貴石のジェマ

矢芝フルカ

第1話 誘拐

 これは、絶対に成功させなければならない。

 それが一族の長姫おさひめである、自分の責務なのだ。

 確かな決意を胸に、ジェマは馬を走らせた。


 夜空に月は無く、山麓の高原は、深い闇に包まれている。

 一寸先も見えない程の暗さなのに、危なげなく馬を駆ける事ができるのは、光の妖精の先導があるからだ。


「ジェマ! 見えた! あれでしょ?」

 淡い光を放ちながら飛んでいた妖精が、小さな身体の小さな指で、方向を指し示す。


 林の先の広大な草地の真ん中に、いくつもの火が焚かれて、明るくなっている場所があった。

 その灯りに照らされて、いくつかの立派な天幕が張られているのが見える。


 間違いないだろう。

 あれが、帝国の皇子の一陣であるのは。


 馬を降りたジェマは、木々のすきまから、天幕の様子をうかがった。

 護衛の兵たちが、ところどころに立って警戒している。


 戦地へ向かうための行軍では無いためか、帝国の皇子を守るにしては、兵の数は少ないようだ。

 これは好都合。

 ジェマは、頭に巻いている白いストールを取ると、長く編んだ金色の髪を、入れ込むように被りなおす。

 そして布の端で、顔の下半分を覆ってから、上着の中へとしまった。


「なぁ、ジェマ。本当にやるのか? 」

 不服そうな声に、ジェマは目を向ける。

 口を大きく曲げた青年の顔が、そこにあった。


「気乗りしなければ帰って良いぞ、フラム。わたしとルークルとでやるから」

 ジェマがそう言うと、フラムと呼ばれた青年はあからさまに「ムッ」とする。


「そーよ。腰抜けフラムなんて、いらないわよ」

 光の妖精ルークルが、フラムの鼻先をひらひらと飛び回った。

 女の子の姿をしたルークルは、手のひらほどの小さな身体に、蜻蛉かげろうのようなはねを背に付けている。


「ルークル! お前今、俺の悪口言ったろ! 分かるんだぞっ! 」

 挑発するように目の前を飛ぶ妖精を、フラムは手で追い払った。


 フラムは、ルークルの姿は見えるが、言葉を聴く事はできない。

 一族のなかで、妖精と言葉を交わせるのは、ジェマひとりだけなのだ。


 大きなため息をついたフラムは、ジェマと同じように、頭に巻いたストールの端で口元を隠す。

「やってくれるのか? フラム」

「お前だけ置いて、里に帰れる訳無いだろう」

「ありがとう! だから好きだよ、兄者あにじゃ

 ジェマが笑顔で言うと、フラムは少しだけ目元を緩めた。


 ジェマとフラムは乳兄妹ちきょうだいで、血のつながりは無いが、幼い頃から共に育ってきた。

 互いに大人となった今、フラムはジェマの護衛兼お目付け役だ。


「・・・動くぞ」

 天幕を見ていたフラムの視線が、鋭いものになる。

 ジェマはハッとして、目を凝らした。


 天幕を護っている兵士たちが、バラバラと動き始めた。

 どうやら持ち場を交代するようだ。

 ジェマは心を決めた。


「二人とも、手はず通りだ。・・・行くぞっ! 」

 先頭をきってジェマが走り出す。

 その後ろにフラムがピタリと付いて来る。


「きゃっほぅーっ! 」

 ルークルは声を上げて、ジェマたちとは反対の方角へ飛んで行った。


 パッ! パパッ!

 妖精が飛んで行った方で、眩しいほどの明るい光が弾ける。

 深夜の闇の中、その光は、嫌でも兵たちの目を引いた。


「何だ、あれは! 」

「おいっ、誰か見て来い! 」


 闇夜の高原での、突然の出来事。

 兵士の交代と重なったせいで、統率された動きが取れない。

 陣内は浮き足立ち、騒然とし始めた。


 闇にまぎれて、ジェマとフラムは、素早く天幕へと近づく。

 狙うは陣の中央に張られた、一番護衛の多い、一番立派な天幕。


 気づいた護衛兵が声を上げる前に、フラムが倒して行く。

 その隙に、ジェマは腰の短剣を抜いて、天幕を切り裂いた。


 常夜灯の蝋燭がひとつ灯る幕内は、絨毯が敷き詰められ、簡易とはいえ寝台がしつらえられていて、まるで普通の部屋のようだ。

 その寝台のそばに、たたずむ男の後姿があった。

 様子からして、この騒ぎに起き出した、という感じだ。


 ヒュッと、フラムの吹き矢が蝋燭の芯を切って、灯りが落ちる。

 外と変わらない闇となった幕内に、ジェマは風のような速さで入り込む。

 男に振り返らせる間も与えず、背中から腕を取って締め上げた。


「でっ、殿下っ!」

 控えていた従者の、悲鳴が飛ぶ。

 やはりこの者が、帝国の皇子!

 従者の悲鳴を聞きつけて、灯りを持った兵たちが駆けつけた。


「動くなっ! 動けばこの者の命は無い!」

 ジェマは、皇子の首筋に短剣の刃を当てる。


 兵たちはジェマに剣を向けるが、皇子が盾となっていて手を出せない。

 ジェマの背後を護るように、剣を抜いたフラムが立っている。

 その隙の無い構えに、こちらも責めあぐねているようだ。


 その兵の間から、背の高い、がっしりとした体躯の男が現れた。

 男は、ジェマの剣先が見えていないかのように、こちらへと近づく。

 だが、


「よせ、シュレン」

 皇子の言葉に、その歩みはピタリと止まった。


 それを機と見て、

「ルークルッ! 」

 ジェマは光の妖精の名を叫ぶ。

 小さな姿が、幕のすきまから飛び込んで来た。

 だが、帝国の兵士たちには、その姿が見えないらしい。


「特大のやつ、いっちゃうよぉーっ! 」

 ルークルは両手両足を大きく広げた。

 パアァァァッと、妖精の身体から光が現れる。

 それはたちまち、白く眩しい閃光となって、天幕いっぱいに広がった。


「うわああぁっ!」

 あまりの眩しさに、兵士たちは声を上げて目を覆う。


 光が収まって、兵士に視力が戻った頃には、ジェマたちの姿も皇子の姿も、どこにも無かった。


To be continued.

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