浮気の代償の清算は、ご自身でどうぞ。私は執行する側です。

第1話 ゆりの場合

　リビングでふんぞり返りばがら、テレビを見て大きな笑い声をあげる彼を見た。

　彼はとある企業の御曹司であり、次期社長。

　身長１７９センチ、スラリとした体形に、甘いマスク。

　元々営業の下積みもあるために、会話もとても上手い。

　そんな彼は昔からよくモテた。

　それでも私はそんなハイスペックな彼の心を捕まえ、三年前に約五年の交際を経て結婚した。

　誰もがうらやむ、美男美女カップルである。

　ハイスペックな彼と結婚できた私は勝ち組のはずだった。

「おーい飯、まだかよ？」

「ん－。もう少しで出来るよ。だから待っててね」

「もーさー、腹減ってるんだから早くしてくれよ」

「あなたのために美味しくなるように作ってるから時間がかかってしまっているの。ごめんね？」

「はぁ。おまえさぁ、そういうとこがホントに使えないんだよな。仕事は出来るくせに、家事はダメすぎ。女としてそれ、どーなの」

「……」

「キャリアウーマンとか会社でちょっとちやほやされてるからって、自分が何でも出来ると勘違いしてるよな、おまえ」

「……そんなことないわよ」

「そーか？　俺がいないと何にも出来ないって、会社のヤツにも教えてやりたいよ」

「……ごめんなさい」

　私たちは義父の会社の別部署で働いており、共働きだ。

　しかし彼が家事をすることはまったくない。

　一度だけ体調が悪い時に家事をお願いしたところ、義母からひどく注意を受けた。

　家事は男のするものではないらしい。

　時代錯誤だとは思ったが、私はそれに楯突くことは出来なかった。

　一言でも言い返せば嫁というモノは、という長い長い説教が始まり、離婚しろと責められるのが目に見えていたから。

　そんな無駄な時間を過ごすよりは、言わずに『すみません』と言ってしまう方が楽だった。

　たとえそこに、私の本心なんて一ミリもなかったとしても。

「遅くなってごめんね。もう出来るから、そっちに持っていくね」

「あー、腹減った。こんなんなら、外で誰かと飯食って来ればよかったよ。んで。そんなに待たせて、今日は何なんだ？」

「あなたが大好きなカレーよ。もう二日くらい煮込んでいるの」

　大きな大きな圧力鍋。

　そこに肉がほぼ原形をとどめないほど煮込んでから、数十種類のスパイスで味付けをする。

　彼のこれが彼の大好物だった。

　この結婚生活三年で、カレーだけはとても上手くできるようになった気がした。

「おっ、今日はカレーか。いいな、お前のカレーだけは大好物なんだよ」

「そう？　それは良かったわ」

　皿にご飯をよそり、カレーをかける。

　サラサラとしたカレー。

　スパイスの匂いが部屋に広がっていった。

「さぁどうぞ。召し上がれ」

「ああ、いい匂いだ。美味そうだなー。今日は本当に最高だな。これなら待っていたかいがあったってもんだ」

　先ほどの暴言などもう忘れてしまったかのように、夫はカレーに釘付けだった。

　そして額に汗を浮べながら、彼は黙々とカレーを食べ進める。

　私は彼の向かいのソファーに座り、ただ彼が食べ進めるのをずっと見ていた。

　ガツガツと、ただ一心不乱に食べる姿に胸が熱くなる。

　嬉しい。

　彼が文句ひとつ言わずにこのカレーを食べる姿が、私には何よりも幸せだった。

　ああ、本当に幸せね。

　どんなに暴言を吐かれても、どれだけ辛く当たられても、この瞬間があるから私は大丈夫だった。

「美味しい？」

「ああ、すごく美味しいよ。おかわりをくれ！」

「はいはい。すぐよそるわ。待ってて」

　私は席を立ち、ふたたびカレーをよそりに行く。

「本当、お前のカレーはどの店よりも美味いよ。こんなに美味いカレーはどこを探したってない。何か隠し味でも入ってるのか？」

「ん－。どうかしら。愛情はいつもたっぷりだけど」

「ははははは、よく言うよ。そう言えば、お前はカレー食べないのか？　いつもカレーの日は食べないけど」

「そうねぇ。私、自分で作るカレーは好きじゃないの」

「そうなのか。お前変わってるな。こんなに美味いのに」

「そう？　でもあなたに喜んでもらってよかったわ。そのために頑張って作っているんですもの」

「そうか」

「ええ」

　彼はただ豪快に笑った。

　隠し味は確かに入っている。

　だけど彼には教えてあげない。

　まぁどうせ言ったところで、きっと彼の浮気相手には一生作れないけれどね。

　でも、絶対に教えない。

　これは妻としての、私の意地だ。

　彼が浮気を何度繰り返しても離婚しないのも、そう。

　でもだからと言って、あなたを死にほど愛してるから許してるってわけではないのよ？

　だってそうでしょう？　

　浮気は味変するための手段だなんて言う人に、どうして愛情を持ち続けられるというのかしら。

　再びよそったカレーを彼に出した。

　先ほどと同じように、ただ嬉しそうに食べだす彼。

　私はこの瞬間のためだけに、彼との結婚を継続し続けていることを彼はたぶん一生知らないだろう。

「美味しい？」

「ああ、最高に美味しいよ」

「そう、よかった」

　今回も喜んでもらえて良かったわ。

　このカレー、本当に苦労したのよ。

　まずは肉を捕まえるとこから始まるんだから。

　えっと、次は確か女子高生だっけ。

　パパ活とか言って、この人が入れ込んで貢いでるのは。

　今度の肉は、若いから煮込むのが大変そうね。

　でもきっとこの人は美味しいって食べてくれるはず。

　だから頑張らなくちゃ。

「ふふふ」

「どうしたんだ急に？」

「ううん。あなたが美味しそうに食べてくれるから、幸せだなーって思って」

「変なヤツだな、本当に」

　何よりも美味しそうに食べる彼の姿を見て、私は次のカレーの用意のことで頭がいっぱいだった。