伯耆原会計事務所・監査担当、杠葉葉子の飲食店顧客巡りと会計TIPS

ユキミヤリンドウ/夏風ユキト

第1話 焼き鳥屋・八鶏の新メニュー

「では確かにお預かりしますね」


 開店前の少し薄暗い店内。炭とタレと油のにおいが染みついた焼き鳥・八景の店内だ

 小さなカウンターとテーブル一つ分の小上がり。

 カウンターには寿司屋を思わせるクーラー。少し黒ずんだ店内が歴史を感じさせる。


 多分創業は30年くらい前。

 うちで関与してからは15年ほど、私が担当を引き継いでからは3年くらい。


 カウンターの向こうでは60歳くらいのマスター、八田圭司さんが手際よく肉を串にさしている。

 熟練の手さばきだ。食べる時はすぐだけど、こういう作業があるから美味しく食べられる……といいうかああいうのを見ると串から外すのは邪道だなとか思ったりもする。

 まあ食べる人の自由だけど、私は外さないかな。

 

 焼き鳥一筋で経理とかは面倒だから、というので帳面付けだけしてもらって、事務所でデータ入力をして正式な会計帳簿を作っている。


 飲食店の人は自分で全部やってしまう几帳面な人もいれば、料理バカ……と私が行ったわけじゃなくてとあるシェフの奥さんが言ってたことだけど……という感じの料理特化型で、独立したけど事務仕事は全然ダメだから事務所に丸投げという人もいる。

 お店の規模やオーナーによってかなり違う。


 うちの事務所は所長が飲食好きなこともあって、小規模な飲食店の仕事をフレキシブルな形態で手ごろに受託している。

 おかげで色々な店を知ることが出来て楽しい。


「ところでさ、はっぱちゃん。この新メニュー分かるかな?」


 そう言って大将が壁に貼ったメニューの短冊を刺した。

 ネギマ、モモ、カワ、ツクネの定番のメニューに割り込むようにアサエモンなる短冊が追加されている。


「はっぱちゃんは止めてください」


 私は名前に葉が二つ続くからハハとかはっぱとか呼ばれることが多い。

 まああだ名くらいはつくから気にはしてないけど。


 同僚には偶々飲んでた缶コーヒーを社長の息子さんに見られて、その缶コーヒーの名前があだ名になった人が居る。

 その子供さんはもう成人しているらしいから、都合15年はそのあだ名が固定されている。

 

「分かったらビール一杯進呈!さあ、はっぱちゃん、答えてみ?」


 日焼けした顔に分かってたまるかって感じのドヤ顔を浮かべつつマスターが言うけど。


「クビですよね」


 そう言うと、マスターが愕然とした顔でよろめいた。

 ドヤ顔が崩れる。ちょっとだけ溜飲が下がった。



「……なんでわかるの?いままで5人とも答えられなかったし、こんな一瞬で分かるとか」


 ネック、クビ。

焼き鳥のメニュー的にはセセリという方がなじみがあると思う。

 首周りの肉だ。


 焼き鳥屋で食べると折りたたむように串に刺されていてボリューミーな見た目が食欲をそそる。

 香ばしい表面ときゅっと噛み応えがあるけど柔らかい肉質。そして適度な脂身の甘さが溜まらない。


 あの脂の甘みを思い出すと、セセリは絶対に塩が良いと思う。

 タレではあの甘みは味わえない。これだけは譲れない。

 ……というのはさておき。 


「マスター、歴史お好きなんですね」

「ああ、好きだよ」


 アサエモンは首切り役人、山田浅右衛門から採ったんだろうな。

 ネタバラシして歴史小話を話すところまでがセットなんだろう。


「若いのに歴史小説なんて読むの?」

「ええ、まあ」


 そこは曖昧に話を逸らす。

 私の知っている山田浅右衛門は歴史小説の登場人物ではないけど。


「そんなに簡単だったかな?」

「どうでしょう」


 最近、山田浅右衛門は首切り役人として歴史創作のいくつかに出ている。

 特に有名なのは最近アニメ化した作品だろう。私はもう少し前の別の漫画で読んだのだけど……

 だから同じ作品を読んだ人なら私と同じように答えにたどり着くかもしれない。


「分かる人には簡単にわかっちゃうかも」

「そっか……そんなに簡単なんじゃビール一杯サービスはやめとくかな」


 大将がちょっと寂しそうに言う。会心のネタだったんだろう。

 ところで。


「で、なんでビール注いでるんです?」

「だってあてたでしょ、はっぱちゃん」

「私はいま勤務中ですけど」

「別にいいでしょ、固いこと言わず。歩きでしょ?」


「そういう問題じゃないです」


 食べるのも飲むのも好きだけど、勤務中は流石に憚られる。それにウチの所長は嗅覚が鋭い。

 一発でバレる。


「次に来た時に頂きますよ」

「じゃあこれは俺が飲むわ」

「その一杯、家事消費★につけておいてくださいね」

「固いこと言うなって」


 油と炭の臭いが染みこんで少し波打ったノートとスクラップブックを風呂敷に包んでバックパックに入れる。

 バックパックを背負うと、肩にベルトの重みが食い込んだ。


「じゃあまた」

「次はもっと面白いネタを仕込んどく」


 焼き鳥を串にさしながらマスターが言う。


「アサエモン、次に来た時食べますね」

「おう、よろしくな」


 ドアを開けると白い昼間の光が目に飛び込んできた。

 少しくたびれた看板を見てビルの階段を下りる。この店は繁華街の近くで今は閑散としているけど、夜になったらにぎわうだろう。


 ネックは好きだから食べにこよう。

 それのここの焼き方は絶妙だ。長く続く店には理由はある。


★TIPS


 家事消費

 個人事業は事業のために仕入れたものを自分のために使ったら、それを売上に計上しないといけません。この場合は、事業主である大将が自分で飲んだ分をさします。

 それを家事消費と言います。


 オーナーだからと言って店の酒は飲み放題、なんてことはないのです。

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