第2話「甘いシュークリームの罠、危うしガデン!」

 怪物と対峙した後、なんとか動けるようになった俺は掛かり付けの医者の所で手当てを受けた。打撲や擦り傷だらけの身体だったが、それでも出勤はしなくては行けなかったから、翌日は何事もないように書類整理室で仕事をした。とはいえ、俺が怪我を負っていても他の人間は気が付かないフリをするだろう。俺は警察署内では「禁忌に触れた人間」として処理されているのだ。俺に関われば命はないと、署内で噂されてしまっている。

 だから俺に味方はいない。少なくとも、署内には。これから暴いていく大きな闇に、一人で立ち向かうことに不安がない訳じゃなかった。でもやらなくちゃいけない。平和と正義の為に……。

 それから数日、緊急の連絡も入らないで静かに日々が過ぎた。俺は書類の整理を一つ終えると、電子辞書を模した小型のコンピューターをいじる。このコンピューターに情報屋の集めた数々のネタが記録されているのだ。怪物の目撃情報から、不可解な事件……文字の羅列に目を通していくと、最新の事件の情報が目に入る。

「……シュークリームの無料販売? 怪しいな」

 蘇芳市の九丁目西、昼間の公園に現れるシュークリームの無料販売。そのシュークリームを食べた人間が、次々に眠りについてしまっているらしい。病院では原因不明の病として処理されているようだ。これは、事件の匂いがするぞ。

 少し調べてみよう。俺は席を立ち、またいつものようにこっそりと書類整理室を出た。資料室を出て廊下を歩いていると、向かい側から刑事課の元同僚が歩いてくるのが見えた。まずい! 俺はサッと併設してある自販機の影に隠れた。

 様子を窺う為にちらりと顔を出す。どうやら、誰かを連行して取調室に入っていくようだ。強盗か何かでも捕まえたのだろうかと見ていてギョッとする。

「あっ、君は……!」

 思わず大きな声をあげて、連行されている人間を指差してしまう。元同僚の訝し気な視線が俺に向いているのも忘れて、俺は食い入るように男を見つめた。

 そこにいたのは数日前、化け物……バブルクラヴを退治したあの男。忘れもしない、あのマゼンタのヒーロー、驚飆きょうひょうのガデンだ。何故か知らんが、手錠をされている。

「また会ったな」

「また会ったな、じゃない! 君はこんな所でなにをして……」

 手錠をされて平然としている男の前に俺が歩いていこうとすると、間に割って入る様に元同僚が立ちはだかる。

「おい、コイツは公務執行妨害の現行犯なんだ。書類整理室の人間はお呼びじゃあない」

 しっしと追い払うような手つきをする元同僚。なに、公務執行妨害だって? 俺は眉を顰めて男を見る。男は相変わらず表情を変える事もなく「ちょっと手が当たっただけだ」と言う。

「ちょっとなワケあるか! お前、職質した警察官をリコーダーで殴ったろうが!」

「殴ってない。気安く俺の愛器に触ろうとした手を払っただけだ」

「それが公務執行妨害なんだよ!」

 元同僚の怒鳴る声が廊下に響く。男は顔色一つ変えない。この男、この前までヒーローみたいな奴だったはずなのに、警察を殴って逮捕……なんてやつなんだ。だが、先日の事をちゃんと聞きたい俺もいる。

「なあ、彼の取り調べを俺にやらせてくれないか」

「……はあ? いきなり何言い出すんだ」

「事情は話せないが、俺は彼に用事があるんだ」

「そんなの知るか! お前は書類整理室に戻ってろ!」

 元同僚が俺を睨みつける。くそ、こうなったら強硬手段だ。俺は同僚の背後を指さして「あ、警察署長!」と叫ぶ。皆の視線が一斉に後ろに向いたのを良い事に、俺は男の腕を掴んで書類整理室へと駆け出した。

「テメ、三代木ィ!」

 後ろから怒号が響く。しかし、そんなことに構ってはいられない。ここから逃げなければと必死で書類整理室を目指した。

 書類整理室に到着した途端、勢いよくドアを開ける。そのまま男を室内に放り込むと、俺はすぐにドアを閉めて鍵を掛けた。追ってきた元同僚が資料室のドアを殴る音を聞きながら、俺は男の方を見た。

「随分派手なことやるな」

 男は手錠をされたまま笑った。俺は「こんなこと、初めてなんだからな」とため息をつく。外はうるさいが、俺はこの男に聞かなきゃいけない事が山ほどある。

「君、名前は?」

 俺が尋ねると、男は数秒神妙な顔つきをしてから「……嵐」と呟くように言った。

「そうか。じゃあ嵐君でいいかな」

「呼び捨てでいい」

「わかった。じゃあ、嵐……早速だが、君は何者なんだ?」

「俺は俺だ」

「それは答えになってないんだが……」

「明確な答えだろ」

 何故か自信ありげな嵐の顔に肩を落とす。

「俺はそう言う事が聞きたいんじゃないんだ。君が何処から来たのかとか、どうやってあの……驚飆きょうひょうのガデンというヒーローになったのかとか、そういうことをだな……」

「そんなの知らん」

 きっぱりと言われ、俺は唖然とした。妙に堂々とした態度に気圧され、何も言えなくなりそうになる。だが「い、いやいや……」と俺は言葉を続けた。

「君自身のことなんだから、君が知らなくてどうする!」

「知らないものは知らない。俺はあまり物知りじゃないんでね」

 物知りじゃなくたって、自分の事くらいわかるだろう。それとも、後ろめたい過去でもあるのか? さらに問い詰めようとすると、嵐が一つあくびをして「それより」と俺の方に顔を突き出す。

「ここは空気が籠って嫌だ。場所を変えるぞ」

 嵐は言いながら、手首についた手錠を引っ張る。するとどうだろう、手錠の鎖がパキリと音を立ててちぎれた。とんでもない怪力だ。

 嵐が手錠を外す様子を呆然と見ていると、嵐は何でもない顔で歩き出し、書類整理室の窓を開けた。

「よし、鉄格子はついてないな」

「な、なにをする気だ?」

 はっとして嵐に問いかけると、彼は俺の方に手を差し出す。

「場所を変えると言った。ついてくるだろ?」

「まさか、ここから飛び降りる気か」

「そうだ」

 冗談じゃない! ここは警察署の三階だ。飛び降りたらひとたまりもないに決まっている。この男は正気なのかという顔で見つめると、嵐は言う。

「このまま大人しく、ドアの向こうのアイツらに捕まりたいか?」

 嵐の問いかけに、俺は首を横に振った。「なら、一緒に来ればいい」と嵐はすぐに言った。でも……俺は躊躇っていた。何故なら、俺は高い所が怖いからである。

 昔、友人に無理矢理バンジージャンプに連れて行かれてから、高い所が苦手になったのだ。例え三階でも、飛び降りると考えるとゾッとする。しかもバンジージャンプと違って、今は命綱がない。どうなるかわからないんだ。それなのに飛ぶなんて。

 俺が口元をもごもごとさせていると、嵐がため息をついた。そして、俺の目の前まで歩いてくると、少し屈んで俺の足を腕で掬い上げる。

「うわっ」

 バランスを崩した身体を、嵐のもう一本の腕が支える。軽々と抱えあげられたことに困惑しながら、一体何をするんだと嵐の顔を見る。すると彼は「じゃあ行くか」と何事もないように歩き出す。まさか、まさかだよな?

「このまま飛び降りる気じゃないだろうな!?」

 嵐は黙ったまま窓枠に足を掛ける。いよいよ俺は顔を青くして嵐の首にしがみついた。

「離れるなよ」

 嵐の言葉に俺は身を固くしてぎゅっと目を閉じた。ああ……頼むから無事でいてくれ、俺。

「ひっ!」

 ふわりと風が身体を撫でた。数秒、俺は自分が床に叩きつけられるのを想像したが、痛みはやってこない。恐る恐る目を開けると、にやりと笑う顔がすぐ近くにあった。どうやら、俺は無事だったらしい。

「走るぞ」

「えっ、あ、はあッ!?」

 ほっとする間もなく、嵐が全力で走り出した。それこそまるで嵐のような速さで警察署を出て何処かへと向かって行く。

 早すぎる嵐の足に降ろせとも言えず、ただ目まぐるしく変わる景色と通行人から変な目で見られているのを感じながら、俺は嵐に振り落とされないようにしがみつき続けた。

「こっちだ」

 ふいに嵐の確信に満ちた声。何かあったのかと嵐の顔を見るが、嵐の顔は酷く真剣で何も言わせない迫力だ。俺はすぐに閉口する。

 早足で到着したのは、何の変哲もない公園だった。木々とアスレチック、それから噴水なんかがある少し大きめの公園には、小さな子供やご年配の方の姿が見える。いたって普通の公園だ。

 池の前で立ち止まった嵐に、俺はやっとのことで叫んだ。

「嵐、いい加減降ろしてくれ!」

「……ああ、悪かったな」

 俺の存在に今気づいたみたいな声で、嵐が俺をその場に落っことす。声を上げる暇もなく、俺は浅い池の中に落ちた。服に水が沁み込んで一気に重くなる。ああ、今日って厄日かなにかなのか? 

「急に落とすやつがあるかこの馬鹿!」

 池から何とか這い出てそう怒鳴ったが、嵐は気づいたら別の場所に歩き出していた。自由奔放過ぎる。ついていけない。とはいえここで嵐を見失うわけにもいかず、俺は濡れた服のまま嵐の背を追った。

「あ……そういえば、公園……」

 嵐の事ですっかり忘れていたが、俺は公園に現れる移動販売の事件を調べようと思っていたのだったと思い出す。嵐も事件の事を知っていたりしないだろうか。

「なあ嵐……」

 そこまで言いかけた所で、とある場所で嵐が立ち止まる。どうしたんだ? と嵐がじっと何かを見つめる方向に視線を移すと、そこにはアイスの売っている自販機が。

「……アイス」

 嵐がじっと自販機を見ている。何か怪しい所でもあるのかと俺も自販機を観察するが、いたって普通のアイスの自販機だ。

 どうして立ち止まったんだと尋ねようとした時、ぐうーとお腹が鳴る音がした。嵐の方からだった。

「……」

 嵐がこちらを見る。おい、まさか買えって言いたいのか? 嵐は何も言わないまま、ルビー色の瞳を光らせる。なんだ、その捨てられた子犬のような目は! 買わない俺が悪いみたいな顔するな! ぐぬぬ……。

 俺はしばしその視線に抵抗したが……結局、観念してアイスを買ってやった。

 自販機の隣にあったベンチに座り、俺が服を乾かしている間に嵐はチョコレートのアイスを食べている。さぞ喜んで食べるだろうと思ったが、相変わらず真面目な顔でアイスを食べているのが妙にシュールだ。

「アイスとは、甘くて美味しいものなのだな」

 嵐が表情を崩さずに言う。なんでそんな当たり前の事を言うんだろうと不思議な気持ちになった。まさか、アイスを食べた事がない……なんてそんなわけないか。大抵の人間は一度くらいアイスを食べた事があるはずだろう。

「それより嵐、君……ここ最近起きている事件について知っているか?」

「事件?」

「ああ。なんでも、移動販売で売られているシュークリームを食べた人たちが次々に眠りについてしまっているらしくてな。俺はその事件の調査をしているんだ」

「……シュークリームとは、美味いのか」

 いやそこかよ。コイツ食いしん坊キャラなのか? 嵐は「どうなんだ」と俺を見つめてくる。大事な所ってそこじゃないんだが……。

「ああ、美味いよ。でも今回売られているシュークリームは、人を眠らせる何かが入っているから危険だと思う」

「そうか。つまり人が眠りに入るほど美味い……というわけだな。よし、探しに行こう」

 解釈の仕方が全部食いしん坊なのどうにかならないのか。俺が呆れていると、嵐が立ち上がる。

「行くぞ、刑事のミゾロギ」

「俺の名前は三代木だ! ああもう、口にチョコがめちゃくちゃついてる! わんぱくキッズじゃないんだから!」

 持っていたハンカチで嵐の口元を拭いてやる。子供なんだか大人なんだかわからないなこの男は。俺がやれやれと肩をすくめるのと同時に、俺と嵐の横を小さな子供たちが通り過ぎていく。

「あっちでシュークリーム、タダで売ってるんだって!」

「はやくいかないと売り切れちゃうよ! 急ごうぜ!」

 一瞬聞こえた子供たちの会話に俺と嵐は顔を見合わせる。まさか……と俺と嵐はすぐに子供たちの走って行った方向へと向かって行く。

 到着したのは、公園の中央にある噴水の前だった。辺りを見回すと多くの人が手にシュークリームを持って歩いている。これは相当まずい状況だ。事件が本当ならば、ここにいる人たちが皆眠りについてしまうだろう。

 俺はこれ以上被害を拡大させないために、シュークリームを販売しているであろう人間を探した。

「三代木、あれだ」

 嵐が俺の肩を叩き、噴水の方を指さす。そこにはアイスを売る様な白いワゴンが置かれ、横には年老いた女性の姿があった。俺はすぐにその女性の元へと向かう。

「おばあさんですか、このシュークリームを売っているのは」

「ええ、そうですが?」

 人のよさそうな女性に、「本当にこんな人が事件の犯人なのか」と疑念が過る。もしかしてこの人は販売をやらされているだけで、大元にはほかの人間が関わっているのではないだろうか? 俺がそんなことを考えていると嵐が俺の耳元で言う。

「犯人はコイツだよ、三代木」

「な、なんでわかるんだ」

「勘だ」

 勘かよ! もっと明確な理由があるのかと思ったのに。俺は女性に「すみません、犯人なんて言って……」と謝ろうとした。その時だった。

「ククク……よくぞ見抜いたな」

 女性の声が低くなる。え? と俺が女性に顔を向けると女性の姿がみるみるうち変わり果てていく。気づけば、その姿は年配の女性の姿ではなく、頭がシュークリームのような形になった化け物になっていた。

「パフー!」

 奇声を上げ、泡立て器の形になった片手を上げる怪物。突如現れた怪物に公園が一気に騒然となり、人々は逃げだした。

「か、怪物……!」

 俺は服の下のホルダーから拳銃を取り出した。シュークリームの怪物に照準を合わせ、発砲する態勢を取った時だ。

「させないパフー!」

 シュークリームの怪物が何か液体のようなものを俺の方に飛ばしてくる。液体は俺の手と持っていた銃に命中した。べとついた液体の所為で、引き金が引けない!

「パフフ、この私パフガドルの粘液はそう簡単にはとれないパフよ」

 き、汚い! 二重の意味で汚いぞ、コイツ。俺は液体を拭おうと必死になるが、服に擦り付けても全く取れる気配がない。どうやら、特殊な液体のようだ。

「残りはお前パフ! そこのド派手な服着た男!」

「あ、嵐……!」

 俺は嵐を見る。嵐は全く動じていない様子だった。逃げ出すような素振りも見せず、パフガドルと名乗った怪物を見据えている。

「フウン、私を見ても怖気づかないなんて大した男パフね。いいだろう。お前は特別に私と勝負する権利を与えてやるパフ!」

「勝負……?」

 俺が首を傾げると、パフガドルは「そうだ!」と嵐を指さした。

「勝負の名は『パフパフ! シュークリームロシアンルーレット!』だパフ!」

 ロシアンルーレット……の、シュークリームバージョンだって?何ふざけた事を言っているんだと思ったが、もしかしたらシュークリームの中に爆発物や刃物等の危険物を入れているかもしれない。

「あ、嵐……やめておけ、危険すぎる」

「……その勝負、乗った」

「人の話を聞け!」

 俺の言葉など全く聞いていないかのように、嵐は怪人の方に近づく。

「いい度胸パフ。それじゃあ、この箱の中から一つずつシュークリームを選んでいくパフよ」

 パフガドルが白いワゴンを叩く。やめろ、嵐! 俺が止める間もなく嵐はワゴンの引き戸を開け、紙に包まれたシュークリームを一つ取り出した。紙を剥して出てきた、一見何の変哲もないシュークリーム。嵐は躊躇いもなくすぐにそれを口に運ぶ。

 どっと汗が溢れ出した。これで、もしとんでもないものが入っていたらどうしようと、俺の方が焦っていた。

「……」

 嵐は無言で口元をモソモソと動かしている。平気だったのか? 俺が顔を覗き込むが、相変わらずのクールな表情を崩さない嵐。どうやら平気だったらしい。俺がほっとしていると、今度はパフガドルが驚きの声をあげる。

「な、なんでパフ! お前、この私お手製の激辛バチギレゲロシューを食って平気なんておかしいパフ!」

「激辛バチギレゲロシュー……?」

 俺が聞き返すとパフガドルが「そうパフ!」とワゴンの中からシュークリームを一つ取り出して掲げて見せた。

「このワゴンの中身の九十九パーセントは私が調合した特殊な激辛調味料を混ぜ込んだシュークリームが入ってるパフ! これを食った人間は、皆辛さを感じる前に失神してしまうパフ! なのに、なんでお前は平気パフ!」

 パフガドルの話を聞いてハッとする。そうか。シュークリーム事件で被害者が昏睡状態になったのは、あまりの辛さに失神してしまっていたからなのか。パフガドルめ、なんてむごいことをするのだろう。コイツは極悪な怪物だ。あと食べ物の名前にゲロとかつけるな。

 パフガドルの激昂を、嵐はシュークリームを食べながらフッと笑って流す。

「調合、間違えてるんじゃあないのか?こんなの全然辛くないぜ」

「な、なんだってぇ! そんなはずはないパフ!」

「じゃあ自分で食ってみればいいだろ」

 嵐の煽りに、パフガドルは手に持っていたシュークリームを貪り出す。むしゃむしゃ、と音が聞こえそうな汚い食い方をしたパフガドルは、一瞬ピタリと動きを止めてから、わなわなと震え出した。

「か、か、辛ぁあぁあッ!」

 辛いのかよ。

 パフガドルはその場でジタバタと身を悶えさせ、苦しんでいる。それから「水、水水水ーッ!」と叫びながら、パフガドルが走り出す。何処に行くんだろうとその様子を見ていると、奴は近場にあった噴水にばしゃりと飛び込んでしまった。

 なんだか、滅茶苦茶間抜けだ。

「水、水パフ! 水おいし……あぁ!」

 今度はなんだ? パフガドルが何かに気が付いたように大声を上げて水の中から顔をあげる。

「あ、あ、水を被ると……頭のシュークリームがふやけてしま……パフゥウゥーーーーッ!」

 瞬間、パフガドルの身体が発光し、ちゅどんと音を立てて爆発する。軽い爆風に思わず目を閉じ、目を開けた時にはパフガドルの姿は爆散していた。

「……え、倒したのか?」

 こんなあっけなく? パフガドルがいなくなったことで溶けた拘束を見ながら俺がぽかんとしていると「そうみたいだな」と俺に背を向けている嵐が言った。

「大方、パフガドルの弱点は水だったんだろう。アイツの身体を構成するシュークリームの成分が……水分で融解したに違いない」

「そんなことが……あるのか」

 怪物として水が弱点って結構致命的な弱点じゃなかろうか。パフガドルを作ったやつは何を考えているんだろうと思っていたところで、嵐の肩が震えている事に気が付く。

「……おい、嵐。大丈夫か」

「何がだ」

「いや、何か……震えている気がするんだが……」

「気のせいだ。俺は、平気さ。ピンピンしてるぜ」

 そう言って、嵐が振り返る。俺はその顔を見て気づけば叫んでいた。

「ウワァーッ!何だその顔は! 君、全然平気じゃないじゃないか!」

 振り返った嵐の顔は……酷いものだった。

 顔が真っ赤で、唇がタラコの様に腫れあがっている。パフガドル顔負けの怪物顔になった嵐は、それでも口元を吊り上げた。怖い。

「ふ、馬鹿を言うな。俺は驚飆きょうひょうのガデンだぞ?こんなのおちゃのこさいさい……だ」

 額から滝のような汗を流しておいて何を言ってるんだコイツは。完全にパフガドルのシュークリームにやられているっていうのに。瘦せ我慢にもほどがあるだろ!

 俺はとりあえず無理をする嵐を引っ張って公園の水飲み場まで連れて行き、大量に水を飲ませた。嵐は水道の水は嫌だと抵抗したが、それどころじゃないんだよお前の顔は。

 だが、水をぶっかけても一向に唇の腫れは引かず、顔も真っ赤なまま。このまま道を歩いたら、怪物が出たと通報されかねない有様だ。どうしたものかと悩んでいると、酷い顔をした嵐が首元に手をやる。

「アルケマイズ、ガデン……」

 嵐がそう唱えると、先日見たのと同じように黒いリボンのようなものが彼の全身を包み込む。鮮やかなマゼンタが身体を染め、嵐はガデンへとその姿を変えた。

「これで顔を見られなくて済むな」

「そんな理由でガデンになるなーッ!」

 ヒーローなんだからもっとちゃんとしたところで力を使いなさい! 

 とはいえ……まあ、唇お化けとして通報されるよりかはマシか? と考えたが、ガデンで歩いている方が目立つよな。こんなド派手なんだから。とほほ。もう終わりだ。俺は一人で頭を抱えた。

 ……その後、嵐が唇お化けとして通報されるかコスプレ変質者として通報されるかの二択で悩んでいるうちに、通りがかった子供に「ヒーローショーをやっている」と勘違いされた俺達は、即興でヒーローショーを開催したことで難を逃れた。

 嵐は即興ヒーローショーで俺をボコボコにしたあと、子供たちの声援を背に颯爽と去って行った。その姿は、まさしくヒーローそのものだった。

 その仮面の下にタラコのような真っ赤な唇を隠しているのは、子供達には秘密である。

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