死に戻り令嬢の契約婚
渡波 みずき
第1話 じゃがいも令嬢と王太子
「……いま、なんとおっしゃいまして?」
聞き返したヴィオレータに、王太子はすげなく繰り返した。
「次の夜会では、そなたのエスコートはしないと言ったんだ。だから、ドレスの色を私と合わせる必要はない。好きなものを着なさい」
困惑して、ヴィオレータは応接テーブルのうえの茶菓子に目を落とす。王宮の料理人はやはり腕が良い。王太子の好むタルトに、季節の果物をさりげなくあしらってある。そんな些細なことに感心しながら、目の前の相手の発言を反芻する。
王宮で王太子の補佐をするようになって三年経つが、執務のあいまにお茶をともにしたのは今日が初めてのことだ。直接話したいことがあると打診されて、いつもは侍従に伝言を頼む彼にしてはめずらしいことだとは思っていたが、よもやこのような内容だとは。
ヴィオレータは、歴史あるエストレラ公爵家の長女だ。三年前、神託により救国の乙女と目され、それゆえに王太子の婚約者に収まった。王太子の補佐を務めているのは、妃教育の一環だ。
自分の家柄も立場も、たとえ王太子であったとしても、ないがしろにできるものではない。それなのに、理由もろくに告げずに夜会のエスコートを一方的に断られるとは、どういうことだろうか。
「夜会の日に別のご予定がおありですの?」
王太子のスケジュールは、おおむね把握している。会議や交渉などを除き、公の場に婚約者抜きで出席することは少ないからだ。豊穣祭の夜会への出席は、王族にとって義務ではないが、一年の実りを神に感謝してみせるのは為政者として大事なことだ。これより重要な案件があって、ヴィオレータが知らされていないというのであれば、問題だろう。
あくまでも淡々と予定を確認した彼女に、王太子は軽く眉をひそめ、そっぽをむく。十七にもなろうというのに幼いしぐさに、ヴィオレータは内心呆れたが、表には出さなかった。
「夜会のエスコートの件については承知いたしました。豊穣祭での殿下のお役目をいかがなさるのかは、後日お知らせ願います」
あとで、侍従に予定を確かめておかねばと心に留め、ヴィオレータは茶器を置き、話題を変えた。
「農務省を通じて研究させておりました救荒作物についても、少しずつ結果が出てまいりました。一度、殿下にご覧になっていただけましたら、研究者たちの士気も上がるでしょう」
「視察など不要だろう。このドゥルセトリゴに不作など起こり得ない」
「我が国が天候にも土地にも恵まれているのは確かですが、農業に絶対はありません。現状のように小麦に頼りきりでは、いざというときに対処できません」
キッパリと言い返すと、王太子は怒りも露わに席を立った。
「そのように芋にばかりこだわるから、じゃがいも令嬢などと言われるのだ。そなたを婚約者とする私の身にもなってくれ!」
「恐れながら殿下。じゃがいもは、年二回作付けできますし、初学者でも育てやすく収穫しやすい優れた作物です。わたくしは、こちらについては広く普及させるべく、初等科の学生に芽出しから教えておくことを念頭においておりますの。それに、わたくしが推しているのは、何もじゃがいもだけではございません。甘薯や燕麦、稲にも可能性があります」
「もう良い!」
足音も荒く部屋を出ていく王太子を見送って、ヴィオレータは茶器を取り、また一口飲んだ。馥郁とした香りの茶は、ドゥルセトリゴ王国の隣国ブエノステスの名産品のひとつだ。肥沃な火山灰土壌に育まれた茶葉は絶品で、深い甘みとさわやかな香りを持つ。
ブエノステスに位置する名峰エルモント・エスパディアは、頂きからの切り立った山影のうつくしさで、土地の民から信仰を集めている。山を望める高原地帯には温泉も湧き出でており、湯治場としても観光名所としても人気を博している。
しかし、温泉が湧くということは、エルモント・エスパディアは活火山なのだ。歴史書を紐解くと、ブエノステスでは数十年おきに小規模な火山噴火が見られている。そのたび、観光業は打撃を受けているだろうし、茶葉やその他の収穫量も減少するのか、ドゥルセトリゴとの交易額も目に見えて抑えられる。
ドゥルセトリゴにはそうした火種がないぶん、穏やかなものだ。大陸の穀物庫と呼ばれるだけあり、小麦の収量も品質も安定している。だが、先程王太子に述べたとおり、「絶対」はない。世界的な冷夏が数年続いた時期には、たよりの小麦ばかりか大麦もとうもろこしも取れなくなっている。輸出どころか国内での消費も賄えず、物価は上昇、飢饉が起き、挙句、暴動が各地で発生した。
──ただ、まぁ、それが五百年に一度起こるかどうかのレベルの大災害であることも、確かなのよね。
ヴィオレータはひとりでお茶会を継続し、タルトを口に運ぶ。口のなかでサクッと崩れた生地からは、バターの香りが広がる。果物とクリームとタルト生地、それぞれの甘みに口元を綻ばせ、のんびりと菓子を堪能する。
正直に申せば、王太子とは話が合わない。石橋を叩いて叩いてようやく一歩踏み出す慎重なヴィオレータと、カッと頭に血がのぼりやすい王太子では、気になること、目に留まることも違ってくる。だが、彼の味覚とは相性がいい。王宮で大事に育てられただけあって、彼の舌は優れたものをきちんと知っている。
──あとは、もう少し、情報を体系的に整理して全体を見渡してくださると、補佐するみなさんも楽でしょうね。
タルトをたっぷりと楽しんで、休憩を終え、執務室へ戻る。
王太子にできないことは、妃や周囲の者ができればいい。ひとりの傑物より、そうやって補いあうことを知る者のほうが、概して王には向いているものだ。
鷹揚に構えていたヴィオレータが、王太子のエスコート拒否の件を気楽に捉えたのを後悔したのは、豊穣祭の前日のことだった。
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