第19話 初めて
お互い食べ過ぎたということで、周辺を流すことになった。
俺にとっては未だ把握しきれていない場所が多いのでありがたい。
最初は他の美味しそうなラーメン屋を見つけたりなどして楽しく過ごした。
しかし——
「あっ、ここのレストランは美味しいわよ。去年お母さんが来てくれた時に一緒に食べて……え? 閉店?」
祈璃さんの思い出の店が潰れていたり、
「ネコちゃん……いない……」
よく見にくるというペットショップでお気に入りだったネコがいなくなってしまっていたりして……。
「どうして……どうして……」
結果、祈璃さんのテンションが地に落ちてしまった。黒いオーラ全開でフラフラと徘徊する。これで凶器でも持っていようものなら間違いなく通報されてしまうだろう。
俺は状況を打開すべく考えを巡らせ、周囲を観察する。
「い、祈璃さん! あそこ! あそこに行きませんか!?」
なんとか見つけたその建物を指差して叫んだ。
「おお……!」
そこは色々なスポーツが体験できるアミューズメント施設だった。
腹ごなしにはこれこそもってこいだろうと思って祈璃さんの手を引いたわけだが、俺にとっても初めての入場で少し戸惑ってしまう。
「けっこう人が多いのね」
「そ、そうですね」
子供から大人まで老若男女問わずが各区画で様々なスポーツをしていた。
興味を惹かれたのか、祈璃さんの声は僅かに弾んでいた。
「何かやってみたいスポーツあります?」
「サッカー」
「え?」
「サッカーしたい」
「……せっかく色々あるのに、新鮮味なくないですか?」
「私はしたことないもの」
それはら仕方ないか。
サッカー——正しくは屋内スポーツであるフットサルのコートへ移動する。
運良くひとつ空いていて、2人占めすることができた。
シューズとボールを借りて、コートの中へ。
祈璃さんはロングスカートのままだが、それほど激しくやるわけでもないし大丈夫だろう。ミニスカートとかならそれはそれで問題がありそうだが。
悲報。
パンツは見えない。
「思ったより弾まないのね」
「フットサルボールですからね」
祈璃さんがコートの床に落としたボールは跳ね返って来ず、その場で小さくバウンドした。しゃがみ込んで再び両手に収める。
それを見届けてから、俺はコートの中へ駆け出して祈璃さんに要求する。
「ヘイ、パス!」
「……………ふんっ」
「ちょ、うおっ!?」
ドッジボールですかってくらい本気の上手投げをくらった。
なに!? 怒ってんの!?
先程までの鬱憤晴らしのお相手は俺に決めたらしい。
なんとかボールをトラップした俺はそのままリフティングを始める。
「よっと」
3年ぶりくらいだろうか。久しぶりの感覚だ。それでもボールは足に吸い付いてくれた。
祈璃さんという観客へのパフォーマンスとして、俺の持っているテクニックを駆使してリフティングを披露し、最後にボレーシュートをゴールに打ち込んだ。
「ふぅ」
綺麗に成功したことで胸を撫で下ろす。
ここで失敗したら格好悪すぎて笑えないところだった。
「ナイスシュート」
祈璃さんは小さく拍手しながらこちらに寄ってくる。
「やっぱり上手いのね」
「そんなことありませんよ。長年続けていればこれくらい誰でもできます」
「そう? でも、私は初めて見たから。あなたがボールを蹴ってるところ」
「そう……でしたっけ?」
「……そうよ」
脳裏に大切な記憶が甦ってくる。
——今日はおれ、ハットトリックしたんだよ! すごいでしょ?
試合が終わって、夕暮れの病室で。
大活躍したという話をするとそんな時には冷たい彼女も少しは笑ってくれた。
褒めてもらえなくても、それでも、嬉しかった。
「だから、すごいって思った。すごいわ」
祈璃さんぷいと顔を逸らして黒髪を揺らし、一瞬だけ俺の頭を撫でる。それからボールを奪い取った。
「ほら、パスしましょ」
「……おっと」
強烈なパスが飛んでくる。
「祈璃さん、初心者ですよね?」
「当たり前でしょ」
それにしては姿勢も蹴り方もしっかりしている。
俺は優しめにパスを返す。
「あっ……」
しかし祈璃さんのトラップは甘く、素っ頓狂な方向へボールは飛んでいった。
「あ、あなたのパスが悪い。ちゃんと足元にくれないから」
俺のパスは完璧だったはずなのだが……。
「……ボールはここに置いて、足の向きはこう。パスはインサイドキックで……」
またしても力強いパスが飛んでくるが足元から大きく逸れていた。足を伸ばしてなんとかトラップする。
「ははっ、最初のはまぐれですか?」
まったく、頭でっかちな人だ。
サッカーについては知識だけの素人らしい。
「そ、そんなことない、しっ」
怒りのこもったボール。今度は足元にズバッと返ってきた。
「どうよ」
「さすが祈璃さん」
頭でっかちだが運動神経は悪くないし、何より賢い。理論派と言うべきだろう。
パス交換を繰り返すたびにどんどん成長していく。
「ナイッシュー祈璃さん! いえーい!」
俺のパスから見事にゴールネットを揺らした祈璃さんに駆け寄る。
「い、いえーい……っ」
珍しくちょっぴりノリノリな祈璃さんとハイタッチを交わした。
それはゴールの魔力と言うべきか。
たとえ遊びであったとしても、サッカーのゴールは嬉しいものだ。そう簡単に点が入るスポーツでないからこそ、このゴールには価値がある。その全身を電流が駆け巡るような興奮こそが、サッカーの醍醐味だった。
これでレストランとネコを失った悲しみもある程度は解消されたことだろう。
「お疲れ様です」
「……どうも」
スポーツドリンクを買ってきて手渡す。
「らしくなくはしゃいでましたね」
「……そんなことない。カロリーを消費したかっただけ」
「俺は楽しかったですよ」
「……そ」
本当に久しぶりにサッカーが楽しかった。まるであの頃に戻ったかのように。
「運動したら腹減りましたね。夜もラーメン行きます?」
「……っ、行かない。夜抜くし」
「一瞬、心揺れませんでしたか?」
「そんなわけないでしょ、ばーか」
残念ながら夜のお誘いはフラれてしまった。俺も大人しく自炊することにする。
だけどまた今度、自炊に飽きた頃にこうやってノープランでランチに誘えたらいい。
……これってもしかして、デートだろうか?
とりあえず今日のところはお互いそんなふうに思っていなかっただろうし、ノーカンと結論付けて俺たちは帰宅した。
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