強い人

堕なの。

強い人

 強い人は嫌いだ。周りにもその強さを強制する。

「なぜこれがまだ出来ていない?締切は昨日だぞ」

 見下してくるこの上司に、私はいつも叱られていた。この部署で一番の無能だから仕方がない。周りからはそう思われている。

「はは、すみません」

 明らかな損害があるときは頭を下げて土下座してでも謝るし、こういうちょっとした小さな問題は笑って濁す。それが一番早く終わると知っている。

「反省しているのか?」

「はい」

 心底反省しています風に装う。この上司は仕事はできるが人のことをよく見るのは苦手だから、私の手抜きの謝罪にも気づかない。気づかない時点でこの説教には意味が無い。いや、気づいたとして説教自体に端から意味などない。

「おい、今日は残業だからな」

「……はい」

 やりたくないがペナルティとしては軽い方だろうと受け入れた。それが間違いだった。

 数日間、一切家に帰れなかった。会社に缶詰、そして上司に見張られている状況で仕事をしている。一々仕事が遅いと怒られるし、睡眠を取らないことによって作業効率も落ちてきている。

「一旦家に帰らせてください」

「は? お前のために付き合ってやってるんだぞ」

 何馬鹿なことを言っている、と目が語っていた。だがこのままでは潰れるのも時間の問題だった。だから一瞬でも家に帰る口実が必要だった。

「服を取りに行かせてください。直ぐに戻ってきますから」

「お前の家は……、近かったか。一時間以内な」

 何とか帰宅の許可をもぎ取り、荷物とジャンパーを持って会社を出た。冷たい風が体に当たり、芯から冷える。都会と言えどこの時間は電気が消えているところが多い。そんな中私の部署は煌々と明かりが灯っている。

「はぁ」

 浅いため息は空に溶けた。目の前をピカピカとヘッドライトを光らせた車が通り過ぎる。何も考えずぼーっとしたまま、

「大丈夫か?」

 気づいたら、知らない女の人に腕を掴まれていた。一瞬何が起こったのか分からなくなった。私は、今車の前に飛び出そうとしたのだ。

「え、あ、ありがとうございます」

 本当に、ありがたかったのだろうか。私はあんなところにいるくらいなら死にたいと思ったから、車の前に飛び出たのではないだろうか。

「死にたかったなぁ」

 口から零れた言葉に自分でも驚いた。心が潰れるのは時間の問題だと思っていた。まだ潰れていないと思っていた。でももうとっくに、私の心は限界を迎えていた。気づけば、目からは涙が溢れてくる。初対面の人にみっともないところなんて見せたくないのに。こんな自分に優しく背中を撫でてくれるこの人は、良い意味で強い人なのだろうと思った。

「すみません。変なことしました」

 いつもの笑って濁す癖がこんなところまで出てくるとは、つくづく自分が嫌になる。

「いや、大丈夫だ。それと通りすがりの人間からの助言だが、君は別に死にたいわけではないと思うぞ。死にたい人の目には見えない。君の目は、生きたくない人の目だ。逃げるだけならいくらでも方法はある」

 生きたくない。ストンと、その言葉は心の中に落ちた。あの環境から逃げたくて、そして生きるのが億劫だったのだ。そしてそれを認識した途端、死ぬことが怖くなった。

「ありがとう、ございます」

「いや、お礼を言われることは何もないよ」

 女の人は、そう言ってどこかへ行った。私の心はもう決まっていた。カバンの中に入っている退職願を握りしめて、会社へとUターンする。

「明日からは」

 あの人のように、良い強さを手に入れるために頑張る。

 その日私に煌めく目標ができた。

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強い人 堕なの。 @danano

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