范弘之7 桓謝王との不調
「きみは
私は幼きみぎり、我が仰ぐべき祖父上
あの頃の私はただ我が身の存亡にばかり目が行ってしまい、国家の謀にまで思いが至らなかった。しかしこうしてきみに宛てた筆を執るにあたり、覚えずして気付かされたのである。上を仰げばこの御国を守り通したいと道義心を示す臣下がまるでおらぬことへの怒りを覚え、次いで祖父や父がこうした者たちにその進退を損なわれた恨みへのに思いを馳せていたことに。ならばどうして私がきみなぞとともに赤心を打ち明け合い、天下運営のために手を携え合うことなどできようか!
私の父は確かに君のお父上の官吏となった。あの土岐お国は未曾有の危地にあったが、保身なぞついぞ考えず、ただお国をこそ見上げ、心底の憤り、嘆息を口にしあった。かつての親たちと同じような間柄に、きみとなれるとは到底思えんのだ!
昔、
范弘之の言葉はとにかくストレートであり、いくら忠義が大きく表に示されているにせよ、結局
足下不能光大君此之直志,乃感溫小顧,懷其曲澤,公在聖世,欺罔天下,使丞相之德不及三葉,領軍之基一構而傾,此忠臣所以解心,孝子所以喪氣,父子之道固若是乎?足下言臣則非忠,語子則非孝。二者既亡,吾誰畏哉!
吾少嘗過庭,備聞祖考之言,未嘗不發憤衝冠,情見乎辭。當爾之時,惟覆亡是懼,豈暇謀及國家。不圖今日得操筆斯事,是以上憤國朝無正義之臣,次惟祖考有沒身之恨,豈得與足下同其肝膽邪!先君往亦嘗為其吏,于時危懼,恒不自保,仰首聖朝,心口憤歎,豈復得計策名昔日,自同在三邪!昔子政以五世純臣,子駿以下委質王莽,先典既已正其逆順,後人亦已鑒其成敗。每讀其事,未嘗不臨文痛歎,憤愾交懷。以今況古,乃知一揆耳。
弘之詞雖亮直,終以桓、謝之故不調,卒於餘杭令,年四十七。
(晋書91-12)
劉歆
王莽政権に参与したが息子を殺されたため決起するも失敗、自殺している。つまり范弘之は桓温を王莽になぞらえている、となるだろうか。ちょっと無理筋なんだよなあ范弘之さんの論、さっきから。宮廷の中に引きこもって儒ばっかり修めて名分だけでくっちゃべる頭でっかちさんにしかどうしても見えない。いや正論と言えば正論だと思いますよ? 儒林伝にその言葉がきっちり残されるだけのこともある、とは思います。ただ時勢的にはどうにもなあ。
たぶんこれらの言葉って、当時の歴史と言うよりも
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