、この場合ヒミカは学者枠か、お近づきになりたい枠か、まあ両方だろうか。
「どうぞ、お入りください」
談話室に入った瞬間、流石にヒミカは圧倒された。
少なくとも高校の教室ぐらいはある、決して狭くはない部屋が手狭に感じるほどぎっしりと人が集まっていたのだ。
若い女性が多い。皆が鮮やかで華やかなドレスで着飾っているものだから、月並みな表現だが『百花繚乱』という言葉がヒミカの頭に浮かんだ。そう思わされるほど、この美しさには力がある。説得力がある。
気になった点を挙げるなら……
――すっごい綺麗に痩せてる子も居るけど、やっぱり、ふくよか率が高めだわね。
そう。肥満率が高い。
この世界は50年前の第四次魔王征伐によって、人が富を手にし、社会を飛躍的に発展させたという。
社会全体が飽食を手に入れたのは比較的最近のこと。知識と経験の積み重ね無き飽食によって、社会の上層から下層まで肥満が蔓延しているのだ。
別に、痩せは美しさの絶対条件ではないのだ。太っていてもそれはそれで美しさは追求できる。彼女らはそれを実践していた。
だが不健康なのは否めないし、悲しいかな、一般論としては健康的に痩せた方が見栄えがするのも事実だった。
また、このサロンは別に、男女で席を分けるものではないようだ。
少数派ながら男性も居る。
枯れ木のような老人が特に目を惹いた。ヒミカは顔を見ても誰だか分からなかったが、周囲に気を遣われている様子からして、超VIPの雰囲気だった。
「皆様こんにちは、ご機嫌よう!
私の名はヒミカ・ホージョー……ええ、どうかこの場では、そのように」
ヒミカが挨拶をすると、クスクスと笑いが漏れた。
いつぞやヒミカを嘲笑した貴婦人方のような悪意に満ちたものではなく、秘密を共有する仲間同士の、甘美で好意的な笑いだ。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。
私が本日、この場で皆様にお聞かせ致しますは、ダイエットのお話。
美しさには様々な形がありますが、健康も、また美しさです。
健康的に痩せる、もしくは体型を維持することで、美しくなる技について! お話し致しましょう」
流石に下品な喝采や指笛は無く、ヒミカは上品な拍手と(主にご令嬢方の)燃えるような視線によって迎えられた。
「助手X、資料配って」
「かしこまりました」
「あら可愛い」
仮面のタキシードコーギーがレジュメを配って回った。
「さて、皆様!
適度な運動と食事によって健康が保たれる、ということに関しては、まず頷いていただけると思います」
「運動とは、たとえば、テニスでもよろしいのでしょうか」
「テニス! よろしい、素晴らしい運動です。
……まあ、運動についてお話しするのはまたの機会といたしまして、本日は食べ物のお話をしようと思います」
既に幾度かレクチャーを経験しているが心がけているのは『ゼロから』『分かりやすく』『順番に』だ。日本では当たり前に誰もが持っていた前提知識も、ここでは通用しない。そして、人が一度に理解できる情報には限りがあるのだから、限られた時間の中で何をどれだけ話すかが重要だ。
動画の構成を考えるのと似ている気がした。
「食べ物には種類があります。
まずはエネルギーの分類からです。
第一に、穀物や果物、甘いお菓子の材料である『炭水化物』。
これは身体を動かす最も基礎的な栄養で、また、頭脳の力となるものです。物事を考える力の源ですから、これを取らなければ眠くてぼーっとして、何も考えられなくなります。
皆さんが毎食、パンを食べる事には理由があるんです」
「続いて、料理に使う油や、肉の脂から成る『脂質』。
これは大変、扱いが難しいです。油物ばかり食べていると太ります。なぜなら、脂質は炭水化物の倍以上の力を持つ、非常に効率の良いエネルギーだからです。余ったエネルギーが贅肉になってしまうことはお分かりですね?」
「では脂質は取らない方が良いのか……いいえ、必要です!
皆様のお肌、髪のツヤ! これは身体から出る脂によって、水分が保たれているために生まれます。自分が脂を出すためには、まず口から取り入れる必要があるのです」
「そして最後に、豆類や、油以外の肉に含まれる『タンパク質』。
これは極めて重要です。身体を構成する肉の源になります。
常に適量を摂取しなければ、筋肉が徐々に痩せ細り、骨と皮ばかりのみっともない痩せ方をしてしまうでしょう。
ただし、これを肉から摂取しようとすると、大抵は脂質が付いてくるので注意が必要です」
かつて作っていた動画よりも、むしろ大学で受けた講義を思い出してヒミカは説明した。
聴衆は実に熱心だ。
聴衆の大多数を占める女性陣は、皆、美しくなることに貪欲だ。それは貴族としての務めでもあるのだ。そして最新の知識を得ることは権勢の証、サロンに集う者らの自尊心のよりどころでもある。
「重要なのは、このバランスです。
摂取する栄養は多くても少なくても……ええ、ハッキリ言いましょう。早死にします。
反対に、長く生きられるよう身体に適正な食事をしていれば、健康になれます。
そして健康は美しさに通じます!」
「それはどの程度必要なんです?」
「必要な栄養量は体重と、生活の中でどの程度動くかによって変わります。
肉体労働……を、する方はこちらにはいらっしゃいませんね。激しい運動をしない方なら、一日に必要な炭水化物は、実はこのパンが3つ分くらいです。
脂質とタンパク質は、そうですね、こうして手を器にしたときに乗る程度、お肉を食べれば十分ですね」
「たったそれだけですの!
で、では野菜は? 先程の三分類には含まれておりませんでしたけれど……」
「野菜はあまりエネルギーになりませんが、身体の調子を整える効果がありますので、積極的に食べましょう。いくら食べてもいいくらいです。エネルギーを取り過ぎず、お腹を満たせますからね。
……ああ、野菜の中でも、芋は炭水化物、豆はタンパク質です。これらは食べ過ぎないよう気をつけてください」
「これを見るにぃ……栄養とは、三種類だけでは、ないのだな?
どのようなものが、あるのじゃ?」
「その他の栄養素に関しては……すごく種類が多いんです。また後ほど説明します。とりあえず、ビタミンCだけは覚えておいてください!
果物や果汁に含まれる栄養素で、風邪を引きにくくなる他、日焼けへの耐性を高め、シミが出来にくくなりお肌の美しさを保つんです。
これは主に果物に多く含まれます」
こんな場所に集まるだけあって、聴衆は切れ者ばかりだ。自分が何を知らないか理解する力がある。ゼロから教えたはずなのに、既に聴衆の中で栄養学が形になり始めていた。
質疑応答にも熱が入り、たけなわ、というところでフワレがベルを鳴らした。
時間だ。
このサロンは時間を決めて開かれている。そして社交シーズンの貴族たちは時計に繋がれている。人によっては次の予定があるのだから、オーバーはできないのだ。
「おっと! もうこんな時間ですね。
名残惜しいですが、続きはまたの機会と致しましょう。
ご清聴、ありがとうございました」
日本人のクセでお辞儀をしそうになったが、こちらの文化では王女たるもの容易く頭を下げてはならぬ。
可能な限りエレガントに両手を広げる所作で講演を締めくくると、惜しみない熱烈な拍手が沸き起こった。
「チャンネル登録・高評価、よろしくね」
万雷の拍手に紛れて、ヒミカは呟いた。
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