<13> vsスタンピード
魔物。
それは、人類の殺害だけを目的に魔王が作り出したという、異形の存在の総称。
あるものは獣であり、あるものは生物ですらなく、あるものは人の如く知性を持つ。
この世界の人々は常に魔物の脅威に晒され、それと戦うことで、生存可能領域を広げてきた。
だが、こうして人の国のど真ん中でも、度々魔物による被害は発生するのだ。
少なくとも北海道で熊が暴れるよりは頻繁に。
この堅牢な神殿は、避難所でもあるのだとフワレは言った。
窓は不自然に小さいし、考えてみれば正面玄関の扉など、地獄の釜の蓋を持ってきたような分厚い金属製のものだ。
それは全て合理性と必要性を持って設計されたものだったのだ。
「規模がでかい!
村の若い
「分かりました。
こちらも準備をしますので、避難誘導を!」
「おい、裏口塞げ! その箱だ!」
礼拝堂に四人が降りていくと、早くも避難者が集まり始めていた。
全体的にゆるい格好の人々が多い。荷物も持たない者が多い。
寝ていたところを鐘で叩き起こされて、真っ直ぐ神殿に逃げてきたのだろう。
「お手伝いできることは!?」
「……巡礼の衆!
神聖魔法は使えますか? 怪我人の手当をお願いします!」
「では私が」
「神聖魔法じゃなくていいなら、私も治療できます!」
セラとフワレが仕事を買って出た。
丁度そこへ怪我人がやってきた。
村に来たとき、土塀の門の櫓に、弓を背負って詰めていた門番の青年だ。
「くそ! しっかりしろ!」
「なんだよ、あんな魔物見たことねえ……」
彼の片腕片足は、あまり直視したくない状態で真っ赤になっていた。
担がれてきた怪我人は、そのまま礼拝堂の床に寝かされる。
「≪
「わ」
ヒミカは小さく感嘆の声を上げた。
どう考えても全治数ヶ月、三十針くらいは縫うであろう重傷だった。
だが、セラが怪我人に向かってロザリオをかざすと、暖かな金色の光が湧き出して、見る間に傷が塞がっていくではないか。
「すっごい。傷が治ってく……」
「魔法を見たことないの?
本当に別の世界の人なんだ」
回復魔法に驚くヒミカ。
回復魔法に驚くヒミカに驚くメルティア。
ちなみに巡礼団の一員ながら、メルティアは回復魔法など使えないらしく、見ているだけだ。
「その傷、何の魔物にやられました?」
「いろいろだ……家ほどデケえイノシシだの、そこの姉ちゃんよりデケえ熊だの」
「例えに使うな!」
「袋叩きにされそうなとこ、引っ張り出されたんだ。なんで生きてるのか分からん」
命が助かったはずなのに、まだ生きた心地がしない様子で、門番の青年は息も絶え絶えに言う。
「……ねえ、フワレちゃん、これ大丈夫なの?」
「こんなもの、王宮騎士団が派遣されるレベルの
下手したら神殿に逃げ込んだ人さえ危ないかも……」
まさかこの世界ではこんなことが日常茶飯事なのか、とヒミカは思ったがフワレは首を振る。
これは異常事態なのだ。
「きゃっ!」
その時だ。
重い衝撃が神殿を揺らし、天井から塵が降ってきた。
シャンデリアが揺れて鎖をジャラ付かせ、どこかで棚から皿が落ちて割れた。
何事かと外を見れば、半開きの扉の向こう、村の広場に異形の影がある。
「嘘でしょ」
本当に、家のようにデカいイノシシが居た。
遠近感が狂ったのかと、ヒミカは二、三度目をこすったが、やはり間違いない。
家のようにデカいイノシシが居た。
こいつが神殿の壁に突進を仕掛けたのだ。
「やべえ、閉めろ閉めろ!」
「もう
神殿の扉は、外に向かって観音開きになる格好だ。
それを村人たちが慌てて引いた。
閉まる寸前、こちらに猛進してくるイノシシの姿があって。
「うひゃあ!?」
ゴズン、と重い金属音。
分厚い扉が大イノシシの突進を防いだ音だ。
だがその重厚な扉すら、僅かに内側に歪んだ。このまま何度も攻撃を仕掛けられたら、隙間をこじ開けられるか蝶番が吹っ飛ぶだろう。
「早く
「待て、うちのお袋がまだ……」
「言ってる場合か、俺らまで死んじまうぞ!」
神殿の門には大急ぎで閂が懸けられた。
これでしばらく時間が稼げるだろう。だがそれは、まだ神殿に逃げ込んでいない大多数の村人が見捨てられるということである。
かの『三匹の子ブタ』の物語で、わらの家と木の家は狼によって簡単に吹き飛ばされ、レンガの家を作った子ブタだけが生き残った。
では、こんな重量級の神殿すら揺るがす大イノシシを相手に、村人たちの家は吹き飛ばされずに済むだろうか? 答えは火を見るより明らかだ。
「……フワレちゃん。食べ物は持ってるわね」
「ヒミカさん、まさか!」
「やることなんて、一つでしょ」
大ブタは戦いの覚悟を固めた。
* * *
ヒミカは鐘撞き堂から広場を見下ろしていた。
ミックスベリーのカップケーキは実にもったりとしてロイヤルに甘い。具材の果物はそれぞれに違った色とりどりの甘酸っぱさを醸し、それがバターの甘塩っぱさと絶妙なハーモニーを奏でている。金とカロリーに糸目を付けていない味だ。
こんな重いお菓子、二つ三つ食べるのは無理だと思ったのに、いざ食べてみれば甘さと油みがギリギリ嫌にならない絶妙なラインでまとめている。
何カロリーなのか計算したくも無い……いや。仮に何千カロリーだったとしても、今はそれを摂取せねばならぬのだ。
「確認だけど、フワレちゃん」
大イノシシの姿は無い。すぐには扉を破れないと見て他所へ行ってしまったようだ。逆にそれはまずい。どこか他所で被害が出るということを意味する。
今、神殿前の広場に居るのは、巨大な狼が六匹ほどだ。
「あいつら、殴ったり蹴ったりすればちゃんと倒せるのよね?」
「はい。見たところ物理的攻撃を無効化するような魔物は居ませんね。
ただし気をつけてください。あの狼……
「大丈夫。ランク4ってのがどれくらいヤバイか、私知らないから。
……フワレちゃんはイノシシの方、お願いね」
「了解しました。ご武運を」
ヒミカは六つ目のカップケーキを飲み下し、そして鐘撞き堂から飛び降りた。
「頭上注意だぁーっ!」
「ギャヒッ!」
まずは一撃。
狙い違わず眼下の狼を踏み潰して着地!
何本もの骨をへし折り、内臓を潰すグロテスクな感触が足下から伝わる!
これはただの質量攻撃だ。チート無しでも狼は潰せただろう。
だが、少なく見積もっても十メートルの落下でヒミカがダメージを受けていないのは、チートパワーで身体が守られているからであった。さもなくばヒミカも足の骨が砕けていただろう。
仲間を潰され、残り五匹の狼が身構える。
神殿の壁際に居るヒミカ目がけて殺到し、等間隔に取り巻いて包囲した。
ヒミカは両腕を身体の前に構える。
その手には神殿のカーテンが幾重にも巻き付けられていた。警察犬の訓練で、犯人役が付けている防具のような状態だ。
「ウォウ!」
「ガアア!」
まずは二匹が同時攻撃。
訓練されており、何者かの合図を受けたとしか思えないほど息が合っていた。
灰色の巨体が、爪と牙を剥きだし、ヒミカに飛びかかる。
それをヒミカは腕で受けた。
狼どもはカーテンをものともせず、爪を立て、食らいつく。
「いっ……!」
外見以上の威力だった。
カーテンの防御ごしでも腕の骨を潰されそうな重圧だ。狼の牙がチートの加護を突き破り、肉に食い込む!
だがヒミカも怯んでいる場合ではない!
「……っの、野郎!!」
痛む腕を自ら引き寄せ、腹の贅肉を潰しながら、狼の頭を膝に叩き付けた。
膝蹴りだ。
「ゴフォ!」
「ギペ!」
生物が上げてはいけない類の悲鳴を上げ、狼どもの頭がひしゃげた。
「……リスナー受け狙いで習ったキックボクシングが、こんなとこで役に立つなんてね」
ヒミカは、血の滲んだカーテンアームを構え直し、残った狼どもに向かって歯を剥いてみせる。
ダイエットと言えばキックボクシング、という謎の奇襲が日本では一部界隈に存在する。ヒミカもそれに乗った。あくまでも運動としてやっていたので基礎動作を習った程度だが、チートの怪力あらば必殺技たりうるのだ。
狼どもは残り三匹。
まず二匹を食いつかせてヒミカの動きを封じ、その隙に残りがトドメを刺す構えだったようなのだが、ヒミカが捨て身で迅速に先鋒狼を始末してしまったので攻撃しそびれたようだ。
だがそこで、惰性で攻撃を仕掛けるのでなく、踏みとどまり様子を伺ってくるのがかえって不気味だった。
「ウウウ……」
「えっ?」
そして次の瞬間、狼どもは一斉に転進した。
かなわないと見て逃げたのか。
……そう、ヒミカは一瞬思ったが、違った。
「う、うわあああ!」
「子ども!?」
悲鳴が上がった。
神殿の扉が既に閉ざされていることを知らぬまま、闇の中を神殿に向かって逃げてきた、村の子どもがそこに居たのだ。
「させるかあ!」
ヒミカは大地を揺るがし、駆けだした。
がら空きの背中を晒す狼目がけて狙いを定め、踏み切る!
「ヴォア!?」
ヒミカの巨体が、渾身のドロップキックが、狼をへし折り踏み潰した。
だがまだ狼は二匹残っている。
そしてそいつらは、仲間が潰されたのも構わずに、少年に食らいついた。
「いぎええええ!! あああああああ!!」
断末魔。
そんな単語がヒミカの脳裏にちらついた。
こんな、魂を引き千切られる音みたいな悲鳴を、ヒミカは聞いたことがなかった。
「こら! 馬鹿狼ども!
こっち向け! こっちの方が肉が付いてて美味そうだぞ!」
ヒミカは叫ぶ。だが狼はもはや、ヒミカに見向きもしない。
カーテンの盾も振りほどき、ヒミカは拳を握り合わせ、少年に食らいついた狼めがけてダブルスレッジハンマーを叩き込む。狼は声も無く絶命した。
そして、最後の一匹は。
すぐ隣で仲間が死んでもまるで気に留めず、少年の身体に爪を立て、その脇腹を食い破った。
――こいつら……! 私に殺されたとしても、その間に別の一人を殺そうとするの!?
ぞっとした。
魔物は、魔王が人を殺すために作ったという。
生き物ならこうするだろう、という常識が通じない。目の前の一人を殺せるなら、命を捨てることすら厭わない。ヒミカが手強くて倒せないなら、殺せる獲物から狙うのだ。
「こっ、このっ!」
全力のヒミカチョップが、六匹目の狼の頭蓋を叩き割った。
後に残されたのは、もはや叫ぶこともできず倒れ伏し、しゃくり上げるような呼吸をする血まみれの少年だ。
――まだ生きてる……!
一秒後に生きている保証は無い。
だが、まだ少年は生きていた。
抱え上げ、神殿に運び込もうかヒミカは迷った。
だが、動かして大丈夫な状態なのか分からない。神殿が掲げる照明がぼんやり届くだけだが……脇腹をあばら骨ごとぶっさかれた少年は、正視に耐えない状態だ。
「セラさん!
来てください、重傷者です!!」
ヒミカは叫んだ。
今なら神殿の周りに魔物は居ない。出て来ても大丈夫だろうと判断したのだ。
意外に早く、扉が開いた。
そして扉が開ききらぬうち、隙間からぬるりと、老シスターが飛び出してきた。
「そこですね!?」
「はい!」
良かった、助かったと、ヒミカは安堵しかけた。
ずんと、突き上げるように、地面が揺れて。
「ん?」
近づいてくる。
ヒミカより遙かに重い、足音が、徐々に、徐々に徐々に徐々に大きく!
「バモオオオオ!!」
機関車の汽笛みたいな鳴き声が上がって、広場の外縁の家をなぎ倒し、その瓦礫を撥ね除けて、巨大イノシシが姿を現した。
牙は片方折れていて、毛皮のあちこちが黒く炭化して禿げる重い火傷を負っている。
それでも、狂乱するイノシシは止まることを知らず、ちゃちな石畳を踏み割り猛進する。
神殿の扉へと。
今まさにそこから出て来た、セラへと。
「セラ、さ……」
ヒミカの言葉が、喉につかえた。
あと三歩、二歩、一歩。
そして、大イノシシは真っ二つになっていた。
皮も骨も肉も内臓も全て正中線で綺麗に両断され、泣き別れ、突進の勢いそのままに、神殿正面玄関の両脇にぶつかって血と臓物をぶちまけた。
「…………えっ」
何が起こったのか、ヒミカには全く分からなかった。
大イノシシの魔物は、セラを踏み潰すところだった、はずで。
「訳ありの令嬢を預かる、修道院やら巡礼団……
魔物や悪漢に狙われ、呪いまで掛けられるのが私たち。
鼻歌で賛美歌歌いながら、死線の一つ二つくぐれなきゃ、やってらんないよ」
セラは血の雨を浴びながら、銀色に輝く長剣を斜めに払い、刃の血をふるい落とした。
そう。
信じられないことだが、この状況を見れば、何が起こったかの答えは一つだ。
セラが、この巨大イノシシを、一太刀で斬り捨てたのだ。
剣を抜く瞬間すらヒミカには見えなかった。
「ああ、でも歳には勝てねえな。
若い頃は擦れ違う一瞬で三枚におろせたってぇのに」
「…………聖職者って刃物NGなんじゃ?」
「そりゃ、どこの流儀です?」
すっかり混乱しきったヒミカは、見当違いの感想しか言えなかった。
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