第90話 悪獣部隊

 カウンターに座った堂坂は、イザベラと話し込んでいる。


 その間、ユキとアズは無言で、二人の会話に耳を傾けていた。


「あれから、もう四十年は経っているのか」

「そうね」

「お前は歳を取るどころか、何度も若返る。わしはこうして老いぼれてゆくのみ。昔はお前の人生に哀れみを感じたこともあったが、いまはうらやましい」

「私は邪念を抱いていた。ルクスのように記憶を継承して、自我を永遠に存続させたかった。でも後悔している。結局、今の私が持っている古くからの私の自我は、ただのコピーでしかないもの」

「それでも己の意志を未来へと繋げることが出来る。わしは、死ねばそれで終わりじゃ」

「なんの用で来たの、堂坂」


 イザベラは話を中断させ、堂坂組長の顔を睨んだ。


「もう会わないと――」

「わしもそのつもりであったが、そこのお嬢ちゃん」


 と堂坂組長はユキを指差した。


「風間ユキが難儀しているではないかと、思ってな」

「私……?」


 今まで会ったこともない、それどころか部下に誘拐までさせようとした堂坂組長が、なぜか自分の身を心配している。


 目的は何か?


――チャイニーズマフィアと、三元教を叩き潰すことでしょう?


 かつて風間邸で、堂坂組の構成員に襲撃を受けた時、小夜が冨原に放った言葉だ。


「私が、マフィアと三元教を潰すのに、使える道具だから……?」

「ほう」


 堂坂が目を細めた。


「なぜ知っている」

「私の大事な――友人が――教えてくれたの」

「そのご友人は、どうしている」

「死にました。シリアル・キラー・アライアンスとの戦いで」

「そうか、やはり奴らか」


 しきりと頷いて、チャイをひとすすりし、堂坂はユキを横目で見る。


「まあ、あのころはお前を利用して、わしはマフィアと三元教を一気に叩き潰そうとしていた。理由はわかるか? 奴らが、この日本を混乱に陥れようとしているからじゃよ」

「また、大掛かりな話ですね」

「にわかには信じがたいだろうがな。それを阻止するためには、お前が必要だった。マンハントのターゲットとして、風間清澄がお前を差し出したと知った時、わしは嫌な予感がした。これもまた計画の一部ではないかと」

「私をマンハントの生贄にすることが、お父さんの計画に関係があるの?」

「勘だがな。清澄はお前を利用して、この国を混沌へと叩き落し、さらに何かをなそうとしている。なぜお前をマンハントに提供したのか、納得いく答えはなかなか見つからんが、よからぬことを考えているのは確かだ」

「そんな突拍子もないこと――」


 堂坂の推論を否定しようと、ユキが身を乗り出した時、


(……⁉)


 金沢駅で、クリムゾンベレー部隊と戦った時、脳内を駆け巡った過去の記憶が、またユキの頭の中で再生を始めた。


――この子は“成功”だ。マドカ。“かあさま”の能力を継承している

――私は、後にも先にも、ただひとつ。目的は、“かあさま”だよ

――そうだ、“かあさま”だ。そして、いま、我々の目の前には、“かあさま”がいる

――何も言うな、マドカ。私にとっては、三元教は道具に過ぎない。目的を果たすための

――まずは、“シリアル・キラー・アライアンス”。そして、“かあさま”だ


 そして新たに再生を始める別の記憶。


 自分が見たはずのない、生まれる前の“誰か”の記憶。


――かあさまぁ


 愛くるしい顔の男の子が、泣きながら土間に飛び込んできた。


――まあまあ、どうしたの

――また学校で、上級生にいじめられたぁ

――ああ、ひどいことを。こんなに顔を腫らして……

――僕の家が、シューキョーだからいけないの?

――え?

――いつもみんな、僕のことシューキョーカの子どもって、バカにしていじめるんだ。かあさまぁ、シューキョーって、いけないことなの?

――悪いことをする宗教もあります。でも、私たちは、人として為すべき正しい道を教える宗教です。他人に後ろ指をさされるようなことはしていませんよ

――じゃあ、なんで、みんな、僕をいじめるの

――わからないからですよ

――わからない?

――人は誰でも、わかろうと思えば、他人のことをわかることが出来ます。それだけの優れた力を持つ生き物です。ですが、わかる、ということは疲れることです。疲れるから、みんな面倒になって、相手をいじめるのです。その繰り返しで、ここまで人間は歴史を築いてきた……そろそろ、歪みが大きくなり始めてきています。だから、私たち宗教家が、人々の心を支えなければなりませんし、人々もそれを求めているのです。でも中には、そのことを利用して、人を騙そうとする悪い宗教家もいるのです。学校の子たちは、悪い宗教家と、いい宗教家の区別がつかないのでしょう

――……かあさまの話、むずかしいよぉ

――ふふ、幼いあなたには、まだ早かったかしら。でもね、清澄。憶えておいてちょうだい。いつかあなたが大きくなり、人々があなたを求めるようだったら、この国を救うために立ち上がりなさい。そして、本当の平穏を、人々の間にもたらすのですよ

――うん、わかった、おかあさまぁ


「どうした、お嬢ちゃん?」


 堂坂に呼ばれて、ユキはハッと我に返る。


 今の記憶――この男に話すべきだろうか。


 みんなにも打ち明けて、意見を聞くべきだろうか。


「……いいえ、なんでも」


 ユキは作り笑いを浮かべる。


 話すのはやめにした。今はまだ、誰にも話すべきではない。誰が信用出来る人間かわからないこの状況で、迂闊に情報を開示すべきではない。たとえ、相手が遠野玲であったとしても。


「とにかく、このままマンハントを進行させるのは、奴らの思惑通りになるのではないかと思ってな」


 堂坂組長は新聞を懐から取り出し、カウンターの上に置いた。


 北國新聞の一面に、バスジャックの記事が載っており、“またも惨劇!?”と見出しが踊っている。


 記事の内容は、いまだ誘拐されたバス乗客の行方は見つからず、唯一安否が確認されたのは、途中でバスから放り出された女性と赤ん坊の二人だけとのことだった。


「いよいよ悪獣部隊を動かそうかと思っている」

「悪獣……?」

「わしの配下でも特に剛の者を集めた部隊じゃよ。そいつらにバスジャック犯の退治を任せる」

「やめて! そんなことしたら人質の人たちが――」

「ほう、もしかして脅されているのか」

「そうよ! 私一人で、明日の夜十九時に金沢城へ来いって――」

「ならば、なおのこと好都合ではないかの」

「なんで?」

「相手はお前にだけそれを言ったのじゃろ? 我々は表向きはお前と示し合わせたわけではなく、我々の意思で動いたことにする。我々が独自の判断で動くのは問題はないはずじゃ。お前とのつながりさえ感じさせなければの」

「でも、それで刺激して――」

「気が付く前に始末する」


 堂坂は口の端を歪めて、笑った。


「それが悪獣部隊じゃ」




 ―同刻―

 玉川図書館前


 冨原は、ステッキで見えない道を探りながら、慎重に前へ前へと進んでいく。


「ふん、悪獣の面汚しめ」


 悪獣部隊の“現”隊長が、“元”隊長の自分に対して、見下したセリフを吐く。


 こいつはなんだったか、なんて名前だったか――と冨原は考えてみたが、思い出せなかったので、とりあえず通り名の『ダイナマイト』で今後呼ぶことにした。


「言いっこなしだぜ、ダイナマイト。SKAのランクAとやり合ったら、お前だってな」


 そこまで言ったところで、腹に蹴りを喰らった。


 さっき食べた夕飯が胃からせり上がってきて、堪らず、その場で吐いてしまった。


「うわ、汚ねえ」

「ぎゃはは、ザマあねえなあ、雑魚スケよ!」

「スケのスケは、女のスケってか⁉ うひひひひ」


 冨原は怒る気にもなれない。彼らの捻じ曲がった性格は、元々隊長であった自分がよく知っている。暴力で支配してきた自分に、彼らは怨みを抱いている。その想いが、自分が役立たずになって、一気に爆発したのだ。


「これから俺たちは、敵が隠れていると思われる現場に向かう」


 もう発見したのか。


 冨原は驚いたが、考えたら、嗅覚の鋭さは警察以上、というのが悪獣部隊のウリだった。


「一応、“元”隊長だから立ててやるけどよ、役立たずだけはご免だぜ。せめて盾になってくれよな!」


 調子に乗ったダイナマイトが、ウヒャ、ウヒャ、ウヒャと下卑た笑い声を上げる。


 怒りでこめかみに青筋を立てた冨原は、見えないながらも、相手との位置関係を推測し、ステッキに仕込んである刃を抜き出した。


 ヒュッと空を薙いだ。


 服の裂ける音がした。


「て――め――」

「座頭市に憧れててな。ちょうど、俺の名前は冨原市朗だ。改名して、“冨の市”とでも名乗ろうかい」 

「ざけんじゃねえ!!」


 ブチ切れたダイナマイトが、拳を振り上げる音がする。こりゃ殴られるな、と痛い一撃を冨原が覚悟した時。


 何者かが、風を巻いて、冨原とダイナマイトの間に割り込んできた。


「誰だ、てめえ⁉」


 ダイナマイトは攻撃を中断したようで、飛び入りの相手に誰何した。


「倉瀬泰助。刑事だ」


 倉瀬――⁉


 冨原は予想外の展開に面食らい、本当に倉瀬なのかと疑った。しかし、今の声は紛れもなく倉瀬の声だ。


「あんた、どうして……」


 なぜ悪獣部隊の集合場所に現れたのか、冨原には不思議でならなかった。


「倉瀬さんよ、なぜ、ここが……」

「私がただ意味もなく風間ユキの側にいたと思うな。荒事はもっぱらマッドバーナーに任せ、私はリビングドールと協力して情報収集していた。お前たちの動きなど、リビングドールからすれば、手に取るようにわかることだ」

「なるほど、な。だけど何しに来たんだ? まさか止めに来たのか」

「いや、その逆だ。仲間に入れてもらえんか」


 横で聞いていたダイナマイトが、ゲハハハと大笑いする。


「こりゃあ、傑作だ! 警察のジジイが俺たちに頭下げるってよ!」

「頭下げるとは言っておらん。お前たちの活動に加えろ、と言ってるだけだ」

「おいおい、お前みたいな爺さんに、何が出来る――」


 完全に舐めきった態度のダイナマイトだったが、急に、「痛てててて」と悲鳴を上げ始めた。


「こいつは、独鈷という秘孔だ。三十秒も圧迫していれば、気を失うかもしれんぞ。どうだ、味わってみるか?」

「や、やめ、やめ――」

「ふん」


 ドサリと、ダイナマイトが地面に投げ捨てられる音が聞こえた。


「てめえ、この野郎!」

「ぶっ殺されてえのか!」


 血の気の荒い他の連中が、怒声を上げて襲いかかろうとするが、


「慌てるな、未熟者が!」


 倉瀬に大喝一声されて、場は一気に静まり返ってしまった。


「私は、何もお前らと事を荒立てるために来たのではない。目的は同じだ。無関係の人々まで巻き込んだ、今回の悪行を許せぬだけ。しかし一人で戦うには、今回の敵はちょっと厄介そうなのでな。より多くの味方をつけたかったのだよ」

「……ふざけるな、誰が、お前なんかと組むかよ」


 ダイナマイトの苦しそうな声が聞こえる。


「ならば、お願いではなく、命令としよう。私は、お前らがなんと言おうと、一緒についていくぞ。断るならば、痛いお灸を据えてやる。どうだ、異論はあるか?」


 恫喝する声で、倉瀬は悪獣部隊の面々に迫った。互いの殺気が膨れ上がり、ぶつかり合う。


 やがてダイナマイトが舌打ちした。


「ちっ、好きにしろ」

「感謝する」


 感謝する――か。


 冨原は苦笑した。どちらかと言えば、強力な味方を得て感謝するのはこっちの方かもしれないな、と考えたりした。

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