第14話 母の願い

「んん……」


 気だるげな声を出しながら、レイラは眠りから覚醒する。

 体を起こし目を開けると、そこは王城の一室であった。そこにあるベッドの上で彼女は寝ていたようだ。


「頭が痛い……」


 ズキズキと痛む頭を押さえながら、レイラは思考を巡らす。

 自分はなにをしていたのか、なぜここにいるのか、考えるがその度に脳が痛み思うように思い出すことができない。

 しかし薄っすらとなにか悪いことをしたような、そんな漠然とした罪悪感が胸の底に溜まっており、レイラは気分が優れなかった。


 ひとまず現状を確認しなければ。レイラは辺りを見回す。

 彼女が寝ていた部屋に特別なものはなかったが、ベッドの隣りに置かれた椅子にはとある人物が座りながら寝ていた。


「テオドルフさま……?」


 椅子で寝ていたのは第三王子のテオドルフであった。

 なぜ彼がここに? レイラが疑問に思っていると部屋の扉が開き、女性が中に入ってくる。


「あら、目が覚ましたか。気分はいかがですか?」

「い、イザベラ様!?」


 部屋に入って来たのはテオドルフの母親のイザベラ王妃であった。

 レイラはいつの間にか来ていた寝巻きの襟を正し、背筋を伸ばす。


「まだ疲れているでしょう。楽にしていて構いません」

「し、しかし……」

「それよりも体は大丈夫ですか? 解呪薬を使いましたので支配の効果は残っていないと思うのですが」

「支配……?」


 その言葉を聞いた瞬間、レイラの脳内に支配されていた時の記憶が突如としてよみがえる。

 怪しい女に操られたこと、イザベラの殺害を命じられていたこと、そしてテオドルフやガーランに剣を向け手をかけようとしたこと、それらを全て思い出してしまった。


「わ、私はなんてことを……」


 血の気が引き、レイラの顔が青くなる。

 イザベラが「落ち着いてください」と声をかけるが、その言葉は届かない。


 重い罪悪感と、強い自責の念で心が埋め尽くされていた。レイラにはこの状況で取る行動が一つしか思いつかなかった。

 彼女はベッドの横に立てかけられていた自分の剣を手に取ると、その刃を自身の首に押し当てる。


「なにをしているのですか。やめなさい」

「すみませんイザベラ様……私は許されないことを致しました。私の命程度で罪滅ぼしになるとは思いませんが……せめてもの償いです」


 イザベラの制止も聞かず、レイラは自分の首を斬ろうとする。

 外に出て初めて好きになった人たち。操られたとはいえ、そんな彼らを自分の手で殺そうとした事実にレイラは耐えられなかった。

 彼女の目から流れ落ちる涙は死が恐ろしいからではなく、ひたすらに二人に対する罪悪感からであった。


 レイラは剣を握る手に力を込め、一気に首を斬ろうとする。だが、


「やめなさいと言っているのが分からないのですか、レイラ・オルスティン!」

「……っ!」


 イザベラの言葉が部屋に響き、レイラの腕が止まる。

 病気のせいで体力が少ない彼女が、これほど大きな声を出したのは久しぶりのことであった。


「イザベラ様、しかし……」

「テオドルフがなぜ危険な橋を渡ってまで、自分の力で貴女を助けようとしたのか分からないのですか?」

「あ……」

「そう、全ては貴女を助けるためです。貴女が自責の念に駆られて自らの命を断とうという思いを否定するつもりはありませんが、それはこの子の努力を裏切る行為です。母としてそれを見過ごすわけにはいきません」

「う、うう……」


 レイラの手から剣が落ち、からんと地面に転がる。

 もっとも安易な道に逃げ、自分を救ってくれた者への恩義を忘れていたことを彼女は恥じた。


「しかし……ならば、私はどうすればよいのでしょうか。私が犯した罪は重すぎます。いったいこれからどう生きれば……」


 生気を失った表情でうなだれるレイラ。

 するとイザベラは彼女のもとに行き、その手を取って握る。


「……もし貴女が私やテオドルフに罪滅ぼしをしたいと思うのであれば、この子の力になってくれませんか?」

「テオドルフ様の……?」

「はい。知っているでしょうが、私の命はもう長くありません。もし私がいなくなればこの子を守ってくれる人はいなくなってしまうでしょう。貴女にはこの子を側で守り見守ってほしいのです」


 そう言ってイザベラは悲しげに目を伏せる。

 今はガーランもテオドルフの味方をしてくれているが、彼はテオドルフの騎士ではない。もしイザベラが亡くなれば側にい続けることはできない。


「し、しかし、テオドルフ様は由緒正しきこの国の王子。それほど孤立するでしょうか」

「……この子は普通の子ではないのです。それが心のどこかで分かっているからこそ、この子の父と兄はテオドルフを避けているのでしょう」

「普通の子ではない、ですか?」

「ええ。この子はこことは違う・・場所からやって来た、特別な子なのです」


 イザベラは寝ているテオドルフの頭をなでながら優しい声色で言う。

 レイラはその言葉の意味が分からず「違う場所、ですか?」と聞き返す。


「ええ、この子は城から出ていないのに、私も知らないことを色々と知っています。それに時々どこか別の場所を懐かしむように遠くを見ています。きっとこの子はどこか遠くからやって来てくれたのです」

「しかし……そのようなことがあるのでしょうか? テオドルフ様はイザベラ様がお産みになられたのですよね?」

「ええ、そうです。確かにこの子は私が産みました」


 イザベラは慈愛に満ちた目をテオドルフに向ける。


「私がテオドルフを産む時、死産になる可能性が高いと医者に言われていました。私の体が弱いせいで子どもが充分に育たなかったからです。更に虚弱な私の体は出産に耐えられない可能性が高いとも言われ……母子共にも命を落とすはずでした。しかし奇跡が起き、私は無事でこの子も元気に生まれて来てくれました」


 イザベラはその日のことを今でも鮮明に思い出せた。

 あの時の言葉にすることのできない喜びがあるからこそ、命短い今も明るく過ごすことができた。


「その時私は思ったのです。この子はきっと女神様がくださった子なのだと。ふふ、このようなこと言っても信じてくれるのはガーランくらいですけどね」

「……一つだけ、失礼を承知でお聞きしてもよろしいでしょうか」

「ええ、なにかしら」

「テオドルフ様は別の場所からやって来たのですよね? それなのにイザベラ様は平気なのでしょうか、自分の子ではないと思ったりはしないのでしょうか」


 その質問を聞いたイザベラは驚いたように目を丸くした後「ふふっ」とおかしそうに笑う。


「思いませんよ。この子がどこからやって来たとしても、この子が私の子であることに変わりはありません。それだけは誰にも否定させません。たとえ女神様に言われたとしてもね」

「――――っ!!」


 この時、レイラは初めて本当の『愛』に触れた気持ちになった。

 この世界にはこれほど尊いものがあるのかと、レイラは感涙した。


 そして同時にそのような大事な存在を任されたことに、彼女は強い使命感を覚えた。

 もし自分に生まれた意味があるのだとしたらこれしかない。自分の命は、磨き上げた剣技はこの使命を果たすためにあったのだとレイラは理解した。


「――――かしこまりました。この命と剣、全てテオドルフ様にお捧げします。だからご安心くださいイザベラ様。たとえこの先なにがあってもテオドルフ様のことはお守りいたします」

「ありがとうレイラさん。どうかこの子を――――よろしくお願いいたします」


 そしてこのやり取りの四ヶ月後、イザベラは病により命を落とした。

 彼女のことを本当の母のように慕っていたテオドルフは落ち込み、深く悲しんだ。


 そんな彼が自室に戻ると、彼女はいた。


「おかえりなさいませ、テオドルフ様」

「ただいま……って、ええ!? れ、レイラさん!? なんでここにいるの!?」

「あの時助けていただきましたお礼をしに来ました。洗脳されていた時の記憶はありませんが、テオドルフ様に助けていただいたとイザベラ様より伺っております」

「いや、確かにそうだけど……なんでメイド服を着てるんですか? 本当にメイドになったわけじゃないですよね?」

「いえ、ちゃんと試験を受け認められました。イザベラ様の推薦もいただいておりましたのでテオドルフ様の専属になることができました」

「母上までなんで!? と、とにかく専属メイドなんて必要ないから大丈夫ですよ!」

「そんな……冒険者は引退したので追い出されたら無職になってしまいますのに……」

「思い切りが良すぎる! なんでそうなるの!?」

「本当にダメでしょうか、テオドルフ様……?」


 残念そうに言うレイラを見て、テオドルフは「う゛」と言葉に詰まる。

 本当は嬉しかった。母がいなくなり、ガーランも側にいる時間が減ったこの状況で自分のもとにいてくれる存在が嬉しくないはずがなかった。


「わ、分かったよ。でも他にやりたいことが見つかったらいつでもそっちに行っていいからね」

「ふふ、そのようなことは起きないと思いますが分かりました」


 レイラは改めて姿勢を正すと、深く頭を下げたあとテオドルフをまっすぐに見る。


「これからよろしくお願いいたします、テオドルフ様」

「うん……こっちこそよろしくね、レイラ」


 奇妙な縁で繋がった二人の生活は、こうして始まったのだった。

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