第4話 じゃがいも令嬢とお呼び出し

 豊穣祭を終えるまで、王太子と話ができるタイミングはなかった。事の真相を明らかにすべく、ヴィオレータは夜会の支度を急がせて時間を無理やり作ったが、王太子は捕まらなかった。


 エスコートはしないが、衣装の色合わせだけはする、なんてことは、あるものなのだろうか。今晩は父公爵とともに行動する約束をしてあるが、もしも会場内に王太子も別にいるのであれば、周囲からは要らぬ詮索を受けるだろう。ヴィオレータが婚約者に蔑ろにされていると噂されれば、傷つくのはヴィオレータの名誉ばかりではない。王太子の側も、女性に恥をかかせたことになるからだ。


 ──いまからでも欠席すべきかしら。


 頭に選択肢がよぎったときだった。支度部屋の戸が叩かれた。ヴィオレータは衝立越しに気配を伺う。王太子がこちらまで足を運んだのかと思ったが、訪問者に対応した侍女は手紙の載った盆を持ってやってきた。


「どなたから?」

「王太子殿下からとのことでございます」


 こんな忙しい時間帯に、わざわざ手紙を? 訝しみながら封を切る。目を通してすぐに、ヴィオレータは便箋をたたみなおした。


『緊急に話したいことがある。なるべく内密に、執務室まで来て欲しい』


 紛れもなく王太子の筆跡だ。ヴィオレータは手紙を処分する暇さえ惜しんで、懐に持ったまま、席を立った。侍女には、王太子に夜会のことで確認すべき内容を申しつけられたとごまかし、ひとりで部屋を出る。すでに夜会のための服装に着替えているため、身動きは取りにくい。けれども、ヴィオレータはすれ違う貴族らに優雅に微笑みかけながら、先を急いだ。


 王太子の執務室まで、あと少しというところだった。角を曲がろうとしたヴィオレータにぶつからんばかりの勢いで、人影が飛び出してきた。見たことがある娘だ。たしか、マロ伯爵の遠縁の……ミュリエルと言ったか。ヴィオレータは無視して行き過ぎようとしたが、その腕をいきなり、くんと引っ張られて歩を止めた。


「離してくださらない?」

「ちょうどよかった! ミュリエル、フェリペさまに頼まれて、あなたのこと探してたんです!」


 ヴィオレータは手紙で呼ばれている。この者の言うことよりも、王太子の手紙のほうが信用できる。ヴィオレータは小柄なミュリエルを振り払うと、つかつかと執務室にむかい、中へと呼びかけた。……返答はない。断りを入れて、ドアレバーを下げる。鍵がかかっている。念のため、与えられている合鍵でドアを開け、室内をあらためる。執務室にはだれの姿もなく、ひとのいた気配もない。


 ──早過ぎたかしら。


 戸惑ったヴィオレータのそばで、ミュリエルが頬を膨らませ、腰に手を当てる。


「んもぅ! ミュリエルの言うことを信じてくれないんですかぁ? ミュリエル、ホントにフェリペさまにヴィオレータさまを呼んでくるように頼まれてるんですってばぁ!」

「……あなたに名を許した覚えはありません。わたくしはここで待ちます。そう、王太子殿下にお伝えください」


 この娘は信用ならない。安易についていくべきではない。あくまでも王太子の名を出すならば、こちらも同じ手を使うまでだ。ほんとうに王太子の命で自分を探しているのであれば、むこうはヴィオレータの居場所さえわかればよいはずだ。


 執務室のドアを閉め、ミュリエルを視界から強引に追い出す。部屋の奥まで歩いていって、窓に近寄ると、夕闇の迫る奥庭が見えた。同じ庭は、ヴィオレータの執務室からも見える。しかし、角度が少しだけ異なるので、まったく同じ景色にはならない。


 王太子の執務室から見えるのは、噴水を中心とした庭だが、ヴィオレータの執務室からは、噴水は木に隠れて見えない。かわりにガゼボと別の花壇が見えるので、四季折々、花が植え替えられるようすも楽しんでいる。


 花々の色が暗闇に沈むまで待っても、王太子は現れなかった。不安になって、懐の手紙を取り出しては読み返し、何度目かにひとつの可能性に思い至る。手紙には、執務室に来て欲しいと書いてあるが、もしかしてこれは、王太子の執務室ではなく、ヴィオレータの執務室だったのかもしれない。


 考えつくと、居ても立っても居られなくなった。あわてて部屋を出ようとして、ドアレバーにふれ、愕然とする。


「嘘でしょう?」


 ドアは開かなかった。いくら鍵をいじっても無駄だ。ドアレバーがちっとも下りない。肩でドア自体を押してもみたが、ヴィオレータの力では、びくともしなかった。


 ──やられた!


 自分も鍵を持っている部屋だからと油断した。証拠もなく疑いをかけるのはよくないが、犯人はミュリエル以外に考えられなかった。


 常にひとに囲まれている王太子の執務室には、呼び鈴などない。叫んで助けを呼ぶことはできるが、豊穣祭の日に騒ぎを起こすのは避けたかった。いずれ王族の一員になる身だからというだけでない。ここまでどっぷりと準備に携わったイベントを、自分の手で壊すのが忍びなかったのだ。


「どうしましょう。ここは2階だし、夜会の日にまで、奥庭に#警邏__けいら__#は来るかしら」


 窓を押し開いて、ヴィオレータは身を乗り出した。そっと静かに助けてもらえるなら、それがいちばんなのだが、そう上手くことは運ばないようだ。警邏の兵士は見当たらない。


 ──飛ぶしか、ないわね。


 侍女が探しにこないということは、夜会はまだ始まっていないのだろうか。それとも、あちらはミュリエルに騙されて丸め込まれてしまったのか。そう考えて、ふ、と自嘲が込み上げる。


 王太子の婚約者になる以前から、他人は信用できなかったし、物の選択に慎重になるだけの経験をしてきた。公爵令嬢であることも、王太子の婚約者であることも、信託で救国の乙女と目されることも、ひとの妬みを買う。どれひとつとして、自身の選択ではないというのに。


 救国の乙女が、なんだというのだ。ヴィオレータはただ、王太子より三歳年下で、聖ラリサの日に生まれただけ。その条件に当てはまる貴族令嬢がヴィオレータひとりだったから、救国の乙女だと持ち上げられたが、魔術も使えない、容姿も才能も秀でたところのない、家柄だけの自分のことは、だれよりヴィオレータ自身が理解している。


 行きどころのない怒りを抱えつつ、ヴィオレータは踵の高い靴を脱ぐ。先に奥庭の芝生へ放り投げ、ドレスの裾をからげ、窓に膝をかける。


 意を決して宙に飛び出したヴィオレータの耳に、だれかの声が届いたが、それがだれのものであったのかわかるより先に、ヴィオレータの意識は、ふつっと途絶えていた。

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