戴逵2  放達はクソ

戴逵は後に會稽かいけいえん縣に移住した。その性分は高潔であり、禮に則った振る舞いを心掛け、いわゆる放達な振る舞いをクソなものであるとして憎んでいた。そのため自著でこのように記している。


「親が今にも死にそうなときに薬取りと称して家に戻ってこないものは不仁の子であると言えよう。君主が危地にあるときに今にも関所抜けをしようと外に出ている者は逃げ腰の臣下であると言えよう。対して古の人はこうした名分を犯すことが決してなかった。何故であろうか。こうした名分の本質を知っていたからであろう。故にその振る舞いに迷いもなかったのである。

 思い出すのは元康げんこうの人、すなわち恵帝けいていの時代に放埒の極みを尽くしていた人物たちのことである。彼らはただ政に関与せぬことにばかり憧れを覚え、そうした行動がなんのために生じていたか、なぞと考えることもなかった。本質を捨て去り些末ごとにのみ囚われ、実質をかなぐり捨ててその場限りの名声を追っただけの行動にすぎぬ。

 春秋しゅんじゅうの昔、絶世の美女の誉れ高かった西施せいしがその憂いの故に眉をしかめていたところ、みなが美しいから、とこぞって真似をした。後漢ごかん末の名士であった郭泰かくたいが折からの雨に打たれ頭巾が曲ってしまったところ、郭泰のやっていることだからとみながこぞって頭巾を曲げたという。これらはあくまで余人への追従にすぎず、本質としてそれが美なることであると感じていたから、ではない。あくまで憧れのあの人に近付きたいから、でしかないのだ。

 また孔子こうしは「紫が朱を乱すのが許せぬ」と仰っている。これは中間色が純色を侵すさまを憎んだお言葉であったが、しかし最終的に紫は朱色であるかのごとき顔をする。孔子は別のところでこうも仰っている、故郷の者に対して阿ることを調和の手立てだと語るものこそが徳を乱すのだ、と。

 ならばこうも言い換えることができるだろう。放埒な振る舞いこそが到達したものの振る舞いだと勘違いする者たちは、道義を乱す振る舞いにほかならぬ、と。すなわち竹林七賢らの放埒な振る舞いは「憂いがあったから眉をしかめていた」のだが、元康年間の名士さま(笑)は「大した徳もないのに頭巾を折り曲げて徳があると思い込んでいた」のだ、と」




逵後徙居會稽之剡縣。性高潔,常以禮度自處,深以放達為非道,乃著論曰:

夫親沒而采藥不反者,不仁之子也;君危而屢出近關者,苟免之臣也。而古之人未始以彼害名教之體者何?達其旨故也。達其旨,故不惑其跡。若元康之人,可謂好遁跡而不求其本,故有捐本徇末之弊,舍實逐聲之行,是猶美西施而學其顰眉,慕有道而折其巾角,所以為慕者,非其所以為美,徒貴貌似而已矣。夫紫之亂硃,以其似硃也。故鄉原似中和,所以亂德;放者似達,所以亂道。然竹林之為放,有疾而為顰者也,元康之為放,無德而折巾者也,可無察乎!


(晋書94-2)




元康之人

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054886757618

おそらくはここで言う「中朝名士」のこと。ここに王衍が混じっている以上、石勒が「中華を争乱に巻き込んだのはそれもこれもてめーらがだらしねえせいだろうが!」で一絡げになってしまっても仕方がない人たちです。と言うことはここから先、いまの中央の名士さまたちを中朝名士と同レベルの存在としてぶった切る、になっていくんでしょうかね。楽しみです。

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