私たちこれからどうするの
成瀬七瀬
崖っぷちがこんなにも寒いものだとは初めて知った。崖っぷちとは文字通り崖のふちに我々が立っているということで、比喩的表現ではない。
風が冷たい。足元を見ると草と草の間から蟻が一匹這い出てきていた。私の視力はすこぶる良い。しかし、視力がいくら良くても、人生の先を見通す力が無ければ、私にとっては無用の長物だった。
頭を巡らせて周囲を見る。私たちが上がってきた斜面、遠くに見える飛行機雲、切り立った崖、その上にいる私、の隣にいる山下。
「寒い」
「冬だからな」
短い会話を交わす。山下は傷んだ茶髪をうざったそうにかきあげて、一瞬私を見た。すぐに目を逸らしたのは何故だろうか。考えるのは止めておいた。
私と山下は失敗した。よその組のシマを誤って荒らし、その結果、我々が在する組は私たちを差し出し、荒らした方の組は我々を追い掛け、それから2日間逃げていた。
2日間。これだけ命を長らえたのは奇跡なのかもしれない。しかし、もっと上手く立ち回ればもっと生きられるのかもしれない。だが、私は、そして山下も、疲れていた。
元々向いていない職業だった。私は気が弱いし、山下はいざという時に怖じ気づく。組の中でも弱虫同士でくっつけられたような気がする。
でも、山下と一緒にいるのは楽しかった。まるで自分がヤクザではなく、ただの学生であるかのような錯覚を覚えるほどだった。
「なぁ」
「何だ」
「良いこと、思いついた」
山下が急にこちらに向き直って言う。その顔は奇妙に歪んでいた。笑いたいのに、苦しさが先んじて飛び出してしまった、そんな顔だった。
「良いこと?」
「うん。今から二人で背中を向け合って、空を見るんだ。一分数える間に、目の前を鳥が飛んでいったら……」
「いったら?」
「わかるだろ。そしたら、鳥を見た奴は此処から飛び降りる。残った奴は組に戻って、相棒を殺して落とし前をつけたって言えばいい」
私は首を横に振った。
「それで許されるとは思えない。どちらにしても殺されるのがオチだ」
「わかんねえだろうが。現に俺の、前の兄貴がそうやって助かってる」
本当なのかどうか、山下を見つめた。どうやら嘘は吐いていないらしい。
「なあ、やってみよう」
……私は、頷いた。
崖っぷちに立って、山下と背中合わせに立つ。今更ながら空の美しさに感動した。ブルーとホワイトのコントラスト。私は無意識に、目に焼き付けるように空を見ていた。
「じゃ、今から一分な。約束は守れよ」
「わかった」
「せー、の」
のんびりした声で山下がカウントを切る。私の予想では、鳥は飛ばないだろう。私の前にも、山下の前にも。この崖に逃げてきてから数時間が経っているが鳥なんか一羽も見ていない。背中に山下の気配を感じる。呼吸している。
三十秒。私は空を睨み付けながら、こんなことをしている我々を馬鹿馬鹿しく思った。
十秒。九、八、七、六、五、四、三、二……。私は背後にいる山下に向かって話しかけた。もちろん、鳥なんか飛んでいないだろう。
「なあ、私たち、これからどうする……」
振り向いた時には山下の頭がぐらりと傾いて、胴体が、足が、薄汚れた靴が、崖の下に消えていった。すべてがゆっくりと視えた。
山下の姿が完全に消えた瞬間、私は反射的に崖っぷちに走った。もう覚悟はできていた。ただ、確認したかった。
私が覚悟していた、山下の身体が崖の下――海の波間の岩に叩きつけられて横たわっている。私は、自分の視力を恨んだ。
頭上に黒い影がさした。見上げるとそこには、鷲のような大きな翼を持った鳥が青空を旋回している。
とうに一分を過ぎている。だが、私は鳥を見た。お前が見たのと、恐らくは同じ鳥を見ている。そうだろ? 今はいない山下に向かって話しかける。
「約束は守れよ」
山下の声が聞こえたような気がした。
だが、私は、崖から何もない空中に向かって足を踏み出す。
最後の約束を破った詫びは、あの世でするとしよう。
私たちこれからどうするの 成瀬七瀬 @narusenanase
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