人肉病
西羽咲 花月
第1話
飯田橋高校3年A組のクラス内は今日もさざなみのような私語が聞こえてくる。
中には受験を控えて朝から机にかじりついて参考書を読みふけっている生徒もいるけれど、受験生という緊迫した雰囲気はそれほど感じられない教室だった。
「薫、昨日のテレビ見たぁ?」
間延びした声で私に話しかけてきたのは高校に入学してから仲良くなった長岡ユカリだ。
ユカリは今どき風の少し派手なタイプで、誰とでもすぐに仲良くなれる性格をしている。
ユカリの茶髪が窓から差し込む朝日でキラキラと輝いていた。
「見たよ。面白かったよね」
毎週かかさずに見ているバライティ番組の話で盛り上がっていたとき、教室前方の戸が開いて加藤圭太が登校してきた。
圭太は私とユカリの姿を認めるとすぐに近づいてくる。
「はよー」
挨拶しながらあくびをして目に涙を浮かべている。
「おはよう。どうせ昨日もゲームで徹夜してたんでしょう?」
高校卒業後は大学へ進学して、ゆくゆくは父親と同じ会社に入ると決めている圭太は、どこか緊張感の欠けるふわふわとした雰囲気を持っている。
「なんでかわったんだ?」
圭太は頭をかきながら首をかしげる。
私は呆れて息を吐き出した。
これほど緊張感のない受験生はあまり見かけない。
大学進学も、父親と同じ会社への就職もなんとかなるだろうとゆるく構えているのが丸わかりだ。
「そんなんで受験生なの?」
「俺、勉強はできるから」
成績のいい圭太は余裕の表情だ。
そんなことを言って遊んでばかりいると、いつか足元を救われやしないかと、心配だ。
「ふたりとも朝からイチャイチャしてさぁ、私をのけものにしないでよね」
見るとユカリが頬を膨らませている。
「イチャイチャなんて、してないよ」
慌てて否定してもユカリの不機嫌は治らない。
「いいよねぇ。恋人がいれば受験だって就職だって怖くないって感じだもんねぇ」
「そんなの関係ないよ。私と圭太は受験のライバルになるんだから」
私と圭太は同じ大学へ進みたいと考えている。
付き合っている人と離れたくないとか、そういう理由ではなくて、偶然進みたい道が同じだっただけだ。
「私も誰かと一緒に大学目指したりしたいのにさぁ」
「ユカリって受験組みだっけ?」
「いや、違うけど」
「違うんじゃん」
そう言って笑いあったとき、不意にユカリの顔から笑みが消えた。
「どうした?」
すぐに圭太が気がついて質問する。
「うん。なんか、昨日くらいから時々体の調子が悪くなるんだよねぇ。急に、ダルくなるっていうか」
「風邪でも引いた? それとも5月病?」
ゴールデンフィークが終わって2日目なので、まだ心と体が学校についていっていないのかもしれない。
私も授業中にぼーっとしてしまうことがしょっちゅうだ。
「そうなのかな?」
首をかしげるユカリの顔色がどんどん青ざめていく。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
ユカリの肩に触れようとしたとき、ユカリがすとんっと床に座り込んでしまった。
その額には褪せが滲み出してきている。
「保健室まで行ける?」
すぐにしゃがみこんでユカリと同じ目線になって尋ねる。
ほんの数分前までいつものようにおしゃべりをしていたのに、急にどうしたんだろう。
「うん……。ごめん、手を貸してくれる?」
私はすぐにユカリに手を差し伸べてた立ち上がるのを手伝った。
ただの5月病じゃなさそうだ。
「ちょっと、ユカリを保健室まで連れて行ってくるね」
圭太に声をかけて、私はユカリと一緒に教室を出たのだった。
☆☆☆
3年生の教室は3階にあり、保健室は1階にある。
階段をゆっくり下っていく最中もユカリは時々足を止めて休憩しないといけない状態だった。
けれど、支えている手からはユカリの平常な体温が伝わってきている。
熱はなさそうなのにな……。
ユカリは歩くのもつらそうで、何度も深呼吸をした。
「保健室よりも病院の方がいいかもしれないね」
「うん……」
いつもはよくしゃべるのに、口数も少ない。
どうにか1階まで降りてきて保健室が近づいてきたとき、ユカリのシャツの袖がめくりあがっていることに気がついた。
赤い斑点のようなものが腕に出てきているのに気がついて眉を寄せる。
もしかしてアレルギー?
急に体調が悪くなった事を考えると、なにかがアレルギー反応を起こしてしまったのかもしれない。
早く先生に診てもらわないと。
そう思って視線を前方へ戻したとき、窓の外に見えている校門の前を自衛隊の車が通り過ぎていくのが見えた。
この辺は少し行けば自衛隊の駐屯地があるので、別に珍しいことじゃない。
私はユカリを気遣いながら保健室へと向かったのだった。
☆☆☆
保健室の先生はちょうど鍵を開けて中へ入るところだった。
「先生!」
声をかけて呼び止めると、ユカリの姿を見て驚いたように目を丸くする。
「どうしたの? 大丈夫?」
40代前半の女性の先生はすぐにユカリをベッドへ寝かせてくれた。
ユカリは先生の言葉に返事することなくベッドの上で脂汗を浮かべている。
「さっき、教室で急に体調が悪くなったんです」
早口で説明して、ユカリの腕を見せる。
赤い斑点に先生は眉を寄せた。
「なにか、食べたり飲んだりした?」
「してません」
やっぱり先生もアレルギーを疑っているみたいだけれど、あのときユカリはなにも飲食していなかった。
ただ、窓は開けられていたから、そこから花粉や埃が入ってきていたかもしれない。
「わかった。後は任せて、あなたは教室へ戻って」
先生に言われて壁にかかっている時計に視線を向けると、ホームルーム開始の五分前になっていたのだった。
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