8.傲慢と高飛車
「エインさん、何読んでるんですか?」
天束エインとアンジュ・ド・ルミエールが暴食のアペティットを倒した次の日。萩目学園へ登校してきたエインは、先日、アペティットが消滅した場所に落ちていた
「まぁ、ちょっとね」
「えー! 何読んでるか教えてくださいよー!」
「どうせ教えたところで、アンジュには理解できないと思うけど?」
むかー、と口にした赤髪の天使は未だ不満を言っているが、何も天束エインは、「アンジュに意地悪してやろう」と思っているわけでもないし、隠さなければならないことを隠しているわけでもない。
「……」
──ぱたんと彼女が閉じた魔導書には、特に意味のある事柄が書かれているわけではなかったからだ。
「ほら、もうすぐ授業始まるわよ。席に戻りなさい」
「……わかりました」
まさにしぶしぶといった具合だ。
「はぁ……。癪に障るけど、黒居に聞くしかないか」
無論、それだけではない。先日の一件で、悪魔を見つけたのならせめて手を貸すとか、それぐらいしてくれよ、と言いたい気持ちもあるだろう。
あの後、彼は姿を見せていないし、この魔導書を回収しに来たわけでもない。彼には裏があるのは間違いない。だが、それが果たして何なのかは、分からない。
天束エインがそんな思考にふけっていると、思わぬ人物が彼女の机の前へ現れた。
「あら、あなたが最近入学された天束さんですの? 思っていたよりも地味なのねぇ」
「……天束エインだったら何だっていうの。見たところ他のクラスの生徒みたいだけど、用があるなら手短に済ませて」
厄介な悪魔を倒したばかりのところに、また訪れた面倒の予感が、彼女の中の警報機をうるさく鳴らせていた。
「用? あぁ、思い出しましたわ。わたくし、挨拶に来ましたの。入学して日が経ってもなお、この
天束エインは場の雰囲気や変化に疎いほうだが、そんな鈍感な彼女でも、天ノ宮萌木の登場によって、このクラスの雰囲気がすこ~しづつ、重苦しくなっていっていることに、薄々感づいていた。
「くらだらないことね。学び舎のもとでは皆が平等だと聞いたわ。悪いけど、天ノ宮さんに頭を下げる意味がない」
周りの人間が察さずとも分かるレベルで、それを言われたお嬢様がどんどん苛ついていく。
「……アンジュちゃん! アンジュちゃん!」
二人の険悪なやり取りを聞いていた、アンジュ・ド・ルミエールの隣の席の女学生が、赤髪の天使へ話しかけてくる。一応、普通の人間に羽根を見ることはできないので、天使とも知らないだろうが。
「……ほへ?」
だが、そのアンジュは今の今までうたた寝をしていた。
「アンジュちゃんの友達が天ノ宮さんに喧嘩を売っちゃってるよ!」
「へ……? エインさんに限ってそんな事……」
起きながら夢を見ている、とでも例えるべきな彼女が、隣の学生が指した指の先を見ると、途端に眠気が覚めてきた。と、同時に疑問も浮かんだ。
「だ、誰かと喧嘩してるのは分かりますけど……あの茶髪のツインテールの方はどなたなのですか?」
小声、けれど心のなかでは大声で、その女学生が驚きの声をあげる。
「えーっ! は、萩目さくらさんの所ぐらいお金持ちの家のお嬢様だよ!」
”萩目さくらが学園長の娘であり、その存在が広く知られている”という知識がある彼女は、すぐに事の重大さを理解した。だからこそ、その一触即発の雰囲気を変えようとしたのだが。
実際に雰囲気を変えたのはアンジュ・ド・ルミエールではなく、教室へと入ってきた萩目さくらだった。
「天ノ宮さん、ここに居たのね!」
先程まで天束エインと睨み合っていた天ノ宮が、その声がすると嘘のように柔らかな顔になっていた。
「ご機嫌よう、萩目さん。礼儀を知らない世間知らずに、少し社会というものを教えていただけですわ」
「あー……」
天ノ宮の近く、つまり、天束エインの近くまで来た萩目さくらは、頬をぽりぽりと掻き、萌木が礼儀を”教えていた”生徒を見て、何があったのかを大体察した。
「あー、そうね。あの人は私のお友達なの。だから、私に免じて、ここは、ね?」
ウインクとごめんねポーズの合せ技。ようやく天ノ宮の気も落ち着いてきたようで、ふんっ、と天束エインを一瞥すると、自分のクラスへ帰っていった。
「天束さん、ごめんなさいね? 迷惑をかけちゃったみたいで」
「別に……。萩目さんも大変ね。あんな奴が友達とは」
ニコッと笑った彼女は、教室の入口へ向けて歩きながら、
「それでも、私の大切なお友達ですから」
と、言った。
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天束エインにとってはろくでもない一日だっただろう。天ノ宮という人間も気になるが、それよりも彼女が優先したのは、魔導書の件であった。
「それで、何が書いてるんですか~?」
下校中。アンジュ・ド・ルミエールが懲りずに聞いてくる。昼とは違い、銀髪の天使もその疑問に答えた。
「魔導書。でも、魔導が記されていない」
「どういう……?」
疑問を投げかけた当人は、頭の上にハテナを浮かべてぽかーんとしている。
「見てくれは魔導書の装丁そのものではあるけど、中身は
それを聞いたアンジュは、目をぐるぐるとさせていた。
「うーんと、えーと、つまり、危ないものじゃない……ってことですか?」
「まぁ、警戒ぐらいはしておいたほうが良いでしょうね」
なーんだ、と言い質問主は呑気に鼻歌を歌いだす。だが、天束エインには、これが意味のない魔導書には思えなかった。少なくとも、アペティットが死んだ場所に落ちていたものであるからだ。
「アンジュ、先帰っていいわよ。今日は用事があるから」
「わ、分かりました。また学校でー!」
手を振るエインであったが、頭の中は魔導書のことで頭がいっぱいだった。彼女の、一度考え出すと答えを得るまで止まらないという所は、短所でも長所でもある。
「さて……黒居に聞きに行くか」
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黒居。謎の男。なぜかエインやアンジュを助けている、自称人間。彼女は、彼が魔導書のたぐいについて、知っていることがあるのではないか、と考えたのだった。
「黒居、いる? ……って」
インターホンすら無い家に住む若人の男性という存在に、彼女は軽く恐怖すら覚えていたが、すぐに黒居は、いつものスーツ姿で玄関の引き戸から出てきた。
「アンタ、服とか変えてないの?」
「またまたご冗談を。スーツがアタシのフォーマルなスタイルなのでねぇ」
ああ、そう。とだけ言い残し、本題に入る。
「アンタが天界の事情に詳しいことを見込んで頼みがあるのだけど」
「どうぞ、何でもござれで」
しかし、天束エインが取り出した”それ”を見た瞬間に、黒居の目つきが少し鋭くなった。
「……なるほど。これについて調べろ、と?」
「そうよ。私も天界から冥界まで、あらゆる魔導書を読んできたつもりでいたけど、そんな本は記憶にない」
黒居のページをめくる音が少し聞こえる。
「……まぁ、そうでしょうねぇ。ざっと見ただけですが、とても魔導書の体を成しているとは思えません。しかし、ではエインさんの見た光景が何だったのか、という話になります」
「……暴食のアペティットが消滅した場所にそれがあったのは間違いないの。誰かが置いたものかどうかは、流石に確証がないけどね」
黒居は、そのデタラメな魔導書を読みながら話す。
「その線は薄いでしょう。これは文字の羅列というより記号の羅列だ。言語を有する生命体というのは、意味の無い文を作ろうとしても、無意識レベルで意味を持たせてしまうもんです。どちらかと言えば、これは動物にでも書かせたのかもしれません」
天束エインは鞄のチャックを閉め、
「で、本題に戻るけど。引き受けてくれるの?」
黒居が本を閉じる。流し読み程度だが読み終わったようだった。
「えぇ。お引き受けしますよ。エインさんの納得するような結果が出るとは……まぁ、限りませんが」
「それでいいわ」
踵を返して家へ戻ろうとする天束エインに、黒居が後ろから声をかけた。
「……あぁ、そうでした。あのお嬢様──天ノ宮萌木には気をつけたほうが良いです。面倒事を嫌うアナタにとって、彼女と関わることは避けることを勧めますよ」
「は? それってどういう……」
問い詰めようとした彼女が振り返ると、戸が閉められており、黒居はもう家の中へ戻っていったようだった。
「……勝手なヤツ」
道端の石ころが、蹴られた。
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魔導書の件をひとまず解決、いや、正しくは保留だが、天束エインの関心事は、魔導書から天ノ宮萌木に移っていた。もちろん、先日の黒居の別れ際の台詞も気になるが、それ以上に、彼女を迎えに来た萩目さくらの、笑顔の理由を知りたがっていた。
ちょうど学校の昼休み、アンジュを置いて、エインは一人、天ノ宮に関しての聞き込みをしていた。
しかし、まぁ。彼女にとって予想していたことであったが、天ノ宮萌木の良い印象を語られることはなかった。
どの生徒もとにかく、
「あの人は嫌い」
「萩目さんと違って印象が悪い」
「高圧的で関わりたくない」
……などなど。とにかくネガティブな反応ばかりだった。
「ま、昨日のアレを見てると疑問もわかないわね」
得意のため息をついた天束エインは、ある作戦を考えていた。
「……賭けるしかない……か」
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下校時刻。天束エインは、天ノ宮萌木についてのある情報を掴んでいた。それは。
天ノ宮萌木は、下校する前に、必ず立ち寄る場所がある、という情報。エインは、それをもとに、彼女に会いに行っていた。
「どうも、天ノ宮さん」
校舎裏の暗がり。人どころか、動物すらも寄り付かなさそうな所で、彼女は携帯をイジっていた。
「……」
「別に、他の誰にも言いやしないわよ」
それでも、天ノ宮はまだ一言も喋らない。
「あのねぇ。返事ぐらいしたらどうなのよ」
「……返事。これで満足?」
またため息をつく天束エイン。呆れたといったポーズをしてみせる。
「とんだろくでなしね。もういい」
そう言った天束エインは、アペティットに魔道を用いた時と同じように──天ノ宮へ手の平を突き出した。
「何の真似? 世間知らずがやることは理解できないわね」
ようやく、手の携帯から天束エインへ視線を移動させる。
そして、天束エインの手の平を中心に、魔法陣が生成された。天束エインへ移動した天ノ宮の視線は、それに移る。
「な、何なんですの、これは!」
今度は、天束エインが無言になった。ただ、真っ直ぐに天ノ宮を見つめており、その間もなお、魔法陣の光は増していく。
──次の瞬間。魔導が放たれるかと思われた魔法陣の前に、どこからともなくアンジュ・ド・ルミエールが現れ、天ノ宮をかばうように立っている。
「エインさん……何をしてるんですか」
彼女のエインを見る目は、いつものような憧れの視線ではなくなっている。
「悪魔狩りよ」
淡々と告げる銀髪の天使。
「ふ、ふざけないでください! エインさんが魔法を撃とうとしていたのは人間なんですよ!」
「何か問題が? 人間の欲望をエサにしているということは、彼女のように強い欲望を持つ人間に寄生する可能性もあるということよ。芽が出る前に摘む。それだけよ」
普通の人間が聞くと、まるでフィクションのようで笑える話だが、天束エインの語り口は”本気”であり、天ノ宮も、彼女の姿を見て完全に怯えてしまっていた。
「……天ノ宮さん、手に掴まってください」
「は、はい……了解です……わ」
震えた手でアンジュの手に掴まる天ノ宮。
「エインさん、ごめんなさい」
そう言ったアンジュは、一瞬の内に呪文を唱え、その場から完全に消えていった。それを
「……これで、あの頑固お嬢様が人を信じる動機ぐらいにはなるでしょうよ」
それを聞いたある人物──萩目さくらが、物陰から出てくる。
「あ、ありがとうございます。やはり天束さんは天使様だったのですね。それに、あの赤色の髪のお方も」
深くお辞儀をされ、やめてくれと天使は言う。
「それで、本当に彼女がおかしくなったの?」
手をぱっぱっと払い、萩目さくらへ問いかける。
「……はい。なんだか、前よりも、偉そうになった、みたいな」
「ここ数日の話なのよね。なら可能性はある。悪魔が取り憑けば、その人間の持つ欲望が増幅されていくの。彼女なら……傲慢、と言ったところね」
萩目さくらの話によると、天ノ宮萌木は、素はマトモな人間らしいのだが、家の事情や身分に苦しみ、友人は萩目さくらしか居らず、他人への接し方がわからず、いつもああなってしまう……ということだそうだ。
だから、天束エインは考えた。彼女の中に居るであろう、悪魔を引きずり出すために、彼女に他人を信じさせようと。ならば、疑り深い自分よりも、人懐っこいアンジュの方が適任ではないかと。
「頼んだわよ、アンジュ」
天束エインは、夜の星空に、この作戦の成功を祈っていた。
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