ルビーの心臓を持つ王女
umekob.(梅野小吹)
序章 - 亡国遺跡トロイメリア
第1話 ルビーの心臓を持つ王女
どくん。
鼓動が確かに波打った。眠っていた心臓が動き出し、肺に空気が満ちた気がした。
知らない匂いを鼻から取り込んだその時、サフィアの意識はふわりと浮上し、重たかったまぶたが持ち上がる。
「……ここ、どこ……?」
ほの暗い部屋の片隅。灰色一色の世界。
起き上がったサフィアの周囲には、赤い鉱物の破片が散らばっていた。
壊れた家具の一部、ガラスの破片、崩れ落ちた何らかの残骸、大量の瓦礫……周囲の惨状は、まるで大災が過ぎ去った後かのような酷い有り様だ。ゴミやガラクタばかりが雑然と溢れ、亡霊屋敷さながらである。
自身の一帯をぐるりと見渡し、サフィアの視線は再び正面へ。座り込む彼女の目の前には、見知らぬ人物がただ一人。
物言わぬまま立ち尽くしていたその人は、それなりに質のいい
「……あなた、誰?」
サフィアは控えめに問いかけた。しかし答えは返ってこず、沈黙ばかりがしばし流れる。
いまだに現状が把握しきれていない彼女は、記憶にある自身の行動を振り返り、眉間を押さえながら呟いた。
「う、うーん……? 頭がくらくらする……一体、何が起こったの? 地震でも起きたの? ここって、多分、お城……よね? だって、たしか昨日は王城に招かれて、私の肖像画を描かれることになって、それで……」
「……」
「うう、ダメだわ、そのあとが思い出せない……。あの、あなたは、もしかして王城の方ですか? ごめんなさい、私、眠っちゃってたみたいで……庶民が王城に招かれておきながら眠ってしまうだなんて、恥ずかしいことだわ。本当に申し訳ないです」
あやふやな記憶をたどりながら自身の行いを猛省していると、立ち尽くしていた男がハッと何かを察知して後ろを振り返る。
「──おい、走れ!」
そしてすぐさま向き直り、大声を張ったかと思えば、彼はサフィアの手を取った。
「えっ!? 何っ!?」
「いいから走れ、
「アイツらって──」
「ギギッ、ギッ!」
サフィアが言いさしたその時、背後からは異様な奇声が耳に届く。振り向けば、目玉が三つもある不気味な
「ひっ……!?」
息を呑み、一気に血の気が引く。
そいつらは犬に似ているが、犬ではない。動物だとも思えない。見たこともない化け物たちは異音を放ちながら四本の脚で駆け出し、二人の元へ向かってきた。
青年は即座に床を蹴り、サフィアも彼に続く。
「あ、あれ、何!? 見たこともない生き物だわ!」
「人間が使役してる
「科学ってなにっ? というか、あなたも人間なんじゃ……きゃ!」
直後、足に何かが絡みつき、サフィアは倒れた。同時に鋭い痛みが走る。鋭利なものが突き刺さるような痛みだった。
足元を見れば、黒いトゲのある植物がそこに絡みついており、まるで意思を持っているかのようにうごめいている。
「うっ、痛……! つ、次から次に、何なの……!」
「チッ」
青年は舌打ちとともに立ち止まり、隠し持っていたナイフを素早く投擲してサフィアの足に絡みついていた植物の蔓を断ち切った。すると植物はシュルシュルと萎びて枯れてしまい、サフィアの足が開放される。
「こんな典型的なトラップに引っかかるなんて、世話の焼ける
呆れ顔で嘆息され、皮肉まで紡がれた。状況が何ひとつ理解できていないサフィアはいささかカチンときたが、いまだに困惑の方が勝っており、ひとまず彼への怒りを抑えて疑問を投げかける。
「お、王女様って? 何か勘違いしてるのかもしれないけど、私は王女なんかじゃないわ。ただの一般人で──」
「はいはい、そういうのはあとで聞くから! 今は喋ってる暇なんかないんでね!」
「ひゃあっ!?」
青年はサフィアを抱え上げ、「舌噛まねーように気をつけろよ」と忠告して走る速度を上げた。
「え、ちょっと、きゃああっ──!?」
そのスピードは明らかに人間離れしている。馬に乗るよりも速いのではないだろうか。
異性と密着した経験などついぞないサフィアだが、そんなくだらないことを意識している暇もない。怒涛の勢いで流れていく景色に恐怖を覚えていると、同時に背後から熱光線が放たれ、床や壁が黒く焦げついた。
(ひっ!? な、何!? 何これ!?)
波乱の展開に目が回りそうだ。どうやら鉄の生き物たちは射撃を始めたらしかった。青年はちらと背後を一瞥し、黒い手袋に覆われた手のひらをかざして詠唱する。
「〝
刹那、手のひらに青白い光が集積され、巨大な氷の盾が現れた。ドッ──熱と氷が激しくぶつかり、凄まじい爆風が周囲に拡散する。
「きゃうっ!」
短く悲鳴を漏らしたサフィアは恥も捨てて青年にしがみついた。青年はサフィアを抱えたまま人間離れした身のこなしで飛んできた障害物を避け、崩れた屋内の隙間を縫って窓から外へ身を投げる。
浮遊感がぞわりと背筋を駆け抜け、サフィアが目を見張った瞬間、二人は凄まじい勢いで急降下した。
「きっ、きゃあああーー!?」
「いてて、耳元で叫ばないでくれよ王女様。──来い、プシュケ!」
ピュイッ。青年は落下しながら何かに呼びかけて指笛を鳴らした。すると彼のフードの中から黒い毛玉のような小さな生き物が飛び出し、それは空気を取り込んで風船のごとく膨らむ。
「ふぐっ!?」
がくんっ。急激に落ちるスピードが緩まり、腹部が圧迫された。サフィアはすっかり目を回し、ぐったりと脱力する。
一方で謎の生き物の尻尾を捕まえた青年は、ふわん、ふわん、空中に浮遊してうまく風を読み、着陸できそうな場所を探す。
何が起きているのかわからないうちに地上が近付き、二人は無事に着地した。
「ほら、着いたよ」
「う……め、目が回る……死ぬかと思ったわ……」
「安心してる場合じゃないぜ、ヤツらまだ追ってきてる」
ようやく難を逃れたかに見えたが、青年はサフィアを抱え直すと再び身軽に地を蹴った。
上空からは彼の言った通りに鉄の化け物たちが追ってきており、我に返ったサフィアは一層強く青年にしがみつく。
「な、何!? あの変なの、なんでずっと私たちを追ってくるの!?」
「プシュケ、ボスに繋げてくれ」
問いかけるが、青年は無視して先ほど風船のように膨らんでいた生き物──プシュケというらしい──に指示を出す。
元のサイズに戻ったプシュケは黒いお腹を淡く光らせ、しばらくして、その光の向こうからは第三者の声が届いた。
『どうした、バルツェ。予定より早いみたいじゃないか』
応答した声の主は、青年に〝バルツェ〟と呼びかける。
彼──バルツェは声を低め、「驚くなよ、ボス。まずいことになったぜ」と重々しい口を開いた。
「例のものは見つかったんだけどさ。なんと王女が眠りから覚めちまったらしくて、
『……何?』
「今そっちに向かってるんだけど、人間側の追っ手もセットだ。どうすりゃいい?」
『撒け』
さも当然とばかりに即答される。予測はできていたが、応戦してくれる気はないらしい。
「……イエス、マイボス」
バルツェは死んだ魚のごとく生気のない目で頷いた。かくしてプシュケを経由した連絡は途絶え、ふう、と浅い息を吐く。
「ったく、面倒な争いは避けたかったのになあ。──ってわけで、ちょいと暴れさせてもらうよ王女様。流れ弾に当たんねーようにな」
「え、え?」
「プシュケ」
バルツェは浮遊している黒い毛玉を再び呼び寄せた。
するとすぐさま手の中に収まったプシュケが光を帯びて黒い長剣に変貌し、すらりと長い剣先が追ってくる敵を捉える。
「しっかり掴まってな」
バルツェはサフィアを一層強く抱いた。刹那、風を切って駆け出した彼が一瞬で鉄のかたまりを斬り伏せる。
「ひっ──!」「怖いなら目ぇ閉じてろ」
怯むサフィアに言い聞かせながら、彼は瓦礫の山を蹴って飛び回り、敵の胴体を次々と裂く。その動きは明らかに人間の範疇を超えていた。
斬られた鉄のかたまりは火花を散らしてショートし、いくつか爆発するものすらあるが、バルツェは爆風をものともせずに立ち向かっていく。
ドンドンドンッ!
後方にいる敵は複数の弾丸を放って砲撃してきた。前衛をほぼ壊滅させたバルツェはその弾を睨み、剣に魔力を注ぎ込む。
「〝
氷の精霊の力を呼び起こし、長剣で
爆発の音に紛れ、瞬足で駆け出したバルツェは敵との距離を一気に詰めた。
「残念、これでおしまい」
冷たく吐き捨て、最後の敵陣を黒い刃が一閃する。鉄の化け物たちは一網打尽にされ、火花がショートして爆発する光景を背に、バルツェはプシュケの武装を解除した。
爆風によってフードが外れ、グレージュの髪が風に揺れる。あらわになったバルツェの美しい横顔。それを仰ぎ見て、サフィアは思わずほうと息をついた。
宙で離散した氷柱の欠片は細やかな氷の粒となり、雪のように舞い落ちてきている。空から降ってくるそれらは輝く宝石のようで、まるでおとぎ話の中にいるみたいだとサフィアはぼんやり考えた。
「怪我はないか? 王女様」
しかし、バルツェのひとことによって、惚けていた意識は現実に引き戻される。
「え!? あ、ええ! 大丈夫……!」
「……なんかボーッとしてない? ほんとに大丈夫?」
「いえ、お気づかいなく! その、思ったより顔が良くて、びっくりしまして……!」
「顔?」
「──バルツェ」
「!」
直後、背後から声がかかる。ふと振り返れば、地面に現れた魔法陣の中央から、背広を着た金髪の男性が転移してきていた。
額には長いツノが一本生えており、中性的で端整な容姿は陶器で作られた美術品さながら。人間ではないと一目で理解できてしまうほどの、異様な美しさと気品に溢れている。
「えぇ……」
バルツェは露骨に嫌な顔を作り、彼を見やった。
「ご苦労。よく王女を守ってくれた」
「……あのさあ、ボス。結局地上まで降りてくるんなら、少しぐらい応戦してくれてもよかったんじゃないの?」
「どうせお前一人で片付く相手だろう。私が出る幕なんてどこにもないさ」
表情もなく淡々と紡ぎ、男は姿勢を正したまま歩いてくる。
バルツェに片手で抱かれているサフィアをじっと見た彼は、「……ふむ。どうやら、彼女がそのようだな」と頷き、突として地面に片膝をついた。
「お初にお目にかかります、王女様。このような不躾な対面となってしまい、誠に申し訳ございません」
「えっ!? あ、あの……」
「長い眠りから目覚められたばかりです。さぞ混乱していらっしゃることでしょう。順を追って状況をご説明いたしますので、この度の無礼をどうかお許しくださ──」
「あのっ!!」
サフィアは大きく声を張った。
背広の男が言葉の続きを呑み込む中、サフィアは恐る恐る口を開く。
「み、皆さん、何か勘違いしておられます。私、王女なんかじゃありません。あの、大変申し訳ないんですけど、おそらく人違いかと……」
「……人違い?」
「はい、そうです。私はサフィア。城下町の片隅にある養鶏場の娘で、ただの一般庶民です。今回はたまたま王城に呼ばれただけで、本当に、王女様とは無関係で……」
「いいえ、それは違います。あなたは正真正銘、本物の王女様ですよ」
「ええっ? 何言ってるんですか、そんなはず……」
「これがその証拠です」
そう言い、男はサフィアの足首に目を向けた。そこは、先ほどサフィアがトラップに引っかかった際に植物のトゲを刺された場所だった。
傷は浅いようだが、わずかに血が滲んでいる──しかし、その血の状態に違和感を覚え、サフィアは眉をひそめた。
「え……? 何、これ」
やや痛む傷口に手を触れる。すると、明らかに液体ではない、ざらついた固形物の感触があった。
埃ではない。かさぶたでもない。粉のような、砂利のような……赤く色付いて光沢を放つ何らかの固形物が、傷口から漏れ出ている。
「──!? な、何!? なんでこんな、粉みたいなものが、傷口から……!」
「これはルビーです。あなたの心臓から作られた、ルビーの粒子」
「は……? ルビー……? 心臓……?」
「あなたの心臓は、魔力のこもった貴重なルビーでできている。そして我々は、この数百年間、あなたの目覚めをずっと待っていた」
まったく身に覚えのない話が続く中、サフィアは男に手を取られる。
彼は彼女の手の甲に口付けを落とし、さらに続けた。
「
ルビーの心臓を持つ王女──そう呼ばれたサフィアの目の前には、巨大な
フォーン……。
脳に直通するかのような鯨の鳴き声が鼓膜を震わせた途端──くらり、目の前が暗くなり、サフィアは何ひとつ状況がわからないまま、おぼろげになった意識を手放した。
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