第33話 「秘密にしておいてよね!」

 さらに2時間ほど勉強したところで、深恋とキラは門限があるからと帰っていった。

 そろそろ夕飯時で図書館が空いてくる頃だろう。俺も移動するか。


「キラはどうだった?」

 シャーペンを走らせながら皇は言った。

「まあやる気はあるみたいだから少しはよくなったかな。全然時間が足りないけど」

「それはそうよね。もっと早くから勉強を見ていればよかったわ」


 そう言って伸びをする。そっちもそれなりに大変だったらしい。

 俺はノートを片付けた。


「もう帰るの?」

「そろそろ図書館が空いてくるからな」

「じゃあまだ時間はあるのね。だったらこっちに座って」

 そう言って自分の向かいのテーブルをコツコツと叩く。

「え?」

「だから、今度はあんたの勉強を見る番だって言ってるの」


 茫然としている俺を見て、皇は挑発的な顔を向けた。


「学年3位から教われることなんて、なかなかないわよ。どうするの?」

 成績を落としたら俺の一人暮らし存続に関わる。これはまたとない機会なのかもしれない。

「じゃあ、よろしくお願いします」




 皇はいい先生だった。教え方は丁寧だし、間違えた問題に対するフォローも抜かりない。

 だからこそ不思議に思った。


「皇は何のために勉強してるんだ?」

 俺の言葉に皇は問題集から顔を上げた。


「学生なんだから勉強するのは当たり前でしょ」

「それはそうなんだけど……でもそれだけじゃ学年3位なんてとれないだろ?」


 いい大学に入るためとか、いい仕事に就くためとか、理由は色々あると思う。でも皇からはそういう目的が感じられなかった。


「そうね、確かに理由は別にあるわ。上を目指して勉強するのは、いつか出会う運命の人にとって一番ふさわしい自分でいるためよ」

「勉強と運命の人は関係あるのか?」

「当然。いくら運命の相手と惹かれ合ったって、自分に能力が備わっていなければ相手を支えてあげることもできないでしょ? だから勉強はもちろん、料理に裁縫、武道だって全力でやってきたわ。こう見えて私、剣道二段よ」

「うそぉ……」


 小柄な体格で手足も細い皇が、竹刀を振り回している姿なんて想像できない。店が混んでもバテずにフロアを駆けまわれるのはそういう背景があったんだ。


「ただ、時々分からなくなるの。運命の人なんてまだ目に見えないもの、私には現れないんじゃないかって。もしこの日々が報われないのなら、今まで私が切り捨ててきてしまったもの達はなんだったんだろうって虚しくなる」


 皇はどこか遠くを見つめて、独り言のように言った。きっとここにいるのは俺じゃなくてもよくて、ただ不安な気持ちを吐き出したかっただけなんだろう。


 俺の言葉なんて期待されていなくても、何か励ましてやりたいと思った。


「運命の相手っていうのがいるのかは分かんないけどさ、これだけ努力できること自体が皇の魅力だろ。それをいいって思う奴は絶対いると思うよ」


 俺の言葉に皇はこっちを向いた。

「それに恋愛とは違うけど、少なくともうちの店のお客と深恋達は皇のことを大事に思ってるだろうし」

 皇は自信なさげに俯いた。


「そう、かな……私ってストレートに言いすぎるところがあったり、周りが見えなくなったりするから、今まで友達が出来なかったんだよね。それでもいいって思ってたんだけど、この店で深恋達と働くようになったら一緒に過ごす時間がこんなに楽しいって初めて知ったの。だから今度は失いたくない……そう思ってるのに空回りしてる気がするわ」


 皇が2人のことをそんな風に言うのは意外だった。学校では1人でも堂々としているし、他人といるのが好きじゃないのかと思っていた。深恋達との関係もただのバイト仲間だと思っていたら、それ以上の想いがあったらしい。


「今日勉強教えてあげるって勝手に仕切っちゃったのも、迷惑だったかな。少しでも役に立てたらって思ったんだけど……」

「キラは喜んでたし、深恋もそうだったんじゃないか? 俺も助かったし。というか、今言ったことをそのまま深恋達に言えば?」


 俺の言葉にパッと顔を上げた。


「だっ、だめよ! そんな恥ずかしい事言えるわけないでしょ!」

 そう言って顔を赤くする。女子っていうのはよく分かんないな。


 皇はパタンと問題集を閉じた。

「あーもうダメ! 今日は集中力切れたから帰る。もし分かんないところあったら、仕方ないから明日教えてあげるわ」


 バタバタと荷物をバッグにしまい、出口へ向かいかけて足を止めた。そしてこっちを振り返って、俺の鼻先まで数cmのところに人差し指を突き出す。


「今日の話したこと、秘密にしておいてよね!」


 それだけ言って、皇は店を出ていった。

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