第17話 師――覚醒の兆し――②

「なに、簡単なことじゃ。お主も魔法を習得すればよかろう」

「え……」


 師匠は、まるでそれが当たり前の選択肢であるかのように言った。


「いや、でも師匠。俺に魔法なんて……」

「心配するな。コツさえつかんで努力すれば何とかなる」

「そうではなく……俺、実は異世界人なんです。だからそもそもの魔力がなくて。なんで努力するしない以前の問題っていうか……」


 だが、師匠はそれでもなお不思議そうな顔を浮かべた。


「んん? そうかのう? ワシの目には魔力ビンビンじゃが」

「え……?」

 び、ビンビン? でも、そんなまさか……。

「そもそも異世界人が魔法を使えないなんて誰が言ったんじゃ?」

「あ」


 たしかに、よくよく思い返してみても誰かに言われたわけではない。

 そういう意味では、単に俺の思い込みと言えばそれまでだ。

 なんとなく魔法の概念なんて存在しない世界から来たもんだから決めつけていた。


 異世界人に魔力なんてあるはずがない……と。


 しかし、それが仮に間違った固定観念だったとして、それでも想像がつかない。

 ただ異世界に来たと言うだけで、勝手に魔力が付与されるものなのだろうか?

 少なくとも、自分があのメスガキのように魔法を使うイメージが全く湧かないのだが……。


「どれ、信じられないなら試してみよう。まずは目を閉じ、ゆっくりと深呼吸するのじゃ」

「……」


 まあ、試すだけなら……。

 俺は言われるがまま目を閉じ、大きく深呼吸した。


 朝っぱらから飲み屋のカウンターでなにやってんだろう……という邪念が一瞬脳裏をよぎったがすぐに取り払った。こういうのは考えたら負けだ。


「呼吸を整えたら、今度は自分の内側を覗き込むように見つめよ。なるべく深いところに目を凝らすように……。すると次第に靄のような光がちらほらと見えてこんか?」

「はい……見えてきました」


 暗闇の中に綿のようにフワフワとした光が浮かび上がってくる。

 これは、いったい……?


「ではその光を今度はひとつにまとめるイメージじゃ。砂をかき集めるようにでも……綿あめの機械に割り箸を突っ込んでグルグルとかき混ぜるようにでも……なんでもよい。自分の想像しやすいように」

「想像しやすいように……」


 そうは言われても、やたら具体的な例えのせいで俺の目にはもはや完全に光が綿あめに見えていた。

 俺は己の中にある内なる綿あめ製造機に、イメージで作り上げた割り箸を突っ込みかき混ぜた。


 徐々に光が収束していく。


「集まってきました」

 これなら出店でみせで販売しても問題なさそうなほどの大きさだ。


「よかろう。では最後に、集まった光を手で握り込む」

「はい……」

 光に向かって右手を伸ばす。


 温かい。質量はなく、触ったという感触はない。

 それゆえ握れと言われたがイメージとしては光の中で拳を作るような感じだった。


「よし。もうよいぞ」

「……」


 目を開くと、俺の拳は淡い光に包まれていた。


「これが……魔力」


 本当に俺の中にも魔力があったなんて……。


 正直魔法の存在は目の当たりにしていたものの、自分には無縁のチカラだとどこか他人事のようだった。

 しかし、今はそれがこの手の中にある。


 感動だった。

 この世界においてはきっと使えて当たり前のものなのだろうが、まるで自分が物語の主人公になった気分だった。


「そうじゃ。その薄めた青汁みたいな色の光がお主の魔力じゃ」

「……すいません、そこは普通に緑でお願いします」


 台無しにされた。


「フッ。だが喜ぶのはまだ早いぞ。その魔力で魔法を使えるようになってこそ一人前じゃ。というわけで、コレをお主にやろう」

 師匠が取り出したのは、一冊の分厚い本だった。


「『ゴブリンでもわかる魔法入門』……?」

 見たところ初心者向けの魔法の指南書のようだ。これを読めば魔法の使い方がわかるということか。ありがたい。

 しかし凄まじいタイトルだな……。


「ちなみに著者はワシじゃ」

「マジっすか……!?」

 著者って。ノリで師匠とか読んでたがもしや本当にすごいじいさんなのかこの人……。


「あれ? でもこの名前……」

 タイトルの下の著者名に目をやる。


 そこには、「著:ユージ=アイザワ」と書かれていた。


「アイザワ……って」

「察しの通りじゃよ。かくいうワシも異世界――お主と同じ日本からこの世界へとやってきた。もう四十年以上も前になるがな」

「よ、四十年……」

 そんなに前から……大先輩じゃないか。


「ありがとうございます。あの、なにかお礼を……というか本の代金――」

「そんなもの必要ない。そのまま持っていけ」

「でもそんな……」

「いや、本当によいのじゃ。そこの図書館で借りたものじゃから」

「ああ……」

「返却期限は一週間後じゃ。ゆめゆめ忘れずにな」

「……はい」

 返しておけ、と。ていうかなぜ自分の本を図書館で……?


 ま、まあいい。そういうことなら遠慮せず持っていける。


「じゃあ俺はそろそろ帰ります。そろそろ仕事の時間なんで。今日は本当にありがとうございました」

「うむ。達者でな」


 深々と頭を下げた俺に、師匠が軽く手を上げ応える。


「おお、そうじゃった。忘れるとこだった。もう一つ、“これ”も持っていってはくれまいか?」

「はい?」


 出口へと向かおうとする俺を、師匠が引き留める。

 その手には小さな紙片が握られていた。


 飲み屋の伝票だった。


「お礼をしたいと言っていたろう。これでチャラじゃ」

「……あ、はい」



 ――チリンチリン。


「あのじいさん、飲みすぎだろ……」

 ここぞとばかりに追加のボトル注文までしてたし……。


 会計を済ませ店を出ると、外は薄暗かった早朝とは違いすっかり明るくなっていた。

 朝飲みなんて初めてだから新鮮な光景だった。


 う~ん、ちょっと飲みたいくらいだったのに、思った以上の出費になってしまった。

 これなら普通に本を買った方がはるかに安かったのではなかろうか……。


 だが、経緯はどうあれ思いがけない収穫だった。

 まさか俺の中に魔力が芽生えているなんて思いもよらなかった。言われなければ試そうともしなかったし、このまま一生気づいてなかったかもしれない。

 まあ、そういう意味では必要経費として割り切るしかないか……。


 ……うん、細かいことは気にしないようにしよう。

 それよりも早く魔法を試してみたい。


 が、そこは俺も社会人。仕事をサボるわけにはいかない。

 楽しみは明日に取っておこう。

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