魏詠之  況百日邪

魏詠之ぎえいし、字は長道ちょうどう任城じんじょうの人だ。代々貧しい家の生まれで、農業に精を出しながらも倦まず学問にも打ち込んだ。


生まれながらにして唇の上に縦に裂け目があり、うさぎのような口元をしていた。あるとき人相見に見てもらったところ「あなたはやがて富貴の身となりましょう」と言われた。18 歳のとき、荊州刺史けいしゅうしし殷仲堪いんちゅうかんのもとに魏詠之のような口元の人間を治療することに長けた医者がいると聞く。しかし貧乏暮らし、到底刺史にお目通り叶うような装いなど準備できない。なので家族に言う。「この醜い顔で富貴になれたとて、どれだけ活かせようか!」そうして數斛米もの米を借りてもらい、それを手土産とし、殷仲堪のもとに馳せ参じた。


米の贈り物が効いたか、殷仲堪との目通りが叶う。ともに語らえば、殷仲堪は魏詠之の意気盛んなさまをたちまち気に入り、医師を呼び、診察させた。

医師は言う。

埋め合わせも可能でありましょう。ただし百日は粥のみの暮らしとなりますぞ。笑い、語ることも叶いませぬがよろしいか?」

魏詠之は言う。

「生涯の半ばを語れずとも、残りの半生にて語ること叶うなら治療に値しましょう。いわんや、百日なぞ!」

殷仲堪は魏詠之に専用の庵を与え、医師にしっかり治療するように、と命じた。治療期間中、魏詠之は本当にまともに口もきかず、ただ薄がゆのみをすすり、百日を耐えきった。その自制心の凄まじさたるや、斯くの如し、である。やがて手術痕が回復すると、殷仲堪は手厚い援助を魏詠之にもたらした。


殷仲堪のもとで荊州主簿けいしゅうしゅぼとなった。それより以前、桓玄かんげんのもとに出仕するため出向いたことがあった。桓玄はその気力や発想力が鈍かったことを理由に魏詠之を軽んじ、同席していたものに言った。

「凡庸な思考が見事な身体に宿っておられる、まぁ大成はなさるまいな」

こうしてなしのつぶてで追い払われていた。


魏詠之は早い段階で劉裕りゅうゆうと親交を結んでいた。桓玄が簒奪をなすと、桓玄打倒の謀議に参与した。

桓玄が敗れると建威將軍けんいしょうぐん豫州刺史よしゅうししとされた。桓歆かんいん歷陽れきように攻め寄せてきたため、魏詠之は兵を率い撃退した。


義熙ぎき年間に入ると、征虜將軍せいりょしょうぐん吳國內史ごこくないしに昇進。間もなく荊州刺史けいしゅうしし持節じせつ都督六州ととくろくしゅうとされ、南蠻校尉なんばんこういを兼ねた。


魏詠之は低い身分のときにも貧しく卑しい身であることを恥じることがなかった。やがて貴顕となっても、その立場に驕り高ぶることもなかった。こうしたふるまいのゆえに殷仲堪の食客に過ぎない立場からたちまち貴顕にまでなりおおせたのだ、と人々に讃えられた。荊州赴任後、間もなくして死亡した。


詔勅に言う。

「魏詠之はその広き器を内に秘め、的確に局面を見抜き、あたら出しゃばることもなく、多く同志を推挙した。その忠誠心はまこと王宮の記録に刻まれるべきである。その統治においても、また多くのものに恵みをもたらした。こうも早くその死に巡り合わねばならぬと、なんとも慙愧に耐えぬ。太常たいじょうを追贈し、散騎常侍さんきじょうじを加えるべし」


その後劉裕の決起に協賛した功績から江陵縣公こうりょうけんこう、食邑二千五百戶に追封され、桓と諡された。


弟の魏順之ぎじゅんし琅邪內史ろうやないしとなった。




魏詠之字長道,任城人也。家世貧素,而躬耕為事,好學不倦。生而兔缺。有善相者謂之曰:「卿當富貴。」年十八,聞荊州刺史殷仲堪帳下有名醫能療之,貧無行裝,謂家人曰:「殘醜如此,用活何為!」遂齎數斛米西上,以投仲堪。既至,造門自通。仲堪與語,嘉其盛意,召醫視之。醫曰:「可割而補之,但須百日進粥,不得語笑。」詠之曰:「半生不語,而有半生,亦當療之,況百日邪!」仲堪於是處之別屋,令醫善療之。詠之遂閉口不語,唯食薄粥,其厲志如此。及差,仲堪厚資遣之。初為州主簿,嘗見桓玄。既出,玄鄙其精神不雋,謂坐客曰:「庸神而宅偉幹,不成令器。」竟不調而遣之。詠之早與劉裕游款,及玄篡位,協贊義謀。玄敗,授建威將軍、豫州刺史。桓歆寇歷陽,詠之率眾擊走之。義熙初,進征虜將軍、吳國內史,尋轉荊州刺史、持節、都督六州,領南蠻校尉。詠之初在布衣,不以貧賤為恥;及居顯位,亦不以富貴驕人。始為殷仲堪之客,未幾竟踐其位,論者稱之。尋卒于官。詔曰:「魏詠之器宇弘劭,識局貞隱,同奬之誠,實銘王府;敷績之效,垂惠在人。奄致隕喪,惻愴于心。可贈太常,加散騎常侍。」其後錄其贊義之功,追封江陵縣公,食邑二千五百戶,諡曰桓。弟順之至琅邪內史。


(晋書85-22)




任城と言えば曹彰、曹丕の弟、曹植の兄が封じられていた地名なんですよね。そう言うところにいた魏姓の侠客とか、まぁ妄想が止まりません。大体にしてここで書かれる「斛」って単位、ン百キログラムレベルの量の食糧です。こんなんを輸送できちゃう時点で、ゴミカス家門なはずがないんですよ。最低でも地主レベルの資産持ちでしょう。


けど、晋書は魏詠之をゴミカス家門からの立身であると強調したがってるんですよね。


まあ中央政権人から見れば地方土豪なんぞ誤差範囲内のゴミクソなんだろうなあとも思います。思うしかない。けど、そうやって「問題外の雑魚」であることが敢えて史書に残された任城魏氏、ではどこまで侮っていい家門なんでしょうね。まぁ、めんどくさいのでとりあえず侮っとくと楽よね。

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