第4話「グルメでポン!たこ焼き大回転バトル」

 嵐が家に来てから数日が経つと、嵐がどういう人間なのか少しだけわかってきた。

 まず、嵐は炊事洗濯がほとんどできない。何故かというと、嵐はガスコンロや洗濯機、電子レンジといった機械の使い方を殆ど知らないのだ。見た事はあるといっていたが、触ったことはないという。一体、こいつはどんな環境で育ったんだと酷く疑問だ。

 しかも、使い方を教えてやったら教えてやったで問題行動を繰り返す。例えば洗濯機に液体洗剤を一本入れてしまう、ガスコンロでマシュマロを焼いたりする、電子レンジに卵をいれて爆発させる……。俺は何度、「嵐ィーッ!」と叫んだか分からない。

 あと、嵐は好き嫌いが激しい。甘いものは何でも食べる癖に、スーパーやコンビニの惣菜や弁当の味に厳しいのである。この前なんかは、嵐が三割引の弁当の米は硬いから嫌だと食べなくて喧嘩になった。最終的になるべく俺が飯を作ることで落ち着いたが、俺もほとんど料理をしないからとにかく四苦八苦している。

 だが意外な事もあった。嵐はわがままで大雑把だから、てっきりゴミや服を散らかしたりするのかと思ったらそういうことはしないのだ。俺が教えたとおりにごみを分別し、俺が洗濯した服は気が向いたときにだけだがしっかり綺麗に畳み、食事をする時は繊細で美しい箸使いをする。育ちが良いのか悪いのか、どっちなのか。嵐がどういう性格なのかについて知る度に、彼の素性の謎が深まる。不思議な男だと思った。いや、結局わからないんかい。

 事件が起きない日、大抵俺は警察署に仕事に向かい、嵐は基本留守番をしている。家に毎日いて暇じゃないのかと聞いたが「慣れてる」とだけ答えられた。それがどういうことなのか、俺には分からなかった。

「嵐、帰ったぞ」

 今日もいつものように家に帰ると、嵐がテレビを見ていた。テレビを見た事がないという嵐は、今やテレビの虜だ。毎日テレビに噛り付く姿がまるで子供のようで、時々笑ってしまう。

「三代木」

 帰りの途中、スーパーに寄って買ってきた食材を冷蔵庫に詰め込んでいると、テレビを見ていた嵐が俺に声を掛けてくる。どうしたのかと振り返ると嵐がいつの間にか俺の傍に立っていた。テレビはもういいのだろうか。

「たこ焼きが食べたい」

 嵐が目を光らせて俺に言う。たこ焼き……一体何でそんな事を言いだすんだと首を傾げると嵐が更に言った。

「テレビでたこ焼き屋という店の話をやっていた。探しに行くぞ」

「え、今からか……って、もう行く気満々なんだな」

 嵐はすでに玄関で靴を履き始めている。嵐の食に対する行動力、すごすぎる。

 嵐が俺を待たずに部屋を出て行こうとするのを慌てて追い、俺達は日の沈んだ都市に繰り出すことになった。

 銭湯の事件で使ったタンデム自転車に二人で乗ると、繁華街を目指す。確か二丁目にある繁華街には屋台が並ぶ通りがあったはずだ。そこにならたこ焼き屋も一つくらいあるだろう。

 それから自転車を漕いで数十分経った頃だ。繁華街に到着し、屋台がある通りに差し掛かった。だが……その通りには屋台も人もほとんどいない。

「……妙だな? ここのはずなんだが」

 俺が前にこの道を通ったときは、沢山の屋台と、会社帰りのサラリーマンなどの街の人で賑わっていたはずなのに。何かあったのかと通りを観察していると、ぽつんと明かりが灯った屋台が一つ目に入る。

 俺は自転車を適当な所に停めて、嵐と屋台の方に歩いていく。暗がりの道にたった一つ開かれた屋台、それは嵐が求めていた「たこ焼き屋」であった。

「たこ焼き……」

 嵐が早足で店へと近寄っていく。俺は通りの異様な静けさへの違和感が拭えず辺りをきょろきょろと見回した。何故、こんなにも人がいないのだろう。

「あ……いらっしゃいませ」

 ふいに聞こえたか細い声に店の方を向くと、店の中に、年若い大人しそうなショートヘアの女性が立っていた。俺が頭を下げると、彼女も控えめに頭を下げる。少し、怯えたような視線が気になった。

「三代木、食べたい」

 嵐が俺の服の袖を引っ張った。子供みたいなやり口で、俺に「たこ焼きを買え」と要求してきている。嵐の方に顔を向ければ、ルビー色の光る視線が俺に突き刺さった。コイツは一体何歳なんだ、まったく。

「ええい、わかったよ! 買えばいいんだろ、買えば」

 こっちは別で気になることがあるっていうのに。俺はスーツの内ポケットから使い古した財布を取り出すと、女性にたこ焼きを一つ頼んだ。「三百円です」と透き通った声で言われて、すぐに小銭を出す。

「ありがとうございます」

 彼女はお金を受け取ると、透明な容器に所狭しと並んだたこ焼きを俺の方に差し出してくる。ほんのり熱い容器の温度からして、作り立てであることが伝わってきた。たこ焼きの上に乗るかつお節がゆらゆらと揺れ、ソースの良い匂いが漂う。これは美味しそうだ。

「嵐、ほら……って速いッ!」

 嵐は俺が差し出した容器をすごい速さで奪い取ると、手早く爪楊枝でたこ焼きを突き刺して口に運んだ。速すぎて全然見えなかった。

「……うまい」

 嵐の顔がほんのり嬉しそうに明るくなる。実は嵐が案外クールで無表情なようにみえて表情豊かなのだと最近気づいたのだが、今日は特段嬉しそうだ。嵐はその後ももぐもぐと口元を動かして二個目三個目を口に運んでいく。そんなに急いで食べなくてもいいのになあと様子を見ていると、俺の視線に気づいた嵐が「三代木も食え」とたこ焼きを差し出してきた。いや、元々俺の金なんだけどなそれ。

「俺はいいよ。嵐が全部食べ、むぐっ」

「いいから食え」

 口の中に熱いたこ焼きを押し込まれた。問答無用すぎる。コイツの育ちが良いなんて思った俺が馬鹿だったかもしれない……などと思いながら、たこ焼きを咀嚼した俺は、はっとする。

 外はカリッと、中はとろりとした滑らかでギャップのある熱い生地。紅ショウガやネギなどの様々な材料が織りなす複雑なハーモニー。それに重なる様にして濃厚なソースとマヨネーズが絡まり合う。極めつけに、かつお節のやさしくも強烈な抱擁……口の中に「たこ焼き」の世界が広がり、味覚を満たしていく。

「う、美味すぎる……」

 俺は気づけば天を仰いでいた。嵐が横目で「どうしたんだろうコイツ」という引き気味の顔で見ていたのも無視して俺は店の店主であろう女性に言った。

「すごく美味しいです! こんなに美味しいたこ焼き……初めて食べました!」

「あ、ありがとうございます。そんな風に言われたの、初めてです」

 女性が照れたように笑って俯いた。その仕草が妙に可愛らしく、ドキッとしたのを誤魔化すように俺も笑う。

「そ、それにしても……ここら辺、もっと賑わっていませんでしたか? 今日は屋台も人も、殆どいないですよね」

 俺がそう話を振ると、さきほどまで嬉しそうだった女性の表情が一瞬で曇る。

「何かあったのか」

 女性に、今度は嵐が問いかける。彼女は何か言いたそうな、不安げな顔をして俺達を見る。そこで俺は、懐にあった警察手帳を見せた。

「警察署に勤めている者です。なにかお困りの事があれば、相談に乗ります」

「警察……?」

 彼女が驚いたような顔をする。俺は頷いて、話をつづけた。

「俺は刑事の三代木と言います。そっちは……その、相棒の嵐です。俺達は、蘇芳で起こる怪事件の調査をしているんですが……何か変わったことはないですか?例えば、変な化け物を見た、とか」

 俺の言葉に彼女は益々驚いたような、怯えたような顔をして唇を震わせる。

「化け物……は、はい……。見た事が、あります……」

 彼女は躊躇いがちにそう言った。俺は「本当ですか!」と身を乗り出した。是非話を聞かせて欲しいと頼むと、彼女は顔を青くして話を始めた。

「つい、先月のことです。突然、ここに化け物が現れて……。出ていた屋台をめちゃくちゃにしたり、お客さんを襲ったりし始めたんです。ほとんどのお店は、化け物を怖がってここに店を出さなくなりました。警察にも、相談したのですが……そんなことありえないと取り合ってもらえなくて」

「……そうだったんですか」

 きっと、警察は怪物の件には一切触れない気なんだろう。人々の平和が脅かされているというのに、なんて怠慢なんだろうか。俺は許せない気持ちになって唇を噛む。

「何故、店を出し続けているんだ。怪物が怖くないのか」

 黙っていた嵐が、彼女に尋ねた。彼女は顔を上げて言う。

「このお店は、私のおじいちゃんが残してくれた大事なお店で……この場所は、おじいちゃんが大切にしていた場所なんです。だから、絶対ここから逃げ出したくない。私は、おじいちゃんとの思い出を守りたいんです!」

 今にも泣きそうな顔で彼女が訴える。その潤んだ力強い瞳に、俺は胸が苦しくなる思いだった。俺は彼女の強い意志に心打たれ、何が何でも怪物を退治したいという気持ちになった。

「俺が……必ず、この場所の平和を取り戻します。だから、安心してください」

「……三代木さん」

 彼女の瞳から涙が一つ零れた。誰にも頼れなくて心細かったんだろう事が伝わって来て、益々闘志が燃え上がる。絶対に、この場所の平和を取り戻さなければ。俺は強く拳を握り締めた。

「私、美也子と言います。三代木さん、よろしくお願いします」

「美也子さん、ですね。よろしくお願いします。……では、早速ですが事件当時のことについて教えていただけますか?」

「はい、あれは……」

 俺は美也子さんから事件が起きた時の話を一通り聞き、今後の捜査に役立てることにした。そして、その日は一旦美也子さんに早めに店をたたむ様に言って、明日から俺と嵐が店の周辺を警備することにした。

 家に帰ると、慌しく捜査の準備が始まる。といいつつ、慌しく動いているのは俺だけなのだが。嵐はモチテルを使ってケイに連絡をしたり捜査の準備をする俺を眺めているだけで、特にこれといって焦った様子もない。いつものように風呂に入って、布団の中で寝る準備をする嵐の横で、俺は仕事をする。

「三代木は、どうしてそこまでするんだ」

 俺が美也子さんから聞いた話をメモにまとめていると、ふいに布団に入った嵐が言った。俺は嵐の方を見る。

「蘇芳の平和を守る……それが、俺の仕事だからだよ。それに俺は、悲しんでいる人を放っておけない性質でな。美也子さんの涙を見た時、絶対この人を……この人の大切な想いを守りたいと思った」

 だから、俺は必死になる。例え嵐のような特別な力がないにしたって、出来る事はあるはずだと信じながら。何かを守りたいと強く願う人の事を、俺は絶対に助けたいのだ。

「……そうか」

 嵐はそれだけ言うと、布団を被って寝てしまった。相変わらず、何を考えているのだかよくわからない奴だなと肩を竦めると、俺は捜査資料作りを再開した。


 ***


 朝起きると、嵐の姿がなかった。一体何処に行ってしまったんだろうかと心配になり、今すぐにでも探しに行くべきかと考えて家を出ようとした。アイツが外で何をしでかすのか分かったものではないからだ。しかし、そんな時になって俺のモチテルにケイからの連絡が入る。どうやら、屋台を荒らした怪物の情報が早くも掴めたらしい。

 俺は迷った末に、美也子さんのお店の警備の事なども考えて先にケイの元へ向かうことにした。嵐はきっと気まぐれに何処か散歩に出も行ったんだ。それに、嵐にはガデンの力がある。何かあっても、アイツなら何とか出来るだろう。

 出勤して早々こっそり資料整理室を抜け出して喫茶店に向かった俺は、いつものボックス席でケイと対面する。

「ケイ、それで情報は?」

 向かい側に座ったケイは、机にフロッピーディスク……ではなく、ホッチキスで留められた紙の束を置いた。俺はそれを手に取ると、ぱらぱらとめくっていく。どうやら、何かの資料らしいそれを見て、俺は顎に手を当てる。

「土地の再開発か……」

 その資料には、土地の再開発計画について書かれていた。あの屋台の並んでいた通りを整備して、マンションを建築する予定らしい。だが、多数の住民もとい屋台の経営者達の反対があったことで計画は難航しているとも書いてある。

 そして、その土地の再開発を要請したのは……黄金原財閥だ。

 土地の再開発計画。住民との対立。突如現れた怪物に、黄金原財閥の影。俺の頭の中でパズルのピースが組み立てられていく。

「……もし、あの通りから屋台を立ち退かせるために財閥が怪物を解き放ったとしたら……」

 俺の予想が正しいのならば、立ち退かずにあの場所に残っている美也子さんが狙われる。俺はすぐに立ち上がると財布からお代を出して机に置き、「すまん! ありがとうケイ!」と叫び急いで店を出た。

 俺は喫茶店の外に無理矢理止めた自転車に飛び乗ると、そのまま勢いよく漕ぎ出す。頼むから、何も起こっていないでくれと願った。

 そのまま自転車で街を疾走し、ようやく二丁目の繁華街近くまで辿り着いた頃。通り過ぎた二人の男の声をふと耳にする。

「あっちの屋台通りのとこ、ヒーローショーみたいなことやってるみたいだぜ」

「そうなのか?何かの撮影かなあ」

 ヒーローショー? まさか……。俺は何かの予感を感じて、すぐに屋台通りまで自転車を走らせた。

 屋台通りに到着すると、人だかりが出来ていた。何事かと思いながら自転車を適当な所へ停めて、人混みを掻き分けていく。

「あ、あれは……!」

 人混みの中心には、ガデンに変身した嵐と……もう一人、タコとパンダが融合したような頭をした怪物が立っていた。

「この俺、オクトパンダ様の邪魔をしようなんていい度胸じゃねえか!」

「そっちこそ、この俺の庭で暴れようなんていい度胸だ」

「なにぃ? お前の庭だと? ここはオクトパンダ様が占領するのだ! とっととそこの女とここを出て行きな!」

 そこの女、という言葉で俺はガデンの後ろを見る。ガデンの後ろには、怖がっている美也子さんの姿が。俺は人を押しのけて、ガデンと美也子さんの元へと駆け寄る。

「ガデン! 美也子さん!」

「三代木さん……!」

 美也子さんの強張った表情が少し緩んだ。ガデンは「遅いぞ、三代木」と俺に言って、再びオクトパンダと睨み合う。

「ふん、意地でも退かないか……。いいだろう、ガデンとやら。ならば俺と勝負しやがれ。お前が勝ったら、この場所をお前に譲ってやろう」

 オクトパンダの図々しい態度に、はらわたが煮えくり返る思いだった。元々、ここは美也子さんや市民の人たちの場所だ。それだというのに、勝手に暴れまわった挙句に占領しようとするなんて……許しちゃいけない!

「ガデン、俺がやる。だから君は美也子さんと……!」

 頭に血が上った俺が前に出ようとすると、ガデンが黙って俺の肩を掴んで引き留める。何をするんだって顔でガデンを見ると、ガデンは静かに言った。

「三代木、お前じゃアイツには勝てない。」

「……君のような力がないから? そう言いたいのか?」

「そうだ」

 言い切られて、言葉を失う。そりゃ、そうだろう。俺はガデンのように変身能力を持っているわけではない。怪物に生身で立ち向かえば、バブルクラヴの時と同じようになりかねない。でも、だとしても俺は……。

「お前が今するべきことはあのタコ頭と戦う事じゃないだろ」

 ガデンの言葉に、ハッとした。……そうだ。俺は、美也子さんやここにいる人達を守らなくてはいけないのだ。勝ち目のない戦いに挑むことを優先すれば、俺が守りたいと思っているモノが守れなくなるかもしれない。

「あのタコ頭と戦うのは俺でいい。お前は、まず自分が守りたいと思うモノを守れ」

 まさかガデンにそんな事を言われると思わず、俺は面食らう。だが、ガデンの言う通り、俺は無謀な戦いに挑戦するよりも、守るべきもののために動く方が大事だろう。

「……任せたぞ、ガデン」

「ああ、任された」

 ガデンの仮面越しに、嵐が笑った気がした。

「話は終わったか、人間ども」

 オクトパンダが腕を組んでつまらなそうな態度でこちらを見ていた。一応待ってくれる優しさがある事に突っ込みたい気分だったが、今はそれどころではない。

「おいタコ頭、勝負に乗ってやる。とっとと始めるぞ」

 ガデンがオクトパンダを指さす。すると、オクトパンダは豪快に笑って「いいだろう!」と言った。

「勝負は名付けて、『チキチキ! どっちが上手く作れるかな? たこ焼きグルメレース!』だ!」

 ふざけた名前付けやがって、と吠えたくなった。宴会のゲームじゃないっていうのに、毎度毎度なんなんだこいつらは。

「ルールは簡単だ。俺とお前のどちらが美味いたこ焼きを作れるか競う勝負だ」

「なるほどな、そりゃ簡単でいい。やるぞ」

 ガデンが頷くのを見て、俺は慌ててガデンの耳元に顔を寄せる。

「お、おいガデン……君はまずたこ焼きが作れるのか?」

 ガデンの中にいる嵐は、壊滅的に料理が出来ない。家電の使い方も分からない男が、たこ焼きの作り方なんて到底知るはずもないだろう。

「さっき、美也子から作り方を教わった。だから作れる」

 自信ありげなガデンの言葉に驚く。え、そうなのか? 俺が美也子さんの方を見ると美也子さんが「ほ、本当に少しだけですけど……」と困った顔をする。

「大丈夫だ。俺の腕を信じろ」

 卵をレンジで爆発させてマシュマロをコンロで焼く男を信じろというのはちょっと無理があるだろと思ったが、「任せた」と言ってしまったのは俺だ。ここはもう……やけくそだ。

「これで勝てなかったら許さんからな」

「心配ない。俺はもう既にたこ焼き作りの天才になっているんだからな」

 いつそんなものになったんだ。俺は段々呆れた気持ちになって、ため息をつく。本当にこの男を信じて良いのだろうか……。

「それじゃあ、始めてやろうじゃねえか!」

 オクトパンダの声と共に、人混みの中から数人の土方の服を着た男たちが現れる。その顔はタコの被り物によって素顔を隠されており、この前戦ったサウナットウの手下と同じようなものなんだろうことを察した。

 オクトパンダの手下達は、美也子さんの持っている屋台の隣に簡易的なたこ焼き屋の屋台を目を瞠るスピードで作り上げた。やはり、何か超人的な能力が備わっているんだろう。

 オクトパンダは建てられた屋台の中に入っていき、ガデンもまた屋台の中に入っていく。戦いの前の静けさに、俺や美也子さんだけでなく、周囲の観衆もまた緊張していた。世紀の決戦が幕をあけようとしているのだと、誰しもが固唾を飲んで見守っている。

「いちについて……よーい」

 オクトパンダの手下の一人が、屋台の外でスターターピストルを天にかかげた。あれが始まりの合図になるのだろう。

 ……静寂から数秒後、パンッという発砲音と共にバトルが開始された。

 オクトパンダとガデンは即座に鉄板に油を敷いて専用のブラシで手早く塗り広げていく。それから瞬く間にクリーム色の生地が流し込まれ、タコや天かす、紅ショウガといった具材が生地の中に落とされた。今のところ、二人の動きは互角だ。

「ほう、早さは中々だな。」

「ふん、お前もな……タコ頭」

 両者が睨み合う。そのままたこ焼きの生地が焼ける音だけが響いていたかと思うと、二人同時にたこ焼きをひっくり返すためのモノであろうピックを取り出し、素早い手つきでたこ焼きをひっくり返し始めた。両者一歩も譲らぬ手さばきに、俺は唖然とする。まさか、ガデンこと嵐にこんな力があるとは思わなかった。オクトパンダも、見た目に反して繊細な手つきでたこ焼きをひっくり返すことが出来る事に驚きを隠せない。

 俺が唖然としているうちに既に二人のたこ焼きは出来上がりを迎え、次々とパックに詰められていく。

 数人分用意された熱々のたこ焼きにさっとソースにマヨネーズ、それからかつお節と青海苔がふんわりとかけられ……ついに二人のたこ焼きが完成した。

「ククク……それじゃあ、実食といこうじゃねえか」

 オクトパンダが自信満々に笑い声を漏らす。自分のたこ焼きが一番だとでも言うように。

「ああ、そうだな……じゃあ、三代木。頼んだ」

 俺がオクトパンダを睨んでいると、突然ガデンにぽんと肩を叩かれた。え? 俺が食べるのか? とガデンを見つめる。

「俺はマスクを外せない。だから三代木、お前に託す」

「ええ……?」

 任せろって言ったじゃないか! と叫びたくなった。すると、オクトパンダも異議があるようで「おいガデンとやら」と口をはさんでくる。

「そこの奴にたこ焼きジャッジが本当に出来んのかぁ?」

「ああ、出来るさ。なんせ三代木は、北は北海道西は九州沖縄までありとあらゆる地域のたこ焼きを食い尽くしてきた『たこ焼きマイスター』だからな」

 謎の設定を俺に加えるなと言いたくなったが、オクトパンダが「そうなのか!」と何故か心底感心したような声を出すものだから俺も乗るしかなくなった。

「そ、そうだ。俺はたこ焼きの事に関していえばプロフェッショナルだ。マジもんのガチだ。オクトパンダ、お前の実力……このたこ焼きマイスター☆三代木が試してやる!」

 芝居めいた台詞になんだか気恥ずかしくなったが、ここはもうこれでゴリ押すしかない。オクトパンダは「フン……なら、食ってもらおうか」と俺の方にたこ焼きを差し出した。

 これは本当にちゃんとしたジャッジをしなければならないなと、少し緊張した手つきでたこ焼きを爪楊枝で刺して口に運ぶ。

「……!」

 口の中にたこ焼きを放り込んで咀嚼すると、ふわりと香ばしい味が広がる。サクッとした表面を噛みしめると、ふわりと柔らかな中身からまろびでる味深いタコの味。噛めば噛むほどタコや生地の旨味が広がり、味覚が満たされていく。

「う、美味い」

 思わず出た本音。それを聞いて、オクトパンダが自信満々に笑った。

「だろう? このオクトパンダ様のたこ焼きは世界イチ……いや宇宙イチの美味さだからな」

 うんうんと頷くオクトパンダ。悔しいが、今のところ美也子さんのたこ焼きを食べた時と同じくらいの衝撃を受けているのは確かだ。俺は「ま、まだ勝負は決まったわけじゃない!」と叫ぶがオクトパンダをもう勝った気でいるようだ。

「三代木」

 ガデンに呼ばれて振り返る。このままじゃまずいぞと視線を送ろうとした俺の顔を、ガデンの手が掴む。何をするんだと言いたかった口を無理矢理開けさせられ、ガデンの作った熱々のたこ焼きを放り込まれた。

「あふぁっ」

 なんとか口の中の熱を逃がそうと躍起になる俺をガデンが無言で見つめる。とっとと感想を言えという圧を感じた。

「俺も食わせてもらうぞ」

 オクトパンダがパックに入ったガデンお手製のたこ焼きを爪楊枝でぷすりと突き刺して口に運ぶ。ようやっと熱があらかた逃げたのを機に、俺はたこ焼きを咀嚼した。……のと同時だった。

「なんっっ……じゃあこりゃあ!」

 オクトパンダが大声を上げる。その理由が、俺にも咀嚼してすぐに分かった。

「これ、生焼けじゃねえか! なにしてくれてんだお前!」

 オクトパンダがガデンの胸倉を掴んだ。ガデンはオクトパンダの態度に「フッ……」と小さく笑みを零す。

「テメェ……このオクトパンダ様を馬鹿にしやがって!」

 オクトパンダが拳を大きく振りかぶる。俺はハッと目を見開き、オクトパンダを見た。

「待て、オクトパンダ!」

 ガデンに殴りかかろうとしたオクトパンダに、俺は叫んだ。オクトパンダは俺の方を振り向き「……あ?」と低い声で睨んでくる。その視線を受けながら、俺はもぐもぐと口を動かしてたこ焼きを飲み込んで言った。

「これは生焼けなんじゃない! 中に……チーズが入っているんだッ!」

「チーズ……?」

 オクトパンダが不思議そうな声を出す。それから、ガデンを突き飛ばすと再びパックに入っているたこ焼きを頬張る。

「ムッ……確かに、これは……チーズ!」

「ああ、そうだ。食感にアクセントが欲しいと思ってな……チーズを混ぜたのさ」

 ガデンの言葉通り、たこ焼きの中にはチーズが入っていた。熱で溶けたチーズがタコや生地に絡みつき、新たなハーモニーを生み出している。今までのたこ焼きの常識とは違ったアイデアに驚きつつ、塩気のあるチーズがたこ焼きの旨味を更に引き出していて……とても美味しい!

「お、俺にも食わせてくれ!」

 野次馬の一人が身を乗り出し、オクトパンダの手元のたこ焼きをひょいと一つ奪う。そして、ぱくりと口に含み口元を動かしながら「うま~い!」と唸った。

「私も食べたい!」

「僕も、僕も!」

 野次馬の一人の行動を皮切りに、ひとの波がたこ焼きの屋台に押し寄せる。「ノワーッ!」と叫んだオクトパンダは人だかりに溺れて撃沈し、いつのまにかガデンは屋台の中で再びたこ焼きを作り始めていた。

「美也子、手伝ってくれ」

「は、はい!」

 ガデンと美也子さんが共同でたこ焼きを作るのを横目に、俺は屋台に群がる人々を順番に整列させていく。「順番ですからねーッ!」と叫ぶ俺は、警察というよりかは祭りのスタッフだった。

 騒ぎは次第に大きくなり、屋台通りはどんどん賑わっていった。皆がたこ焼きを美味しそうに食べる姿を見て、何処かほっとする。こういう優しくて温かい景色がこの屋台通りに戻ってきてくれたのが嬉しかった。

「ま、まてぃ……お前ら……!」

 俺が人々の様子を眺めていると、息も絶え絶えと言ったような声が聞こえて振り返る。そこには、ぼろぼろになったオクトパンダの姿。多分、人にもみくちゃにされて疲弊したのだろう。

「俺はまだ負けを認めていねぇ!」

「……負け、か。お前はもうとっくに、勝負を挑む前から負けているんだよ」

「なんだと?」

 俺の言葉に疑問を抱いているであろうオクトパンダに、静かに指をさした。

「誰の笑顔も想像できていない……お前の自己満足のたこ焼きなんてな、いくら美味しくたって意味がない。たこ焼きは、沢山の人を幸せにする食べ物でなくちゃならないんだッ! オクトパンダ、お前は沢山の人の幸せや笑顔を奪った時点で……既に負けているんだよ!」

「ぐっ……ほざけぇ!」

 オクトパンダが俺に殴りかかりに来る。ぐっと身構えた。戦う覚悟はできているんだ、俺は絶対に負けない! そうオクトパンダを睨みつけた俺の視界に、一人の男の背中がうつった。

 ガデン。俺が呼ぶ間もなく、オクトパンダがガデンの持ったハンマーのようなもので殴り飛ばされる。

「ウゲァーッ!」

 ちゅどん。勢いよく吹っ飛んだオクトパンダは、そのまま手下たちが作った屋台と一緒に爆発してしまった。爆風がふわりと頬を撫で、巻き上げられた砂利が目に入りそうになって思わず目を閉じる。

「三代木」

 声が聞こえて目を開けると、気づけばそこにはガデンの姿はなく、マゼンタ色の革ジャンを着た嵐が立っていた。

「嵐……屋台は?」

「美也子と、騒ぎを聞いて手伝いに来たらしい連中に任せてきた。」

「手伝いに来た……って、もしかして、他の露店の人たちが戻ってきたのか!」

「ああ、そうみだいだぜ」

 そうか…良かった。オクトパンダがいなくなった今、これからきっとまたこの屋台通りにも賑わいが戻る事だろう。

「帰るか」

 嵐が屋台通りとは反対方向に歩き出す。俺はその背を慌てて追いかけて言った。

「せめて美也子さん達に挨拶の一つくらいしていけばいいだろう。君は皆を救ったんだから……」

「俺は何もしていない。俺はただ……」

 嵐が立ち止まり、こちらを振り返る。ルビー色の瞳がじっと俺を見据えて、何かを言いたそうにした。不思議に思って首を傾げると、嵐がふっと穏やかに目を細める。酷く人間味のあるその優しい顔にきゅっと胸が締め付けられたのも束の間、嵐は再び俺に背を向けて歩き出してしまう。

 嵐の心境に、何か変化でもあったんだろうか? そう思ったけれど、ルビーの瞳から全てを読み取ることは出来なかった。

「そうだ、三代木」

 俺が嵐の背中を見つめていると、急に嵐が立ち止まる。どうしたんだ、とその背中に尋ねると、嵐が言う。

「今度はお好み焼きとやらを作ろう」

「……粉ものばっかりだな」

 でも、きっと器用な嵐が作るお好み焼きはきっと美味しいんだろうな。などと期待して静かに笑い、俺は嵐と肩を並べて歩き出した。

 この時の俺は、まだ知らなかった。これから数週間、様々なお好み焼きを作らされることを……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る