第3話 惚れ(るかも知れない)薬
『……惚れ薬?』
聞くからに怪しげな薬について口で問い返すのも抵抗があったから念話で問い返すと、シュゼムは念話を続けた。
『そう、厳密に言えば惚れるかも知れない薬。この薬に自分の魔力を込めて相手に食べさせたら翌日には魔力の主が気になって仕方なくなる……その間に良い所を見せれば惚れてもらえるかも知れない、って薬だよ』
『そんな薬、聞いた事無いけど』
自分に注目してもらえる薬なんて存在するのならこの学院の中で1度位は耳にするはずだ。玉の輿目当ての令息や令嬢達がたくさんいるのだから。
だけど、恋と未来に悩む彼女達から漏れ聞こえてくるのは相手にどうアプローチするかとか、どう自分を美しく見せるかとか、そんな話ばかり。
『そりゃあ僕が卒業課題の為に初めて作った薬だからね。聞いた事なくて当然だよ。でも安心して、猫にも人にもバッチリ効果あったから』
『猫……もしかして、貴方が何節か前に猫を何匹も引き連れて歩いてたのって』
『察しが良いね。この薬の実験だよ』
『うわぁ……猫、可哀想……』
『大丈夫だよ、この惚れ薬の効果は1節……30日ちょっとで効き目が切れる。もう僕についてくる猫がいないのが何よりの証拠だ。まあ僕はまだ猫の「うにゃあ~う、うななぁぁ~ん」って幻聴がたまに聞こえてくるけどね。さっき先生からも合格をもらったから効果は保証するよ』
『……合格貰ったって事は、先生もそれ飲んだの?』
『先生が飲んだか誰かに使ったかは知らないけど、合格を貰ったよ』
なにそれ怖い――薬学部の闇を垣間見てしまった事を後悔しつつ本題に戻る。
『……それで? 私にそれを使って男と既成事実作れって?』
『簡単に言うとそういう事。でね、これをあげる代わりに1つお願いを聞いて欲しいんだけど……これ、ベスタハーレムの奴らに飲ませてほしいんだ』
『は……何で!?』
ベスタハーレムについては説明されなくても理解できる。レナを取り巻く男達の事だ。だけど、何で私に惚れるかもしれない薬をあの人達に飲ませなきゃいけないのかわからない。
『学院の卒業課題は合格したんだけど、来節アベンチュリン領の文官になる為の試験が控えててさ。その内容に論文または小説の提出があって、それで高評価を得られたら希望の部署に就かせてもらえるんだよ。だから一夫多妻や一妻多夫……いわゆるハーレムについての論文を書こうと思って』
『何でわざわざハーレム……?』
『ヴィオラ……ハーレム、と一言に言ってもその内情は様々でとっても奥が深いんだよ? この国にもハーレムを形成してる人間は複数人いるけど、例えばラリマー公とアルマディン女侯のハーレムの傾向は殆ど真逆と言っていい』
片手で足りない数の妻を持ちながら誰も愛していない事で知られる公爵と、これまた片手の手で足りない数の夫を皆愛していると公言する女侯爵の話題からシュゼムは淡々とハーレムについて説き始めた。
この国では一夫多妻、一妻多夫が認められている――というか、広大な領地を治める公侯爵レベルになると恋愛婚より子作り婚や政略婚が重要視される。
ただ、彼らは権力も財力も一般貴族とは桁違いなので恋愛感情を抑え込む必要も殆どなく、結果的にハーレムが構成される事が多い。
『性別の違いから、愛の有無……意図的にハーレムを構成した者から、気づいたら無意識に出来上がってたという者まで、ハーレムそれぞれ出来上がった理由も性質も違うんだ。本人達が納得して作られた良いハーレムと、凶悪な手段で相手を魅了・洗脳して築き上げた悪いハーレムも過去には存在する』
一度気になったらとことん研究するシュゼムの念話が止まらない。
意図的にハーレムを作った人より無意識にハーレム作っちゃってた人にイラッとしちゃうのは私が卑屈だからだろうか?
『だけど、どのハーレムにも1つだけ共通している事がある……ハーレムを形成する人間は美貌、地位、金、強さ、魔力……あるいは何かしらの力を使った魅了を保てる精神力、とにかく、ハーレムマスターは常人にはない力を複数兼ね備えている』
ハーレム作ってる人に後ろから刺されそうな独特な単語を言い終えてシュゼムのハーレム講義が終わった。
『……たくさん魅了がある人に多くの人を惹きつけられるのは当たり前じゃない? 大した魅力がない人に複数人が寄っていったりしないでしょ?』
『ヴィオラは魔力しか長所がないベスタ嬢が何で高品質のハーレムを作れてるのか気にならない?』
確かに――レナは確かに魔力こそ強いけど、他は大した事ない。容姿だって私の方が可愛いと思うし、成績だって私の方が上だし。地位だって、ほぼ平民の私の方が上だ。
なのに――レナの周りにいる将来有望な男達は私に目もくれずにレナを淡い熱を持った眼差しで見つめる。
『気にならない? ってと聞かれたら気になるけど……そんな事、直接レナに聞いたらいいじゃない。知らない仲じゃないんだし』
前にレナと話してる時にシュゼムと遭遇してしまって、仕方なく紹介した事がある。以来、2人は見かけたら挨拶しあってるし、レナなら断らないだろう。
『何で君ハーレム作ってるの? 彼らの好意に本ッ当に気づいてないの? なんて聞いたって正確な回答は得られないよ』
『ああ……確かにそれは本人に聞けないわね』
私も以前、レナに『好きな人いないの?』と聞いた事がある。その時は『皆好きだよ? でも友情と愛情の違いは私にはまだよく分からない』みたいな事を言われた。
『僕は複数人からあんな熱を帯びた眼差しを向けられて平然としてられるベスタ嬢が不思議で仕方ない。でも激しい嵐も中心は穏やかっていうし……本当に気づいてない、という可能性も捨てきれない……彼女が意識的にハーレムを作っているのか本当に無意識なのか分からない……そこを確認するなら彼女が形成してるハーレムを崩してみるのが一番かなって』
あれこれと言い訳してるけど何だかんだ言いながら、結局シュゼムもレナに惹かれているのでは――? と心に棘がチクリと刺さったような、居た堪れない痛みを感じる。
冷めきった初恋まで踏み躙られるような感覚に逃げ出してしまいたくなるなか、再びシュゼムの念話が響いた。
『それに、ヴィオラも子どもの頃「私も一度くらい素敵な男の人達に囲まれて愛されてみたい」って言ってたでしょ?』
7年近く前、まだシュゼムに淡い想いを抱く前にシュゼムから6人の男に愛されるアルマディン女侯爵の話を聞かされた時に呟いてしまった一言を心底後悔する。
『……でも、この薬を使って色んな男にちやほやされても、薬の効き目が切れたら去られるんでしょ? 貴方は研究できるかも知れないけど私は惨めになるだけじゃない』
『いやいや、一節って結構長いよ? 慎重に親交を重ねて効果が切れる前に相手とキスの1つでもしてしまえば良い。ベスタ嬢を取り巻く男は皆真面目な奴みたいだし、あいつらは一時の誤ちでもちゃんと責任を取ると思う。由緒正しい貴族ばかりだから将来も手堅いし……何よりこの薬、飴玉っぽく作ったから飴の中に紛れ込ませて「レナと2人で一緒に作ったんです」と言って渡せば簡単に食べてくれると思うよ』
スラスラと並べ立てられる念話を聞けば聞くほど不安が募ってくる。
『……簡単に言ってくれるけど、皆有力貴族の子息よ? そんな事して、もしバレたら』
『あ……言っておくけどこの薬に想い人への想いを打ち消すとか、箇条に興奮させるとかのヤバい効果はないから。あくまで魔力を込めた相手に関心を持って、好意を持ちやすくするだけの薬。猫みたいに喉撫でたり餌付けした程度でベッタリくっついてこないから。先生からも使用制限かけられなかったし。少なくともあいつらは自分がこんな薬を盛られたんだと言いふらして回るような馬鹿な人間じゃない』
確かに、レナの周りにいる男達が自分の品格を犠牲にしてでもど田舎の令嬢を貶めるような人達かと言われたら、違うと思う。
『ヴィオラ、もっと気楽に考えたら? 彼女に好きな人がいるならともかく、いないんなら今のうちに1人、もらってもいいじゃない? ヴィオラは知らないだろうけど、好意を持ってない人間から好意を持たれるのは困るし、凄く疲れるんだよ。だからこれはベスタ嬢の助けにもなると思ってる。彼女が本当に無意識だったとしたらの話だけどね』
確かに、アトモスさんとの縁談を持ち込まれた時は困った。お父さんお母さんが抵抗してくれたから良かったけど、もし二人も賛成していたらと考えると怖い。
でも、でも――やっぱりこういう物を使って人の気を惹きつけるのは何だか卑怯な気がして、分かった、と言えない。
黙り込んでいる内にシュゼムは一つため息をついて肩を竦めた。
『……やっぱり、ヴィオラには無理かぁ。ベスタ嬢と違ってハーレムを形成・維持できる器じゃないから、薬を使って惹きつけてる内に好意を抱かせる事もできないか』
『な……何よ、その言い方』
『ああ、別にヴィオラを馬鹿にしてる訳じゃないんだよ? 魔力しか取り柄がないベスタ嬢相手とはいえ、何の取り柄もないヴィオラじゃ薬を使っても叶うはずない。良かれと思って言ってみたんだけど、絶対失敗しそうだよね。お願いする相手間違えたなぁ』
『ば……馬鹿にしないでよ! 私だって、きっかけさえあれば好意を維持する事くらいできるんだから!』
『そう? それじゃあやってみせてよ。魔力を込めた薬はマナベリーから作った飴玉に紛れ込ませれば見分けがつかないから。これ、飴玉の材料費とレシピ。ベスタ嬢誘って街で材料買って、余った分はヴィオラのお小遣いにしていいよ』
ぽんっ、と惚れ(るかもしれない)薬が入った袋と銀貨を手渡される。
『君は一週間ハーレム気分を味わった末に一人良い男を捕まえて村に帰らないで済むし、僕は薬の本格的な人体実験が出来るしハーレムについても研究できる……良いことづくめだね!』
ひょっとして、嵌められた――? と気づいた頃には、シュゼムはその場から立ち去っていた。
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