閑話 路地裏の逃走者

 ――――王妃イザベラの暗殺が失敗した日の夜。

 王都の裏通りを走る、一人の影があった。


「はあ、はあ……!」


 息荒く走るその人物は灰色のマントに身を包んでおり、更にフードを目深に被り、なるべく顔が見えないようにしていた。

 時折後ろを振り返り警戒しており、何者からか逃げているように見える。


「くそ、くそ……! 計画は完璧だったはずなのに……!」


 ぎり、とその女性・・は歯噛みする。

 彼女はレイラを支配の魔眼により操り、イザベラの暗殺を企てた犯人その人であった。

 彼女の名はレベッカ。当然その名は偽名であり、裏稼業に手を染めてから元の名前は捨て去っていた。


 なにかしらの理由により、暗殺が失敗に終わったことを知った彼女は、捕まる前に王都を離れることにした。

 レイラが国王ガウスに負け、暗殺が失敗する可能性はあった。しかし彼女が手にした情報によると、そもそもレイラによる暗殺自体が起きなかった・・・・・・・・・・・

 これは異常事態である。もしかしたら既にレイラは洗脳が解け、自分のことを話してしまっているかもしれない。


 そう思ったレベッカは、すぐに王都を離れることにした。

 王都にはいくつも拠点があり、お得意様も何人も抱えている。捨てれば損失は大きい。

 しかし捕まってしまったら全てが終わりだ。レベッカはそう判断し身ひとつで王都を脱出することにしたのだ。


「くっ、こっちにも兵士が……。やはり私を探しているのか……?」


 路地裏から通りを覗くと、兵士が歩いているのが見える。

 兵士が王都を見回りすること自体は珍しくないが、こうも頻繁に見るのは珍しい。国王誕生祭の影響で見回りを増やしているという線も考えられるが、兵士に姿を晒すのは危険と判断した。


「おそらく王都の出入り口も普段より厳重になっているでしょうね。でもそれならそれでやりようはある……!」


 王都には普通の人が知らない、隠された通路がいくつか存在する。それを使えば兵士に見つかることなく王都から脱出できるはず。

 そう考えたレベッカは、隠し通路が存在する地区に足を向けて駆ける。


「こんなところで捕まるわけにはいかない。必ず逃げおおせて見せ……ん?」


 見ると正面の通路を塞ぐように、大柄の男が現れた。男もレベッカと同様にマントを身に着けており、フードで顔が見えない。

 レベッカが走っている通路は人ひとり通れる程度の狭い通路。男が仁王立ちすれば横を通るのは不可能だ。


「こんな時に……どきなさい!」


 レベッカは腰からナイフを抜き放ち、その刀身を男に見せつける。

 しかし男はそれを見てもたじろがなかった。最初レベッカは脅すだけで切るつもりはなかった。脇にどけばそれ以上なにかをするつもりはなかったが……男の態度に怒りを募らせる。


「そんなに死にたいなら、お望み通りそうしてあげる!」


 ナイフを逆手に持ち、男の首めがけて振り下ろす。

 すると男はそのナイフを腕に装着していたガントレットでそれをキン! と弾く。マントを身に着けているため分からなかったが、その男は全身に鎧を身に着けていた。


「な……がっ!?」


 ナイフを弾かれ体勢を崩したレベッカは、その隙を突かれ首をつかまれ壁に叩きつけられる。

 衝撃で肺から空気が抜け「かひゅ」と声が漏れる。


「こ、の、はな、せ……!」


 レベッカは必死に手足をばたつかせて男から逃げようとするが、男の腕力は凄まじく拘束は少しも緩まなかった。ナイフは先程弾かれた時に落としてしまっている。

 それでも必死に逃げようとあがいたレベッカの手が男のフードに当たり、顔を隠していたフードがめくれる。するとその下からイザベラ王妃の騎士、ガーランの顔が現れる。


 当然その顔を知っていたレベッカは、彼を見て驚愕する。


「貴様はガーラン……!」

「観念しろ。貴様が王妃の暗殺を企てていたことは知っている。大人しく捕まれ」

「誰が貴様なんかに! 自害しろ!」


 レベッカは支配の魔眼を発動し、ガーランの目を見る。

 彼女が一度に操れる人数は一人まで。もしまだレイラに魔眼の効果が残っていた場合、そちらの効果が切れてしまうが、今はガーランをどうにかするのが先決であった。


 しかし、魔眼が発動したにもかかわらず、ガーランの様子は少しも変わっていなかった。


「悪いな、私は鈍感でな。精神操作系は効いたことがないんだ」

「ば、馬鹿な!?」


 驚愕するレベッカ。

 するとガーランはそんな彼女の顔めがけて鉄拳を打ち付ける。

 めきょ、という鼻の骨が折れる音が鳴り、レベッカの顔面が醜く歪む。整った顔立ちは崩れ、鼻からは鮮血が勢いよく流れ落ちる。


 しかしそれでもガーランは容赦なく何度も執拗に顔面を殴打する。最初は抵抗し抜け出そうとしていたレベッカであったが、10発ほど殴ると抵抗する力もなくなってしまう。


「も、や、め……」


 レベッカの手が、だらんと力なく下がる。

 それを見たガーランが首をつかむ手を離すと、彼女は地面に座り込む。


「わ、私の負けよ、逃げないから、もう殴らないで……」


 今この場から逃げ出すことができないと判断したレベッカはそう降参する。だが内心では隙さえあれば逃げようと思っていた。

 しかし、次にこの場に現れた人物の姿を見て、彼女は逃走が不可能であると悟る。


「――――また、会えましたね」

「あ、あんたは……!」


 姿を見せたのはレベッカが洗脳した相手、レイラであった。

 既に支配の魔眼の効果は解け、呪いの首輪も外れている。手には剣を持ち瞳は怒りに燃えている。

 レイラの全身から冷たい殺気が放たれており、それを正面から浴びたレベッカは恐怖に振るえる。裏社会でしたたかに生きてきた彼女でも恐ろしく感じるほど、レイラの殺気は鋭かった。


「ご、ごめんなさい、わ、私もやりたくなかったの、命令されて……」


 言い訳するレベッカ。

 するとそんな彼女をたしなめるように剣が振るわれ、レベッカの右足のけんが切断される。想像を絶する痛みがレベッカを襲い、彼女は痛みに悶え苦しむ。


「――――っ!! あ、ああっ!! い、いだいぃ!」

「貴女の嘘にまみれた言葉など聞きたくありません」


 レイラは冷たく言い放つと、剣の先端でレベッカの頬をなでる。


「貴女はしてはいけないことをした。その報い、受けてもらいます」

「い、いや……っ!」


 路地裏に響く悲鳴。

 こうして王妃暗殺を企てた犯人は捕まり、幽閉されたのだった。

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