逃げ込んだその先は……

 清川たちが会話をしている頃、金森たちは相変わらず洞窟内を早歩きで進んでいた。

 水面揺らめく洞窟はひたすらに一本道で、迷う心配は無かったのだが、それとは別件で金森はギャーギャーと騒いでいた。

「そっちに、なんか気持ち悪いのがいるんだってば!」

 大慌てで壁を指差すが、赤崎には何も見えない。

「何を言っているのだ、金森響。あれか? 壁の染みが顔に見える、とかいうやつか?」

 ヤレヤレと呆れて首を振るが、顔を真っ青にして壁側にいる「何か」に怯えている金森は、震えながら赤崎を盾にした。

「絶対にいるんだってば! なんで見えないの!?」

 涙目で怒鳴るが、やはり赤崎には何も見えない。

 肩に乗るブラッドナイトも首を傾げていた。

 しかし、地面から染み出た黒煙が揺らいでソレに巻き付くと、今度は赤崎たちにしか見えなくなった。

 それは一メートルほどの平べったい巨大魚で、真っ黒い体全体には濃淡があり、刻一刻とそのグラデーションが変わっていく。

 大粒のウロコはギラギラと光って、グロテスクなほどに艶めいている。

 古代魚や深海魚風のデザインをしたその側面には、ギョロギョロと良く動くビー玉のような瞳がいくつもついていて、唇からは長く細い牙が何本も突き出ている。

 よく見ると、体の側面から飛び出た透明なトンボの羽がブブブと微振動を起こして、器用に洞窟内を泳いでいた。

「あれ!? いなくなった! なんで!?」

 急に化け物を見失って半ばパニックになる金森の体をスルリと通り抜けると、巨大魚は赤崎を睨み、ニタァ……と口の端を歪めて笑った。

 その禍々しさと異常性に、赤崎が興奮していく。

「おお! なんだ、あの異様な化け物は! 金森響をすり抜けたぞ! 明らかに現実の生物ではないな。なんてカッコいいんだ! そうだろう、ブラッドナイト」

 頬を上気させ、初めておもちゃ売り場に来た子供のようなキラキラとした瞳を向けているが、残念ながら視線の先はおもちゃの剣でも、子供のために作られた格好いい怪獣の模型でもなく、気持ちの悪い巨大魚だ。

 金森は涙目になって、ベシベシと背を叩き、

「私をすり抜けた!? え、何々!? 気持ち悪いんだけど! ねえ、赤崎!」

 と、訴えるのだが、どうにも赤崎には届いていないらしい。

 また、ブラッドナイトの方も巨大魚にかなりテンションが上がっているようで、舌なめずりをしながら「ニャーン」と高く鳴いて前かがみになり、高く上がった尻を振り始めた。

 丸く瞳孔の小さくなった瞳は真直ぐに巨大魚を見つめており、完全に獲物を狙う体制に入っている。

 見事倒すことができれば、食らうつもりなのかもしれない。

「おっ! やる気だな、ブラッドナイト。良いぞ! 頑張れ」

 興奮冷めやらぬ赤崎が熱っぽく応援し、出来るだけ体を動かさないようグッと力を籠めると、ブラッドナイトは、

「ニャカカカカ」

 と、下手なクラッキング音を鳴らして、巨大魚に飛び掛かった。

 蝙蝠のような羽がブワリと広がり、グライダーのように真直ぐ巨大魚の方へ飛んでいくと、そのまま爪の立った四本の足で、平べったい側面をガンッと掴んで上から下へと切り裂いた。

 すると、巨大魚はギラリと歯の並んだ大口を開けて音もなく絶叫し、切り裂かれた部分からボロボロと崩れ去って行く。

 崩れた落ちたウロコや肉片は、砂の上に落ちると黒煙となって天井の方へ上って行った。

 欠片を口に含んでみたものの、それも口内で煙になってしまったらしい。

 柔らかい口元からシュルシュルと黒い煙が逃げていくのを、ブラッドナイトは釈然としない様子で眺めた。

「ふむ、金森響だけに見えたり、俺たちだけに見えたりとその在り方が変わるのを見るに、きっとあの黒煙が化け物の力の強弱を変化させたのだろう。それに、煙へと転じたな。アレの本質は煙で、生命体ではなかったのか? それに、化け物は平然と金森響をすり抜けた。互いに見えていないのか、あるいは、見えていなければ人間にとってはいないも同然なのか」

 呑気に顔や脇腹を毛繕いするブラッドナイトの隣で、赤崎はグルグルと辺りをうろつきながら巨大魚に対する考察を続ける。

 その表情はワクワクと楽しげで、段々と彼の中で博士がRPGのラスボスのようになっていく。

「恐らく少年は、アレで俺たちの力を試したのだ。そうする理由は……そうか! あの少年は、世界を陰から支配せんとする魔王なのだな! 世界をあの化け物で埋め尽くされたくなければ、抗い、立ち向かえと! そうなのだろう!?」

 グッと握りこぶしを作って、明後日の方向へ熱弁していると、

「うるさい! こっちはあの化け物の行く末が気になって膝が大笑いしているってのに、アンタは呑気に妄想なんてして」

 と、金森が赤崎を涙目で睨み、両手で交互にパーカーの紐を引っ張って怒りを発散した。

 膝は金森の言う通りガクガクと揺れていて、怒っているが酷く怖がってもいる。

「お、おお、悪かった。ついテンションが上がってしまってな。巨大魚は倒したぞ、ブラッドナイトが」

 少し罪悪感を抱いた赤崎が苦笑いで頭を掻くと、ブラッドナイトが誇らしげに鳴いた。

 すると、「本当!?」と、瞳を輝かせた金森が跪いて、

「偉い! 偉いよ、ブーちゃん! 赤崎の五倍は役に立つわ。赤崎の相棒なんか止めて、私の相棒にならない!?」

 と、ブラッドナイトのちょこんと揃った前足を両手で包み込み、スカウトを始めた。

 ブラッドナイトが「うにゃうにゃ、ニャーン」と口を動かして何か言う。

 それを、金森はスカウトが成功したと解釈して、ブラッドナイトを抱き上げ、肩に乗せた。

「わーい、これでブーちゃんは私の相棒……重くて痛い!?」

 ブラッドナイトは触ってみるとふわふわで、少し揉むとモチモチの魅惑のボディを誇っているが、実は、その体のほとんどはしなやかで強靭な筋肉によって構成されている。

 そのため、体重は非常に重かった。

 また、容赦なく両手両足の爪を立てて人間に掴まるので、皮膚にブスブスと爪が食い込んで、かなり痛い。

 尻尾も、ブンと振れば一撃で鳩を仕留められそうなほど太く重いので、猫というよりも小型の虎と考えた方が話は早いかもしれない。

 ブラッドナイトを奪われかけた赤崎が、大慌てで取り返し、ヒョイッと肩に乗せた。

「勝手に俺の相棒を奪うな、愚か者め! ブラッドナイトは俺のように強靭な肩を持ち、爪に耐えられる者でなければならないのだ。おお、パーカーに穴をあけてしまって、何をやっているのだ、お前は」

 見れば金森の黄色いパーカーに、四つも穴が開いてしまっている。

「あらら、まあ、仕方ないか。というか、赤崎は包帯巻いてるんだからズルでしょ! 反則よ! 私も包帯巻けば余裕よ、多分」

「何がズルだ! ブラッドナイトの爪は鋭利だから、包帯など簡単に貫通してくるわ。だが、金森響も包帯を巻く、というのはいい案だな。お揃いの包帯で相棒感が増すぞ。家に大量にあるし、一本譲ってやろうか?」

 よく見れば赤崎のパーカーにもしっかりと穴が開いていて、その下の包帯にまで爪が、ガッツリと食い込んでいる。

 ただ、赤崎も金森も特に怪我は追っていないので、ブラッドナイトなりに何らかの工夫はしているのかもしれない。

 赤崎がドヤッと包帯を巻いた両腕を振れば、金森はげんなりと首を振った。

「いや、やっぱいいわ。相棒じゃないし、私には強大な力とか無いから、包帯巻く意味もないし。いや、赤崎にあるのかも、よく分かっていないけれど」

「確かに金森響の力は弱いからな。それと、お前は俺たちの相棒だ」

 金森が力の弱さや相棒云々について噛みつき、赤崎がそれに言い返す。

 そんないつも通りの言い争いに飽きたブラッドナイトは器用に両肩を使ってくつろぎ、スヤスヤと眠っていたのだが、ふと、何かの気配を感じてピンと耳を立てた。

 可動領域の広い耳が後ろを向き、むくりと起き上がると、シュタッと音もなく地面に降り立って二人の後ろを睨んだ。

「ん? どうした、ブラッドナイト。後ろに何か……金森響、走るぞ。絶対に後ろは振り返るな」

 頭を低くして何かを警戒し、口の端から歯を剥き出しにしていたブラッドナイトに違和感を覚えた赤崎が、後方を確認すると、やけに真剣な表情になった。

 だが、人間、振り返るなと言われれば振り返りたくなるもの。

 特に金森はあまり物事を深く考えずに行動して、後から頭を抱えるタイプの人間なので、赤崎の言葉に逆らうというよりは単純に、

「え? 後ろ?」

 と、反射的に振り返ってしまった。

 すると、通路の壁や床から墨汁のような煙が滲み出て、ソレが、ニョロニョロと細長い体を持つ蛇のような怪魚や、鋭い棘のようなヒレを持ったエンゼルフィッシュのような化け物、ゲラゲラと笑う真っ黒いホタテなどへと変化していくのが見えた。

 異形の群れは、ギラリと一斉に三人を睨む。

「!?!?!?」

 金森はパニックを起こすと、零れ落ちそうなほど大きく目を見開いたまま、声無き悲鳴を上げ、ペシペシと赤崎の肩を叩き、そのまま手首を掴んで一目散に走りだした。

「何アレ!? 何アレ!? 何アレ!? 早く逃げないと!」

 勢いよく引っ張られると転びそうになって、バランスを取りながら金森の隣を並走する赤崎は、

「だから後ろを振り返るなと言っただろうが、この愚か者! 俺の気遣いを無駄にしおって!」

 と、ポコポコと怒るのだが、彼女の方は恐怖と焦りで今一つ話を聞くことができていない。

「ブーちゃんついて来てる!? ブーちゃんついて来てる!? 走れないなら、抱えてあげるから!!」

 後ろからは言語化できないような、奇怪な笑い声や絶叫、ガチガチと細長い歯を噛み合わせる凶暴な音が響いて、恐怖に鼓膜が揺さぶられた。

 後ろを振り返れば恐怖で身が竦んで動けなくなることは必至であるし、立ち止まってしまえば碌な目にはあわないだろう。

 最悪、死んでしまうかもしれない。

 そのため、金森は決して振り返らず、

「ブラッドナイトならお前の前を走っているだろう! いいから手を放せ!」

 と叫ぶ赤崎の腕を握ったまま、とにかく走った。

「赤崎、アレ!」

 大分走った通路の先ではブラッドナイトがちょこんと座っており、赤崎を見つめながら、バシッバシッと尻尾で簡素な木製の扉を叩いている。

 蹴破れ、と言いたいのだろう。

「分かった。退いてくれ、ブラッドナイト。今、開ける」

 赤崎は短く答えると、金森が手を離したことで動きやすくなった体を捻り、ドカッと扉を蹴飛ばした。

 扉の向こうにブラッドナイトが飛び込むと、続いて金森も入り、最後に赤崎も入ってからバタンと扉を閉じた。

 閉じる瞬間に見えた、化け物たちのビー玉の目玉が、ニタリと溶けて歪むのに怖気が立つ。

 赤崎がゼェゼェと息を整えながら、汗ばむ頭を振って先程の嫌な光景を追い出していると、同じように苦しげに呼吸を整えながらも、他に化け物が現れることを警戒して周囲を見回していた金森が、

「あ!!」

 と掠れた大声を上げた。

 三人が逃げ込んだ部屋は、博士の部屋だったらしい。

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