5.見習い天使と失翼の使い

 天束あまつかエインは悩んでいた。いや、正しくは悩まされていたと言うべきか。昨日出会った見習い天使である、アンジュ・ド・ルミエールに未だ追いかけ回され続けていたのだった。


「エインさーん! 待ってくださいよー!」

「そもそも、なんであなたがこんな所に居るのよ!」


 天束あまつかエインは、萩目学園の廊下を走りながらそう叫ぶ。なぜ彼女達がこんな状況に陥っているのか。なぜ天束あまつかエインがアンジュに追いかけ回されているのかの理由を知るためには、少し時を遡らなければならない。



天束あまつかさん、おはようございます」


 いつもの登校ルート。たまたま学園長の親族である萩目はぎのめさくらと通学路が被っている天束あまつかエインは、彼女に話しかけられることも多い。今日も例外ではなかった。


「ええ、おはよう。萩目はぎのめさん」


 さくらへと会釈する天束あまつかエイン。どこか疲れたような顔をしているが、それも当然だ。


 昨日のこと。天束あまつかエインは、空から落ちてきたアンジュ・ド・ルミエールに質問攻めをされて、『魔導透明マギカバニッシュ』の魔法を使ってなんとか逃げ切っていた。


 人間の体で天使の魔道まどうを使用するのは彼女にとっても経験のないことであり、あの日の天束あまつかエインは幾つかの魔法を使用した。

 アンジュのような見習い天使ですら、疲れを感じることもない量ではあるが、今の天束あまつかエインにとってはそうではなかったようで。


天束あまつかさん、お疲れですか? ……ってあら」


 萩目はぎのめさくらの目の先には、“工事中”と書かれた柵と、少し損壊している橋があった。先日、天束あまつかエインが二級悪魔を退けた場所だ。


「物騒ですね……。何かあったのでしょうか」


 問われた天束あまつかエインは、さぁ? と言いたげなジェスチャーをして、


「さてね。ただの工事なんじゃない。物騒では……あるかもしれないけれどね」


 実際の所天使たちには、人間界で戦闘行為を行った場合、その後処理までを担うという義務がある。

 だが、今回の戦闘によって生まれた損害は軽微なもので、わざわざ魔導まどう術式を用いる必要もない──と、天束あまつかエインは判断していた。


「あっ、そういえば」


 と言った萩目はぎのめさくらは、天束あまつかエインの方へ向き直り、


「お母様が仰っていました。天束あまつかさんのクラスに転校生が来るそうですよ」


 それを聞いた天束あまつかエインの頭の中には……ある顔がよぎる。そうであってほしくないと思いつつ。


「あ、あぁ、そうなのね。まぁ良い所だし、すぐ馴染めるんじゃ」

「その転校生さん、黒いスーツの若い男性と一緒に来られたらしくて。元気が有り余って良い子だったそうです」

「は?」

「あと、天束あまつかさんのお名前を知っていたそうですよ?」


 “不幸だ”と天束あまつかエインは心のなかで呟いた。


「あら、お知り合いなのですか?」

「い、いえ。そういうわけでもないわ」

「そうなのですか」


 萩目はぎのめさくらは、髪の毛の先を人差し指でくるくるとしている。そんな呑気なご令嬢とは正反対で、今まさに憂鬱真っ只中といった状態の天束あまつかエイン。


「はぁ……」


 人間の世界へ堕ちてから、彼女はため息をつきっぱなしだ。


「お願いだから、面倒事にはならないでよね……」


 呆れたような悲しいような、そんな表情を浮かべていた。

 そして──そんな天束あまつかエインの予想は……当たった。当たってしまった。



「今日から転校してきました! アンジュ・ド・ルミエールです! よろしくお願いします!」


 朝の教室に大きな声が響く。子供のようなテンションではあるが、その突き抜けるような明るさを見て、「悪い子じゃなさそう」といった小声が、天束あまつかエインの近くからも聞こえてくる。


 そんな天束あまつかエインはと言うと、外を見て、なんとかアンジュ・ド・ルミエールに、自分の存在を悟られないようにしていた……が。


「あ! エインさーん!」


 にっこりと笑いながら天束あまつかエインへ手を振るアンジュ。彼女の顔は見えないが……とにかく、ため息をついている音だけはした。


「あら、エインさんの知り合いなのね。彼女の後ろの席が空いてるからそこに座りなさい」


 はーい、と言い、アンジュが天束あまつかエインの後ろの席へやってくる。


「エインさん、よろしくお願いしますね!」

「……はぁ」



天束あまつかさんとアンジュさんて外国の人なの!?」

「二人は友達?」

「どこから来たの?」


 こんなことをアンジュは周りの人間から質問されていたが、彼女はそれに対する返答を持ち合わせていない。というより、答えられない。

 天束あまつかエインを助けた黒服の男──彼から提示された条件が、「自らの素性を不必要に明かすことのないように」ということだったからだ。


 彼女は一応、表向きは“海外から来た帰国少女”という体で転校したきた生徒というものだったが、それすらなるべく伝えるな、と言われていたのだ。


 うーん、と返答に悩むアンジュを横目に、天束あまつかエインが教室の外へ出ていく。今は昼休みであり、一応彼女も飯は食べる、ということかもしれない。

 だが、それをアンジュ・ド・ルミエールが見逃すはずもなく。


「あ! 皆さんすみません。少し用事があるので失礼しますね!」


 天束あまつかエインを追いかけるアンジュ。──ここで、物語は冒頭へと戻る。



「一体何なのよ……こんな所まで来て」

「えーと」


 と、少し言いよどみながら、アンジュは気だるそうに髪をいじる元天使へ、こう言った。


「少し前に、指令が出たので、悪魔を倒すのを手伝ってください!」


 豪快にお辞儀をする見習い天使。困惑する失翼の使い。


「……どうせ三級悪魔でしょ? ならあなただけでも」


 そう言われたアンジュは赤色の髪の頭を上げ、彼女にこう伝えた。


「実は……二級悪魔が出たそうなんです。しかも相当厄介な」

「二級悪魔ですって?」

「はい。人の“ある”欲望を食らうそうで、即時討伐命令が出て……」


 それを聞いた天束エインは、顎に手を当てて少し思考を巡らせた。


「何を食らうの?」

「人間の“食欲”……です」


 また厄介事か、とでも言いたげな顔で、天束あまつかエインはため息をつく。


 ──時は少し流れ、放課後。授業が終わるやいなや、天束あまつかエインとアンジュ・ド・ルミエールは神流川かみながれがわに来ていた。

 以前少年の幽霊を浄化し、悪魔を滅した場所だ。その戦いで発生した橋の傷を直している重機の音が聞こえてくる。


「最初に言っておくけど、これはあなたに協力するわけじゃない。私には私の目的があるから。でも、悪魔が出たというのなら放っておくことはできない」

「だから教えて、そいつの特徴を」

「は、はい」


 赤髪の見習い天使は、ポケットから小型の携帯端末を取り出した。彼女が少しその端末を操作すると、空中に悪魔のデータが投影される。


「“アペティット”……か。人の食欲を食らい、自らのエネルギーへ変換する二級悪魔……ね」


 悪魔は厳密に言えば……生物ではない。しかし生物同様、何か栄養を摂取しなければ、その体は朽ちてしまう。

 そして奴らが食らうようになったのが、無限に湧いてきて、世界が存在する限り決して尽きることのないエサ……。人間の欲望だった。


 天束あまつかエインは嫌な予感がしていた。


「アンジュ、人間の三大欲求について知ってる?」


 唐突に名前を呼ばれた見習い天使は驚きつつも、


「え、えぇと、睡眠と……何でしたっけ」

「睡眠欲。食欲。そして性欲。これらは人間達の持つ根源的な欲求。学院で習わなかったのかしら?」

「習ったかもしれません……」


 天束あまつかエインは額に手を当て、呆れたような顔をした。


「良い? 食欲というのは純粋な欲望。それでいて、人間が生きるうえで、絶対に尽きることがない欲望。奴らのエサとしてはこれ以上適格なものはないぐらい」


 ふぅ、と息を吐いた後に、彼女はこう言った。


「見つけるのが遅れるほど奴は力を蓄える……。手遅れになる前に急がないと。行くわよ」


 銀髪の天使がそう言って立ち上がると、赤髪の天使も後に続く。


「でも、あてはあるんですか?」

「まぁ、何となくは。人間の食欲が集まりそうな場所へ行けば良い、ってことだしね」


 そうして話す二人の天使を──暗い物陰から、ある二級悪魔の“影”が見ていた。彼女たちを──いかにして罠に嵌め、食らってやるのかを考えるために。

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