よかれと思ってブーメラン

 さて、皆さん。

 かの偉大なる東近江市長閣下が御指摘になったフリースクールでありますが、かねての閣下の弁を総合いたしまするに、とりわけ小中学生の不登校の子らが通う場所についてを指摘されているように思われます。


 もっとも、フリースクールと申しましても、そのような場所ばかりでなく、かつては大検フリースクールのようなものもありました。今その手のものは、通信制高校もしくはその周辺の学習塾等に拡散されてしまっていますがね。

 ともあれ、大検こと大学入学資格検定という試験制度が脚光を浴び、それを知った若者やその保護者の力によって認知度が高まり、そのような私塾、言うなら学習塾や大学受験予備校のような組織が全国的にいくつかできておりました。

 1990年代初頭時点では珍しかった故、地方都市では新聞に掲載されたこともありますね。私の知っている方でも、そのような場所をおつくりになった方もおられました。私塾、言うなら市井の学習塾と呼ばれる場所も、実はある意味、フリースクールと言える場所ではありますね。

 そうそう、これは物議ものではありますが、戸塚ヨットスクールや風の子学園のような場所も、フリースクールという範疇に入りましょう。

 いずれにせよ、学校教育法で規定されている、いわゆる学歴としてカウントされ得るルートから外れたものは、すべて、フリースクールと言えましょう。

 そうですね、司法試験予備校や、各種受験予備校にしましても、その観点から言えば、フリースクールといえなくはないですね。各大学には、司法試験受験対策の団体、有名なところで言えば中央大学の真法会などが有名でして、受験新報という歴史ある受験雑誌も出されていました。かの作家さんの母校の岡山大学にも、岡法会(こうほうかい)という同じような団体もありまして、岡山近郊在住の他大学出身の受験生の方も多数おられました。これらの団体も、フリースクールと言える範疇に入ると言えば、その通り。


 いろいろ、このフリースクールという概念に該当すると思われるものを列記してまいりましたが、さて、この度問題にされているのは、先ほども申し上げました通り、義務教育の範疇にある小中学生の、特に不登校の子らに対処している組織・団体のことであることは明白であります。それが証拠に、大学受験予備校や各種資格試験予備校、今や高校中退者の受け皿となっている広域通信制高校などからの批判は、現在のところ確認できておりません。そんな団体から、一介の地方都市の市長あたりとやり合うなどということは、まあ、あり得ませんね。


 問題となったのは、結局、小中学生の不登校になっている子、そしてそれに対処している親をはじめとした保護者各位なのです。

 しかし、同志社大学を卒業されて滋賀県庁の幹部にまで上り詰め、県議会があろうものなら議員各位には追及され、県知事からは発破をかけられ、板挟みのような立場を続けてこられた後に、幸運にも市長となって故郷に更なる錦を飾られ、順風満帆なる人生の総決算と故郷の東近江市の皆様のために日夜業務に励んで来られた、そんな閣下のお姿には、無論ワタクシのような物書きから拝見いたしましても、頭の下がる思いに御座います。

 そんなお方が、ナニユエ、フリースクールという組織・団体の在り方にとどまらず、不登校問題について自らの感覚や経験則をもとにこのような発言をされたのでしょうか。

 昔なら、それこそ大検を経て大学に行こうとした私なども、この偉大なる市長閣下に言わせれば、学校教育をないがしろにしてテメエの個人的栄光、そうですね、映画で言えば日本語名「炎のランナー」のハロルド・エイブラハムズがケンブリッジ大学の幹部教授らに呼ばれていろいろ言われるところと同じような御感想をお持ちになられるのでしょうな。

 もっとも、私のことですから、市長閣下はさておかせていただき、当時の大人と言われる人物らのくだらぬ郷愁的で牧歌的な高校論を聞かされても、一切聞く耳を持たずに排除排斥しましたが、まあ、こんなヒトデナシは、置いておきましょう。


 この一連の経緯を見て、フリースクールという場所に公的な資金を投入することの是非を論じていればよさげなものの、その根本たる不登校の子らや親らを怒り嘆かせるような言動をなさったわけですが、もったいないことをされたものです。

 実のところ、私のような強烈な人間に言わせれば、このくだらん木っ端役人くずれの盆暗市長がということになりましょうが、繰り返します、こんな奴はとりあえずおいておきましょう。なんせ、大学を出たての頃にはセーラームーン、50代の今やプリキュアを観ているという、市長閣下のお若き頃には到底想像もつかなかったようなオトナで、しかも奇妙な発言力と発信力のあるような御仁ですからね。

 なんせ、もはや「手遅れ」と言われて久しいおっさんですからな。


 そこに来て、市長閣下にあらせられては、未来ある子どもたちとその親をはじめとする保護者各位に向け、大いなる愛情をもって、一見厳しい、しかし、慈悲に満ち溢れたるその御指摘には、愚生も、その素晴らしさに涙がちょちょぎれる思いで一杯、なのであります。

 手遅れ完満載のワタクシ風情には、とてもできぬ芸当であります。ええ。

 ですが、この度の事件、改めて申しますが、情勢は、きわめて閣下にとってはよくない状況に置かれているものと指摘せざるを得ないのであります。

 報道によりますと、市長閣下は次のようなことを仰せとのことですね。

 改めて、御指摘申し上げましょう。


「文部科学省がフリースクールを認めたことにがく然としている。よかれと思ってやることが国家の根幹を崩しかねない」

 NHKの関西NEWSWEB・10月18日18時28分

滋賀 東近江市長“フリースクール 国家の根幹崩しかねない“ からの引用です。


 さて、市長閣下の弁として紹介されたこの2文を分析いたしますね。


 まず、1文目。文部科学省の政策についていかなる意見を小椋さんがお持ちになられようが、それは、思想の自由です。ではわたくしも、思想の自由を行使いたしまして、小椋正清さんの御意見に対する愚見を申し上げますね。

 あ、そ。

 この一言に尽きるのであります。

 市長閣下におかれては愛想なしと思われましょうが、これも、思想の自由や。

 ではお前はこの件をどう思うのかと言われそうですが、ここは愚見を披露する場ではありませんので、ここでは述べません。

 ま、ひねくれ者の愚見など、どうでもいいではないですか。


 さて問題なのは、2文目ですね。

よかれと思ってやることが、国家の根幹を揺るがしかねない。(著者読点追加)

 あえて1文中に読点をつけ、前半と後半に分けて論じましょう。

 まず、後半についてはある事象に対しての市長閣下の御高説、すなわち意見の部分に過ぎませんので、ここは論じません。時間の無駄。

 問題は前半。「よかれと思ってやることが」中、「よかれと思って」の部分。

 そう思う対象は誰やねん。それが問題となりましょう。

 その主語、誰や?

 あくまでもこの報道の切取部分からという前提から言えば、ここは文部科学省ということになりますね。もっと突っ込んでいけば、立法者。

 ところで市長閣下におかれては、行政権の一翼を担う特別職地方公務員であらせられますよね。

 およそ公務員は、憲法をはじめとする法令に従う義務がありますね。

 立法者が作った法令に従わねばならぬ立場であります。

 その運用については、行政権が担うわけでありますけれども、根拠法令としての教育機会確保法という、ワタシみたいなものからすれば、少年期に合ったらこんなありがたいものはなかったという法律ですけど、それを根拠に、国家機関である文部科学省が指針を出している。それに対して、根本の部分においては地方公務員としてはしたがざるを得ませんよね。


 まあ、そんなゴタク能書はよろしいとして、問題は、市長閣下の世にも素晴らしきお言葉。改めてご指摘致す。

「よかれと思って」

 よかれと思ってしたのにそれが裏目に出た、とか、そういう言い訳ごかしたテキストが考えられますね。


 そうそう、その言葉ですよ、市長閣下。

 貴殿が「よかれと思って」、善良な、普通の人たちとやらを思って、そうでないと思われた不登校関連の子どもや大人を怒らせ、悲しませてしまった。その怒りは収まるわけもなく、今もってくすぶっておるではありませぬか。

 その言葉、実は、市長閣下にブーメランとなって帰ってきておるのであります。

 

 閣下がクビチョー会という公の場において、しかもその発言がマスコミ、それも一部からはパヨクの巣窟のようにも言われる某全国紙サンの記者なんかのおられる前で、そんなこと言ってごらんなさいよ。

 裏目に出マッセ、そのよかれと思って述べた言葉が。


 残念至極ではありますが、市長閣下、不登校に悩む親子各位、それをサポートしているいわゆるフリースクール関係者各位に、貴殿は感情的反発を食らっておられますけれども、これは単なる感情の問題ではありません。

 その場で真剣に生きている親子やその関係者らを、期せずして愚弄嘲笑したも同然の言動をしてしまっているのです。


 情勢は、きわめて閣下において悪いですぞ。

 これをもって閣下は、フリースクールに公費を投入することの是非云々を論ずる資格を疑われる立場に置かれてしまっているのであります。

 閣下のよかれと思ってお述べになられた言葉は、閣下をして、一地方自治体のクビチョウとしての資質を問われるに余りある者となってしまいました。


 しかしながら、不幸中の幸いともいうべき情勢も述べておきましょう。

 貴殿の弁によって傷ついたと言われる関係者の皆さんは、問答無用の市政で閣下に対峙しようという意思は毛頭ないようであります。

 むしろ、関係者の皆さんの立場と思いを語ることで、貴下と対話をもって、不登校、そしてフリースクールの在り方、さらには教育全般に至るまで、繰り返しますけど、対話をもって前向きな形での終息を望んでおられます。


 これがきな臭い政治案件でしたら、まして政治的に対立するもの同士の争いであるならば、問答無用の、下手すれば暴力を用いての解決に動く者も出てくるかもしれません。現に日本でも、近年そのような動きが幾分みられ、昭和戦前のようなきな臭い状況が現実になることもありましたね。


 ですが、この問題は、決してそういう性質に至るものではないこともまた明白ではありませんか。

 愚生はここに、東近江市長閣下の政治人生をかけ、自らの信念をこの度不幸にも対立に至ってしまった皆さんとの対話によって、本件につきしかるべき落としどころを模索されることを、ここに提言する次第であります。

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