第2話 セカイの果て。物語の端。
学園とは主人公がヒロインたちと触れ合うための場所である。
「どうだろう?委員長さんって僕のことやっぱり破廉恥男って嫌ってるのかなぁ?」
この間媚び売ったのが功を奏したのか、俺は主人公の数少ない男の話し相手みたいなポジションになったようだ。
「大丈夫大丈夫。照れ隠しだよ。嫌われてないよ」
「でもこの間は刀でメッチャ斬られそうになったけど」
警察に駆け込めって言いそうになったけど俺は励ましを続ける。
「照れ隠しだって!まったく飛鳥馬はにぶちんだなぁ!」
ここは学校ではなく学園なので刀を振り回して人を斬っても誰もおかしいと思わない。女の子が「もう!このばかぁ!」って言いながら誰かを斬ってもそれはただの照れ隠しである。…異常だよね。どう考えても。その異常な世界で鈍感している主人公はきっともっとおかしい。そんな気もする。だけどここはエロゲーかエロマンガか、お色気系バトル漫画かなんかの世界だ。あるいはアニメか。なんでもいいけど現実じゃない。人は吹っ飛んでもかすり傷さえ負わず、凄惨な事件だって主人公が活躍すればすぐに解決する。
「僕のことは
「いや苗字の方がかっこいいじゃん。なんか主人公っぽくて」
「はは!たしかにそうかもね!でも…。僕にヒーローになる資格なんかないんだ…もう失ったんだ…」
なんか悲惨で可哀そうな過去をにおわせてくるぅ!そんなの匂わせてくるのはホストクラブで風俗勤めの地雷系女子からボトルを強請るときだけにして欲しい。俺は男で、ただのモブだ。きっと飛鳥馬暖という主人公の視点からは『男子学生C』くらいにしか表示されていないだろう。事実、飛鳥馬から俺は一度たりとも名前を呼ばれたことがない。
「なによ!あんたこんなとこにいたの?!」
俺たちがいる学園の屋上にピンク色に紫色の瞳のすんげぇ美少女がやってきた。暖の前に仁王立ちしてきっとした瞳で彼を睨んでいる。
「暖!今日はあたしの買い物の荷物持ちやるって約束でしょ!?」
実にツンデレっぽい言い訳だ。素直になれないツンデレは主人公とデートするのにも何かしらの言い訳をつけるものだ。
「ええー。
このツンデレちゃんロミナ。フルネーム
「…あんた以外の誰かに荷物持ちをして欲しいわけないじゃない…」←これな!
「うん?なんか言った?」
おう!メッチャ言ってたぞ!俺にはメッチャ聞こえてた。飛鳥馬には聞こえてないみたいだけど。
「なんでもないわよ!ばかぁ!」
東海林のパンチが飛鳥馬のみぞおちをえぐる。その拳は風を切る音が聞こえるくらいやべぇものだった。
「あばぁばああああ!」
奇声を上げて飛鳥馬は屋上のフェンスを越えて校庭へと落ちていく。そしてその下にいた茶髪の小悪魔系っぽい美少女分かってスカート中に頭をダイブさせてしまった。もちろん!スカート中から湯気が出て俺にはパンツが見えない。あいつもヒロインのようだ。てか高いところから落ちてきた男とぶつかっても無傷そうなのまじですごいな。やっぱりこの世界はおかしい。
「もう…どうしてあたしの気持ちわかってくれないんだろう…」
東海林はそう言って俺には目もくれずにフェンスを掴んで寂しそうに佇む。
「いや人殴っても気持ちは伝わらないやろ」
俺は思わず突っ込みを入れてしまっただけど、その瞬間にすさまじい強風が吹いて俺の声はかき消されてしまった。ちなみに東海林のスカートがバタバタゆれてるけど同時にかわいい東海林のちびキャラのイラストが浮かび上がって俺からパンツは見えなかった。
「はぁ…帰ろう…」
モブはヒロインに話しかけることさえできない。これがこの世界の摂理である。俺は大人しく帰ることにした。
学園の最寄り駅から市の中心にある自宅まではそこそこ時間がかかる。大都会岡山は3000万人が住む超大都市である。とうぜんすごく広い。
「ふぁああ。しかし電車ってどうして眠くなるんだろう?着くまで寝るか…」
俺は目を瞑ってひと眠りすることにした。電車の揺れは不思議と心地いい。それがよくなかった。気がついたとき、外の風景はもう夜になっていた。しかもかなりの郊外で家もまばらにしか見えない。
「あっちゃ。やべぇ。このまま乗ったら神戸までいっちゃうんじゃ?!次の駅で降りなきゃ!?」
電車の電光掲示板は神戸行と表示されている。そして次の駅の表示はなんと神戸になっていた。
「ええ?!まじかよ!終電で帰れるかなぁ。最悪父さんに迎えに来てもらうしかないのかな」
でも種付けおじさんの車とか乗りたくねぇな。絶対に後ろの座席を折りたたんで、わからせやってるよね?微妙過ぎる…。
「てかあれ?だれも乗ってない?都会の神戸行なのに?なんで?」
周りを見ると誰も乗客はいなかった。隣の車両にも人の気配がない。なんか怖くてぶるっと体が震えた。窓の外は真っ暗になっている。人家さえ見えない闇一色。俺の顔だけが窓に反射されて写っていた。
「え?なんで?え?人家どころか森も山も見えない?!何にもない?!どういうことだよ!何処を走ってるんだよ!?」
窓から外を見ても本当に何も見えなかった。ずっとどこまでも闇が広がっている。見えるのは電車が走る線路の軌跡だけだ。
「そう。ここは何処でもない。世界の果ての外側であり、物語では語られぬ処」
女の声が聞こえた。振り向くと隣の車両から黒いローブを着た女がこちらの車両に入ってきた。そして俺の方に歩いてくる。
「仮に絶対の視点があるとするならば、それに映らないものは存在しないも同義。それがこの闇の正体」
女はとても美しい顔をしている。だけどその容貌は人間離れしていた。虹色としか形容できない煌めく髪の毛。そして窓の外よりもなお深い闇色の瞳。
「はじめましてアドニスの
そして彼女は俺の傍の座席に座った。静謐な目で俺を見詰めている。
「アドニスの裔よ。あなたも座りなさいな」
「…いや。状況のおかしさに正直に混乱してるんだけど」
「だったらなおさら座るべきね。どうせじたばたしても状況なんて変わらないのだから」
そう言われればそうかもしれない。俺は自称魔女さんの向かいの席に座る。すると魔女さんは立ち上がって、俺の隣に座りなおした。何この人?!誰もいないし広いんだから、パーソナルスペースに侵入してほしくないんだけど?!
「なあ。この電車って神戸に向かって走ってたんじゃないの?」
「神戸?ええそうね。確かに設定上、岡山から電車で行って近い都会と言えば神戸よね。
「設定上…?おい何言ってんだお前」
「あなたは気づいているのでしょう。あの街は『主人公』飛鳥馬暖を中心とした一つの物語世界だと」
「ああ。エロゲかエロマンガかお色気ありのバトル漫画何かの世界」
「ええ、そうよ。あそこは現実世界で大ヒットした物語の世界。創作上の中にしかないはずの桃源郷。可愛らしいヒロインたち。魅力的な舞台設定。倒せばすかっとする愚かな敵たち。わかりやすい悲劇と楽しい喜劇の波が人々を熱狂させる素敵な夢」
魔女さんの語り口は饒舌だがどこか皮肉気に聞こえた。それに俺はむっとした。
「別にいいだろうそういうの。みんな大好きじゃないかそういうのがさ」
「ええそうね。でもあなたはそれでいいの?」
「何が?!」
俺は思わず声を荒げてしまう。この女は俺の何か触れたくない部分に触れようとしている。
「アドニスの裔。あなたの名前は?ねぇ。この私に教えてちょうだい」
「名前…。俺の名前。…あれ?え?俺は…え?俺の名前は?!」
思い出せない。いや違う。気づいてしまった。俺に最初から名前なんてない。俺は自嘲していたはずじゃないか。自分はただのモブだって。だけどショックだった。俺に名前はない。俺を俺たらしめる名前がないのだ。
「そうよ。アドニスの裔。あなたに名前はない。だってあなたの名前なんてあの世界では必要ないんだもの。そんなところに設定は存在しない。あの物語世界、大都会岡山の外にセカイが存在しないようにね」
窓を見る。相変わらず真っ暗闇で、俺の顔だけがガラスに映っていた。だけどその顔を見て俺は。
「ひっ…嘘…そんな…」
俺の顔の上半分が影に覆われていた。それは本当に俺の顔なのか?息が荒くなっていく。そうだ。モブには顔さえも必要ない。モブの顔を出すくらいならヒロインのパンツでも出した方がずっとずっとウケるのだから。
「アドニスの裔。あなたはただの人。『大きな物語』という歯車を構成するただ小さな部品の一つにすぎないの。きっとその部品が外れても物語が壊れることがないくらいに小さな小さな部品」
時計からねじが一つ落ちたって、針が狂うことはきっとないだろう。物語なんてものはガバガバであいまいで緻密には出来ていない。誰かが欠落したって、誰も気づかないくらいに世界は大きいんだ。
「現実世界において、人々は太古の昔より物語を紡ぎ、物語の中で生きてきた。近代においては世界の様相さえも定めるような『大きな物語』があって、それを共同幻想として人々は自らの役割を演じて生きてきた」
魔女は高らかに語る。世界の仕組みというものを。
「大きな物語は一時は力を失ったわ。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』何ていい例よね。でも世界はまたどこかの狂人が引いた引き金によって大きな物語に回帰しつつあるわ」
それはきっと俺のあずかり知らぬ誰かの世界の話。だけど今俺と交差した
「『大きな物語』の中で人は役割を得て安住を覚える。でもね。アドニスの裔。わたしはそんなものに飲まれてはいけないと思ってる。大きな物語は狂気の産物。人々をひき潰していく肉挽き器。人々はそんなものに身を委ねてはいけない。我々は日常を語る退屈でちっぽけででも尊い『小さな物語』に回帰しなければいけないわ」
「なんで俺にそんなことを聞かせる?何の意味がある?」
「だってあなたはアドニスの裔。種播く人の子」
「種播く人?種付けおじさんのことか?そんなやつの息子が何の役に立つんだよ」
種付けおじさんなんてただのミームでしかない。女とセックスしかしてないどうしようもない小物だ。だけど魔女を称する女は優し気に笑う。
「そうね。確かに種付けおじさんなんてただの道化かもしれない。でもね。ちゃんと種付けおじさんの物語を思い出して。彼らは物語に、ヒロインたちに、『種』を播いて。必ずセカイをハッピーエンドに迎えてるじゃない」
「いや、あんた何言ってんの?種付けおじさん出てきたらバットエンド確定じゃん」
種付けおじさんが登場したらバットエンド確定だろうが。大抵の場合、ヒロインがNTRて快楽堕ちしてお腹が大きくなっておぎゃーおぎゃーである。
「それは視点の違いよ。たしかにヒロインを思慕する男からみたら、種付けおじさんは世界を壊す悪。でもね。ヒロインたちはみんな種を播かれて命を育み笑みを浮かべているでしょう?」
「いやその発想はなかった」
「わからせだってそうよ。ヒロインたちは間違った道を歩んでいる。彼らはヒロインたちに種を播くことで、悪しき道からヒロインを遠ざけるのよ」
「ええ?そうかなぁ?」
「でも私はそう解釈したわ。そう。だから私はアドニスの裔。あなたに期待してる」
魔女は真剣な瞳で俺を見詰める。
「セカイに種を播いて。この不毛な世界に種を播いて。取り戻して人々の尊い「小さな物語」を」
俺はその願いに首を傾げる他なかった。
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