第2話−ティアナとの出会い−

—————16年後—————


その日、一人の侍女の声がずっとある人物を呼び続けていた。


「皇女様ー!皇女殿下!

ステルカーナ皇女殿下様ー!」


聞く者の同情を誘うような必死の声色に、ティアナは目の前の人物を伺い見る。

淡くやわらかい色をした金髪が、光の射していない室内にもかかわらずきらきらと光り輝き、持ち主の顔を照らしているように見える。

光色の髪と称賛される、美しいストレートヘアーだ。

本人にとっては邪魔なのか、全体をひとつに持ち上げまとめ、それを薄紫色のリボンで結んでいる。

胸元には翡翠のブローチが光っていた。

これは、彼女が生まれたときに精霊族から贈られた婚約の証だ。


彼女は6年前、デイガーズ王国から、このオシラン帝国へ養女としてやってきた。


胸元に光る翡翠のブローチは、王国から宮殿に来る日の前日の晩、王妃である母から肌身離さず持っているようにと言われ渡されたものだった。


「貴女とお母様に流れる先祖の力。貴女とお母様が繋がっている証。

…エイウィンの加護があらんことを」


スリス王妃は愛しい我が娘をきつく抱きしめてそう言った。


遠い日の思い出だ。


今二人は宮殿内の書物庫にいる。

窓も机もある快適な図書室ではなく、その図書室の奥に設けられている書物庫。

長く居座るにはあまり居心地がいいとは言えないその部屋に、二人はそれぞれ持ちこんだ椅子に、膝を突き合わせる格好で向かい合って座っていた。

視線に気づいているだろうに、構わず本を読み続ける少女に、ティアナは今度は声をかける。


「…探してるよ?」


「私はここにいるのにね?」


ティアナは、きょとんとした顔で見返してくる友人に思わず笑ってしまった。

だが笑いごとではないのだ。

この光の精霊のような友人は、帝国唯一の皇女殿下その人であり、自身の誕生日の式典を来月に控えているため、来賓のリストのチェックやらドレスの試着やら、決める事が山積みなのである。


「行かなくていいの?皇女殿下様?」


冗談めかして言うと、先ほどから名前を呼ばれ続けている皇女、ステルカーナは、笑いながらまた本に視線を戻した。


「うーん、どうしようかな」


憂鬱になるのもわかる、とティアナは友人の肩をもつことに決め、同じように本を読むことにした。

どうせ放っておいても、いずれ彼女は侍女の思惑通り動かないといけなくなるのだ。

避けては通れない。

必ず来月の式典のために侍女に捕まる時がくるだろう。

それに、この皇女様も、自分のやるべきことは嫌なことだろうときちんと最後までやる御方だ。

ならばそれまでは、気の済むまで一緒に逃げ回ってあげようじゃないか。


ステルカーナは、ティアナが何も言ってこないので目だけでチラと顔を見て、友人の真意がわかると小さく頬を緩めた。


来月、ステルカーナ皇女は16歳になる。

生まれた時は皇女ではなく王女だった。

デイガーズ王国という自然豊かな国に生まれ、父と母、家臣、そして国民に愛されながらすくすくと育った。

皇族の出身である母からは、上に立つ者としての心得、正義とは何か、統治とは何か、人間の醜い面、また、美しい面もたくさん教わった。

まだ幼かったため、すべて理解したわけではなかったが、大きくなるにつれて、母の言っていたことがだんだんわかるようにもなってきた。


ステルカーナが10歳になった年、帝都から王国に迎えがやってきた。


この時がくることも、母からよく言い聞かせられていたので、静かに使いの従者に付いて旅立った。

心の準備はできているつもりだったが、実際その時を迎えると、急に不安と悲しみがやってきて、三日かかる帝都への旅路では、馬車の中でも宿の中でも三日間泣いていた。


宮殿に着いたとき、出迎えてくれた皇帝には泣き腫らした顔を笑われるし、第一皇子には汚いと罵られた。

皇后は扇子で顔の半分を隠し何も喋らなかったが、眉間に寄った皺でどんな感情を抱いているかはわかった。

第一印象はお互い最悪である。

だがこの新しい家族に対する印象は、6年経った今でもさほど変わっていない。


特に第一皇子だ。


ステルカーナが養女としてやってくるまで、宙色の髪を持つこの皇子は宮廷内、いや、帝国内で話題の中心であった。


宙色の髪。

皇族の血をひく者だけが持つことのできる、濃い紫と深い青が混ざったような色の髪はその名の通り宇宙を想わせる。

銀色の瞳は鋭い鉄のようで、整った顔立ちも含め、姿形は伝承の中のオシランと酷似していた。

貴族の令嬢たちから人気があるらしかったが、ステルカーナが好ましいと思うのはこの髪の色だけであった。

銀色の瞳はいつも不満げに見てくるし、笑う時はだいたいステルカーナが失敗した時か、何か悪いニュースを持ってきた時だけだ。

話しかけても無視をするし、皇帝から贈られたドレスを大雨の日に窓から投げ捨てられたこともあった。

その大雨の日、とうとう耐えきれず自室のベッドに突っ伏して、ステルカーナは宮殿に来てから初めて泣いた。

あいつはなんでこんなに意地悪するんだろう、と泣きながら考えていると、スリス王妃の言葉が頭に浮かんできた。


「相手のことを嫌な奴、と思うときは、相手から嫌なことをされたときでしょう?

じゃあもし相手から意地悪されるようなことがあったとき、考えなければいけないことがあるの。

貴女が、相手から嫌な奴と思われているかもしれない、ということよ。

貴女にその気がなかったとしても、相手の嫌なことをしてしまっているかもしれないの」


母はそう言っていた。


「そうしたらね、何が相手の嫌なことだったのかなって考えてみるの。

もし思い当たったら、次はそれを改められるかどうか考えてみるの。

たとえば足を踏んじゃってたとしたら、改められるわよね?

でも、もし女の子だから、という理由だったら…改められないわよね。

じゃあそれは貴女の責任じゃない。

どう受け取るか、という相手の責任なのよ。

だから、気にせず堂々と生きなさい。

もし改められることだったら、改めたいかどうかで決めたらいいのよ」


ステルカーナは何があいつにとって嫌なことだったのか考えてみた。

だがさっぱり思い当たらない。

初対面で、泣き腫らした顔で会ったことだろうか?

じゃあもう腫れは引いたのだし、改めたと言ってもいいだろう。

でもまだ意地悪が続いている。

じゃあ違う理由なのだろうか?


しまったなぁ、とステルカーナは思った。

理由が思い当たらない場合のことは教えてもらってなかった。


(でも思い当たらないんだから、きっと改められることじゃないよね…)


と自分で自分に言い聞かせて、皇子にはなるべく近づかないようにしようと決めたのだった。


この時まだ10歳だったステルカーナは、12歳の時にようやく思い当たることができた。

とあるパーティーでのことだ。


それまでにも、ステルカーナは連日パーティーに連れ出されていた。

桃水晶の瞳を持つステルカーナを自慢したいシーマス皇帝によって。


そして、パーティーで顔を合わせる貴族たちから挨拶されるたびに、


「エイウィンの娘、フェイフの子。

輝ける帝国の星、桃水晶の姫。

ステルカーナ皇女様」


と、名前の前になんとも長い前口上をつけて呼ばれていた。

父や母から、自身の生まれについては教えられてきていたし、同じように「エイウィンの娘、フェイフの子」と呼ばれることもあった。

だが初めて会う貴族たちからそう呼ばれると、まるで父と母のことを無視されているような気持になってしまうのだった。


その日行われていたパーティーは皇室主催のパーティーだったため、たくさんの貴族たちから挨拶をされた。

何人もから長い前口上をつけて同じような挨拶ばかりされている時、うんざりして顔を逸らした先でふと皇子と目が合った。

10歳の頃にはわからなかった。

だが今はわかる。

あれは嫉妬の顔だ。

その時、ようやく全てが繋がり、

(あぁ…)

と納得できたのだ。


私が皇室に入るまでは、このちやほやの中には彼がいたのだ、と。

偉大なる初代皇帝と同じ宙色の髪をもち、歴代皇帝と同じように自身も皇帝になるのだと信じて疑っていなかった人生の中で、桃水晶の瞳をもつ私が生まれてしまった。

貴族たちの関心はもちろんのこと、血の繋がった実の父であるシーマス皇帝までもが関心を向け、養女として迎え入れると聞いた時の彼の心中は、きっと誰も想像できないぐらい荒れ狂ったことだろう。

養女として迎えるということは皇女になるということで、つまり皇太子になる権利を得るということで、それはつまり皇帝になる権利も得るということで。


はあぁ、と心の中で大きくため息をついた。


(でもそれ私に関係ある?)


いや、ない!と義理の兄への同情心をスッパリ斬り捨てた。


(ない、絶対ない。何にも関係ない。

あいつを陥れるためにこの瞳で生まれてきたんじゃない。この瞳をどうにかすることもできるわけない。

お母様が言ってたことはこれだったんだ。改められないことってこういうことなんだわ)


(だって好きでこの瞳で生まれてきたんじゃないし。なんならちょっといい迷惑だし。恩恵なんて感じたことない。デイガーズ王国の皆が喜んでくれてるってことは嬉しいけど…でもそれだけ!)


(この瞳じゃなければ私はずっとお母様とお父様と一緒にいられたはずなのに…)


(でも私はこの髪もこの瞳も望んでなってるわけじゃない!それなのに逆恨みでいじめてきて…あんなやつ、兄だなんて一生思わないわ!)


(お母様はなんて言っていたかしら。えーと…そう、私が改められないことで相手が怒ってるなら、相手の問題。

なら私は気にせず堂々と生きる!)


キッと顔を上げ、ステルカーナは、挨拶をするため近くでそわそわと待っている次の貴族を笑顔で迎えた。

貴族はいそいそとステルカーナの目の前にやってきて、深々とお辞儀をした。


「初めてお目にかかります、エイウィンの娘、フェイフの子。輝ける帝国の星、桃水晶の姫。ステルカーナ皇女殿下。

レイフォード公爵家のスレヴィン・ド・レイフォードと申します。」


品の良さそうな紳士の側には、同じく品の良さそうな少女が立っていた。


「こちらは娘のティアナです」


「初めまして。ステルカーナ皇女様。

ティアナ・ド・レイフォードです」


初めて長い前口上を言わずに挨拶されたな、と驚き、ステルカーナはティアナ嬢を見た。

少し年上だろうか。

夏の日の青空を思い出させるような蒼い目。だが髪は、目から受ける印象とはまるで昼夜逆。

真夏の夜の闇のように、滑らかな漆黒であった。

きれいに額の中心から左右に分けられた前髪は、それぞれ頬に垂れさがるように切り揃えられており、後ろ髪は前髪と同じ弧を描きながら肩の上で大人しくまとまっている。

つんとした鼻先に薄めの唇。

大人と少女との狭間のような時期だろうが、きっともっと幼い時に会っていたら男の子だと思っただろう。

中性的で、整った顔立ちだった。

と、突然隣で聞いていた皇帝が、ティアナ嬢との挨拶に口を挟んだ。


「ふむ、レイフォード公爵令嬢はデビュタントをしてまだ間もないのであろうか?皇女への礼儀は帝国への礼儀と同義であるが?」


礼儀とはこの場合すなわち、輝ける星なんちゃらと言え、ということだ。

ステルカーナは思わずシーマスを振り返った。


(もしかしてあのうんざりする前口上は皇帝が作ったんだろうか…!?)


賢そうな少女はぱちくりと、綺麗な蒼い目にかかるくるんとカーブしたまつ毛で二、三度まばたきをして、シーマスに深く頭を下げて言った。


「申し訳ございません皇帝陛下。

おっしゃるとおりわたくしはまだ一人前のレディではございません」


そしてシーマスが次に言葉を言う前に、流れるような早口で言葉を紡いでいく。


「ですので、父が殿下にしました挨拶がわたくしの挨拶となるのでございます。

父の言葉はわたくしの言葉ですわ。

もし、父の挨拶が殿下のお耳に届いていらっしゃらない様子であれば、父の無礼とならぬよう父がしっかりと挨拶いたしました事を主張するためにも”父に続き、”とそうやって一言添えてわたくしもご挨拶申し上げました」


シーマスは何か言おうとするが、すべてこの少女の言葉に押し流されてしまい、結局黙るしかない。


「ですが皇女殿下はおかわいらしい笑顔で父に頷いてくださいました。

ちゃんと御耳に届いていたのですわ!

皇女殿下はもう本日すでにたくさんの方からご挨拶を受けて、少しお疲れのようでしたのに、届いているということを父にちゃんと伝えてくださったんです!

皇女殿下…なんてお優しいお心遣いなんでしょう!

わたくし感激のあまり…つい言葉を詰まらせそうに…あら、皇女殿下大丈夫でございますか?

まあ大変!お顔が真っ青!

やっぱりお疲れでしたのね…どうしましょう…」


ステルカーナの顔を覗き込んだあと、シーマスを振り返って見る。


「どうか皇帝陛下、少し休ませてあげてくださいませ。

お優しい皇帝陛下なら、この幼い少女をそのままにはいたしませんわよね?そうでございましょう?

わたくしどもの頭上に輝く一等星、シーマス皇帝陛下なら、ええ、そうなさるでしょうとも!」


まるで演劇を観ているかのような抑揚ある話振りに、シーマスもステルカーナもただ聞くことしかできなかった。

早口のようでいて、しっかりと言葉は聞き取れる。何を言っているか理解はできないのに意味はわかる。

不思議な感覚だが、謝ったことと皇女を休ませてあげてほしいということ、そしてシーマスのことを褒めているということはわかった。

大げさな言葉を使っているが、いや、大げさな言葉を使っているからこそだろうか、シーマス本人にも褒められていることが伝わったようだ。

得意げな顔からそれが見てとれる。


「無論だ!ステルカーナ、疲れていたのなら一言声を掛ければよいものを。

休んできなさい」


休みたいと言ったところで何だかんだと無視するだろうに、シーマスはまるで自分は寛大だと言わんばかりの優しそうな表情でステルカーナの頭に手を置いた。


「まあ!さすが赤子の髪を撫でる春風のようにお優しい陛下ですわ。

あ…ステルカーナ様、わたくしもお供いたします。体調の優れない時に一人は心細いものですわ。

年頃も近いですし、仲良くなりたいと思っていましたの。

皇帝陛下、皇女殿下のお側に侍るお許しを頂戴してもよろしいでしょうか?」


うるうるした目で陛下に訴える。

彼女の飾りに飾り盛られた言葉は、よくよく考えてみると本当に大げさに思える。

もちろん、皇帝陛下への言葉遣いとしてはむしろ正しいくらいだが、ここまで畏まった言い方は、公の謁見の場でぐらいにしか使われないだろう。

だが公爵令嬢の早口でまくしたてられる言葉を拾おうとした時には、これぐらい大げさな方が逆に伝わりやすい。

「なんて言った?」と言葉そのものを理解する前に、「敬われた、あ、褒められた」ということだけ伝わるのだ。


たとえば仕立て屋にドレスの注文をする時、サンプルのドレスを高速で次々見せられたら何が何やらわからないが、その見せられるものの中にちらちらと金やら宝石やら華美な刺繍やらが見えたら、たとえドレスの前側しか作られていないハリボテだったとしても、それには気づかずにどうやら高価なものを見せられているらしい、とだけ感じるようなものだ。


しかも相手は、こちらがわかっている前提で話をしてくるものだから、「よくわからない」と伝えたら馬鹿だと思われるのでは?と、見栄を張るような相手にはかなり有効な話の進め方だと思われる。

そしてシーマスはあまり深く考えられる性格ではないから、まんまと転がされている。

ステルカーナは、この少女の喋る様子をちょっと面白く眺めていた。


「ああ、構わん。ちょうどステラにも話相手になる令嬢が必要だろうと思っていたところであった。

公爵令嬢であれば身分も申し分ない。

いやレイフォード公爵、よい令嬢に育てられましたな」


はっはっは、と上機嫌に笑うシーマスをげえっという顔で見るステルカーナは、それを誰にも見咎められないようにそそくさとティアナに腕を組まれて、大広間から離れるため廊下へ連れ出された。

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