It falls

成瀬七瀬

 僕は落ちていた。いや『気分が』とかそういうものではなく、リアルに落ちていた。落下している、と言い換えた方が正しい。何故なら僕は今もなお落下し続けているのだから。


 別に飛び降り自殺をしたわけではない。思い返してみよう。僕はいつも通りにバイトから帰ってきて、ひとり暮らしのアパートの鍵を開けて、部屋に一歩踏み出したら落ちたのだ。


 当然、何が何だかわからない。床が抜けていたのか? と一瞬頭をよぎったが、延々止まらない落下を体感している内に、それは違うと確信した。我がアパートは二階建てなのだ。




「いやあ、止まりませんね」


 いきなりの他人の声に吃驚して見る。と、薄暗いそちらにはネクタイをはためかせながら落下している男性がいた。


「……止まりませんね」


「かれこれ五分は落ちていますよ。時計で計ってたんですけど、これはおかしいな」


 有り得ない状況に来ると人間は逆に冷静になるものなのだろうか。僕は勿論、男性も落ち着いて見えた。




「ほとんど暗闇だ。地球に穴が開いてしまったんですかね」


「だとしたら日本の裏側に出てしまいますよ。日本の裏側どこでしたっけ」


「ブラジルだったかなぁ。というかその前にマントルで焼け死にますよ、いや溶け死ぬのかな」


 乾いた笑いがお互いの口から洩れる。どうしようもない風の力で目蓋が開けにくい。




「あっ」


 声がした一瞬あとに、物凄い衝撃音が聞こえた。思わず見やると、落ちていく僕の目の端に、先ほどまで話していた男性が横たわって……いや、潰れて死んでいる姿が映った。


 その彼はガラスのような板に乗っているのか、視線を凝らせばまだつぶれた頭が見えた。ガラスのような板。彼はそれにぶつかって死んだのか?




 急激に緊張感が身を支配する。この落下していく先には、今みたいなガラスの板があるかもしれない。僕は相当高いところから落下し続けているわけだから、ぶつかったらそれこそ飛び降り自殺みたいな惨状になるのは間違いない。


 なるべく頭を守るように丸まって落ちたら少しはダメージを緩和できないだろうか? 試してみたが無理だった。




 そういえば彼はぶつかる寸前、何かに気付いたような声を出した。よく考えろ。察知できるなら避けることも可能ではあるまいか?


 首を巡らせてみるが、何も掴めるものはない。落下はぐんぐん進んでいく。焦る。どうすればいい、どうしたらいい! 助かる方法は……!




「あっ」




 ぐしゃ。








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It falls 成瀬七瀬 @narusenanase

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