短いもの置き場

伊東黒雲

名前の由来

「ぼくはきみのことがすきだ。きみはぼくだけのものだ」

「わたしはあなたのことがすき。あなたはわたしだけのもの」

「「それじゃあ、みんなをころしにいこう!」」


 そういうわけで私たちは殺した。絞め殺した。刺し殺した。殴り殺した。毒で殺した。槍衾で殺した。機関銃で殺したガスで殺した戦車で殺した核爆弾で殺したあらゆる色のない薔薇で殺した。七十七夜の空にかかる七十七本の虹で殺した。一千の嘘と一万の本当で殺した。九十九億の愛で殺した。憎しみではただの一人も殺さなかった。


 皆殺しの旅は本当に幸福だった。私たちがふたりきりになるためだけに世界はあり、私たちがふたりきりになるためだけに時間はあった。


 最後の一人がバン・アレン帯の縁で音のない白鳥の歌をうたって死ぬと、ついに私たちはふたりきりになった。私たちはかつてないほど静かな海で、静かに肩を寄せ合っていた。

 もうすぐ赤ちゃんが生まれるのだ。私たちは私たちだけのものになり、幸福は星の上ではち切れんばかりだ。恐ろしいほどの祝福。その祝福によって、私たちはもうすぐ私たちだけのものでなくなる。

 さて、どんな名前をつけようか?

 わたしたちの幸福を、まさに幸福として吹き飛ばしてしまうこの子に。

 わたしたちのハッピーエンドを、スクリーンの裏側から突き破って生まれてくるこの子に。


 私たちは一千の本当と愛で一千の名前を考え、一千の本当と愛で一千の名前を選ばなかった。

 私たちはさびしくなってしまった。けれど、ふたりで死のうとは思わなかった。この子を殺そうとは思わなかった。

 わたしたちの幸福を、不幸として吹き飛ばしてしまわないために。

 わたしたちのハッピーエンドを、蛇足で壊してしまわないために。

 けれどそれで何かが変わるわけでもなかった。毎日のように朝日は朝日で、夕日は夕日だった。

 

 私たちがさびしさにも疲れ果てた頃、海の向こうから無数の黒い粒が迫ってくるのが見えた。波に洗われながら、その一粒一粒が砂浜に打ち上げられ、やがて立ち上がる。

 私たちの父と母が立ち上がる。私たちの兄弟姉妹が立ち上がる。親戚一同立ち上がる。友人たちが、同僚たちが、行きつけの店の顔なじみが立ち上がる。顔見知りが立ち上がる。街で港で高原でただ一度しかすれ違わなかった人々が立ち上がる。名前しか知らない人々が立ち上がる。名前も知らず、出会ったこともないすべての人々が立ち上がる。

 波打ち際にきらきら光る私たちの殺した人々はとても美しかった。それは今まで生まれてきたことのあるすべてのウミガメの産卵みたいに美しかった。

 

 だから私たちは、あなたに「美亀」という名前をつけたんだよ。


 「……へええ〜〜〜〜〜〜」

 ってわたしは言うしかなくて困ってるのに、どうしてお父さんもお母さんもちょっと顔が赤くなってるのかわからない。話しだしたのそっちでしょ? それだけじゃなくて赤らめながらわたしを見る目がちょっといたずらっぽく笑ってるのがさらにわからない。明日みんなの前で自分の名前の由来を発表する授業?コーナー?があって、わたしはそれで聞いただけで別に深い意味とか悩みとかがあるわけじゃなかったのに、なんかあれ?お父さんもお母さんもちょっとあたふたしてる……?と思ったらこれ。いやみんな帰ってきてよかったとは思うけど、これ、これでいいの? ……まあわたしどっちのおじいちゃんおばあちゃんにも会ったことあるから、そりゃ戻ってきてなきゃおかしいんだけど。

 そんなわたしの???をよそになんか「懐かしいな〜、優理と最初に出会った時、凄かったもんなあ」「ちょっとやめてよ〜!」ってふたりが盛り上がりはじめる。お父さんもお母さんも幸せそうだから全然わたしも幸せなんだけど、それでもちょっとさびしいのはなぜ?仲いい友達ばかりのグループで気づいたら自分が思ったより話の輪に入れてないなって感じた時に似てる。「えっミキのキって姫じゃないの?亀?……へええ〜〜〜〜〜〜」と言われましても、わたしがそうしたくてそうしたんじゃないんですが。わたしが鏡花や眞弓やソフィーみたいじゃないから一文字分はみでちゃうのは仕方ないんですか?

 わたしがいつか、素敵なダンナさんと巡り合ったら、みんなを殺した後で、ダンナさんも殺そうと思う。そうしたら、わたしの赤ちゃんはわたしとふたりきり。今のわたしが感じているさびしさを、赤ちゃんが感じることはないと思う。

 それはそれとして。

 晩ごはんのあと、わたしは自分の部屋にこもって、必死に自分の名前の由来をひねり出す。ふたりの話をそのまましたら、みんなはマジでドン引き、先生もドン引き。明日からのわたしが大気圏外まではみでちゃうこと必定です。だから百パーセントの嘘を本気で考える。

 そうしてわたしに順番が回ってくる。夜更かししちゃって目の下にクマのできたわたしは(ハズっ!)、椅子をズズッていわせながらフラフラ立ち上がって、

「わたしの名前はミキです。美しいに姫じゃなくて、美しいに亀でミキです。自分でもどうしてなんだろう、と思っていたのですが、昨日その理由がわかりました。鶴は千年亀は万年といいます。一万年たっても美しい人でありますように、という願いを込めて、お父さんとお母さんは私に美亀と名付けたのです」

 クラスのどこからか「おおお……」という詠嘆タイプの息が聞こえた。おっ?もしかしていけそう?

「わたしは自分の名前の亀という字があんまり好きじゃなくって、ちょっと恥ずかしい気もしていたのですが、これからは好きになれそうです」

 そうして席に座ると今日はじめての拍手が。なんか自分の心臓が早いし近い。授業が終わってから「ねえねえ、美亀って、めっちゃいいじゃん! あたしなんか女なのに阪神の元監督だよ……」とか「姫なんかより全然深いって!」とか言われだして、輪に入れないどころか降霊術みたいに輪の真ん中で浮き始めてないわたし?ってなるんだけど正直めちゃくちゃ気持ちがよかった。

 だって嘘だもん。

 わたしがウンウン唸ってひねり出した十割嘘をみんなが信じている。本当は、みんなわたしのお父さんとお母さんに殺されて、海の向こうから戻ってきたんだよ?って思う一方で、授業中話しながら(あれ……わたしが考えた嘘だけど、これ本当は正解なんじゃないの?)と思うくらい、自分の嘘を信じはじめていたのも本当のことだった。

 そうやってみんなの真ん中でふわふわしていると、突然レーザーみたいに鋭い光が頭の中を走って、あっ、そうか!やっぱりわたしはお父さんとお母さんの子どもなんだな、とわかる。もう昨日までのようなさびしさはやってこない、とわかる。宙に浮いたわたしはゆっくりと下へ降りていく。先の赤いゴム底の上履きが、木目の荒い教室の床に触れる。まったく音がしなくて、まるで月みたいだなと思った。

 

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