范弘之2 宜諡曰襄墨公

范弘之はんこうしによる謝石しゃせき批判の続きである。


「いにしえの統治者たちが風俗を正し、人倫を整えるに当たっては、節約、儉約以上に資するものがないと知っておりました。このために管仲かんちゅうが建てた三歸台さんきだいは批判の種となっており、晏嬰あんえいがとことんまでに倹約を突き詰めたことは美名として伝わるのです。

 近年、北地の脅威がひとまず退けられたこともあってか、再び風紀の紊乱が目立つようになり始めております。贅沢好みはとどまるところを知らず、廉恥の心も失われ、我も我もと貨殖を競うような有様については、そうした風潮の根本を叩き、絶やさねばなりません。

 かん文帝ぶんていは慎ましやかな黒い服を常に身にまとっておりましたが、諸侯らはなおも贅沢好みでありました。武帝ぶていもまたきらびやかな小物入れの袋を面前で焼き捨てると言うパフォーマンスをうちましたが、結局奢侈好みの風潮は収まっておりません。これらはいくら倹約の美徳を高らかに掲げ、罰則にて締め付けようとも意味がなく、道理道義を高らかに示しさえすれば、おのずと刑罰の運用も必要なくなることを示しております。もし道義心に違えた振る舞いに罰が下され、その惡事を批判することが普通のこととなれば、四維しい、すなわち礼儀廉恥も再び確立され直すことでしょう。

 以上のことを踏まえ、諡法しほうに則れば、謝石の立てた功績を鑑み、因事有功の諡「じょう」を、その貪欲さを批判する意味で貪以敗官の「ぼく」を組み合わせ、襄墨公じょうぼくこうと諡すべきと考えます」


最終的に襄公とのみ諡されたのは、謝石伝でも書いた通りだ。


范弘之はまた、殷浩いんこうにも諡を授けるべきだ、と論じた。これは桓溫かんおんによって私人に落とされていたことに由来しており、晋としてもこれを追認していたのだが、それは結局の所桓温が簒奪をなす謀略の一環であった以上、国の公的な承認とは言い難い、という理由であった。




先王所以正風俗,理人倫者,莫尚乎節儉,故夷吾受謗乎三歸,平仲流美於約己。自頃風軌陵遲,奢僭無度,廉恥不興,利競交馳,不可不深防原本,以絕其流。漢文襲弋綈之服,諸侯猶侈;武帝焚雉頭之裘,靡麗不息。良由儉德雖彰,而威禁不肅;道自我建,而刑不及物。若存罰其違,亡貶其惡,則四維必張,禮義行矣。

案諡法,因事有功曰「襄」,貪以敗官曰「墨」,宜諡曰襄墨公。

又論殷浩宜加贈諡,不得因桓溫之黜以為國典,仍多敘溫移鼎之迹。


(晋書91-7)





正論パンチで殴るおじさんだ! 「若存罰其違,亡貶其惡,則四維必張,禮義行矣。」の理屈オンリー白面書生ぶりはおさすがにござるという感じでしたが、それにしてもズバズバ切りまくってて爽快です。こうしたノリが范弘之さんにはまだまだ続きます。引き続き楽しみです。

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