見習い天使と失翼の使い ~翼を奪われた元天使、見習い天使と共に自らを陥れた仇敵へのリベンジを誓う~

めんてて

1章・堕天篇

1.失翼のはじまり

 どこまでも続いている赤色の空。生物も住んでいない、枯れ木ばかりの荒れ地。この場所の名前は──地獄。


 生命が拒絶される場所。その異常が天界へと報告され、調査に来ていた先遣隊の天使達。だが──もはやその姿はない。


 真っ赤に染まった大地の上にある──天使たちの死体の山。その上に、“男”が座っていた。


 その“男”は、死体の山の前でうごめく一体の天使を、玩具のように弄びながら、醜悪な笑みを浮かべている。


「はッ……。所詮こんなモンか」


 呆れた、と言わんばかりに男はため息をつき、うつ伏せに倒れているその”天使”を踏みつける。


「こんな雑魚を寄越してくるとはなァ。随分舐められたもンだぜ。なァ?」


 そう言って男は、乾ききった地面に倒れている天使を、再び踏む。


「先遣隊隊長の──エインフィールドよォ?」


 甲高い笑い声が地獄に響く。何回も何回も、男は天使を踏みつける。土埃で汚れた彼女の純白の翼は、今ではその白さを失い、はばたく力も持っていない。


 エインフィールドと呼ばれた天使は、死の寸前にあった。だが、いくら男によって蹴られ殴られの行為を受けても──。


「……なぜ」


 天使が体を僅かに動かし、小さな声を出した。“男”は気にもせずに彼女をいたぶり続ける。


「──なんで……殺さないのよ」


 うつ伏せの体制で、首を曲げて顔だけが“男”の方へと向いているエインフィールド。彼女の顔は血と涙に濡れて、凄惨な状況を物語っていた。


 そして、それを聞いた”男”は、


「はッ。“なんで”だと?」

「──テメェを痛めつけて、絶望させるために決まってんだろ?」


 男は天使の翼を踏みつける。だがさっきと同じだ。殺すほどの力は込めていない。ゆっくりと、殺すほどの力は込めず、相手の反応を楽しむ。


 エインフィールドの目から、涙が零れた。


「──もう……殺してよ……」

「……ちッ。絶望する前に壊れやがッた」


 死を懇願する彼女だったが、この醜悪な男が……それを受け入れるはずもない。“男”は足をどけたかと思うと、その手でエインフィールドの頭をつかみ、体を無理矢理起こさせる。


「あ……う……」


 天使は、もはや物を言うこともできず、その瞳に涙を浮かべるだけで、うめき声以外の言葉を発することは無くなってしまった。


「つまんねェな。もう限界か」


 そう言うと、男は呆れた……というより飽きたといった表情を浮かべ、気だるそうにエインフィールドを持ち上げた。。


 首元をつかまれ、トロフィーのように掲げられる彼女の目は、うつろとしている。


「だが──ここまで耐えたッつーことは、あの転がってる奴らとは違うらしい」


 男は一言、面倒くせぇと呟いたあと、


「──その“天使の力”、俺が使ってやるよ」


 次の瞬間。男と天使の足元に、幾何学的な模様が描かれた、光り輝く”陣”のようなものが発生した。


「ちか……ら?」


 捕まれているエインフィールドは、かろうじて声を出す。


「あァ。ありがたく思えよ? テメェが死んだ後も力を残してやる。──俺の“力”として、だがな」


 笑い声と主に、男が生み出した”魔法陣”が光を増していく。それに呼応しているかのように、エインフィールドの眼から光が少しづつ消えていく。


「最後に一つ覚えておけよ? これからテメェの力を奪い、殺すヤツの名前をな」


 エインフィールドの背中の羽根が光の粒子となり、先端の部分から少しづつ、魔法陣へと吸収されていく。


「オレの名は──ベリアル。テメェら天使を、一匹残らず殺す者だ」


 その男──ベリアルが名乗った瞬間、エインフィールドの羽根が完全に消える所……だったのだが。そうはならなかった。


 ──エインフィールドの上から降り注ぐ、に遮られたからだ。


 目を見開いたベリアルは、エインフィールドの首を掴んでいた手を、一瞬で離す。すんでのところで男の手は光の奔流から逃れられたようだったが、それでも、腕の皮膚の表面には火傷の痕のような傷が残っていた。


「ちッ──天使か」


 赤黒い空を見て舌打ちをすると、ベリアルは、天使の死体の山に魔法で生み出した火を放ち、その場を後にする。


「まぁいいさ。オレが天界を堕とす時も──すぐそこだ」


 光の奔流がエインフィールドを回収し、どこかへ飛んでいく。そして地獄の荒野には、醜悪な男──ベリアルの笑い声が、ただ響いていた。



 ──夜の街。人間の営みが光となって市街を照らしていた。しかし、その日に街を照らしたのは、街灯や住宅の明かりではなく、空から降り注ぐ──光の粒子だった。


 一瞬の出来事だった。ここ聖安街せいあがいに住む多くの人間は、流星のようなものが、神流川かみながれがわと呼ばれる川の河川敷に”堕ちた”ことに、気づいていない。


 そして、それは野次馬を遠ざけるという意味で、河川敷に来た男にとって幸運なことだった。

 スーツ姿の若い男性が、”何か”が堕ちた場所へ駆け寄る。


「……なるほど。こりゃ手酷くやられたようですねぇ」


 その男性の目の先には、小さなクレーターとそこに横たわる少女の姿がある。


「傷を負ったようですが……あの粒子が上手いこと塞いだようですね。ということは、意識がないだけ……か」


 男はシルクハットを被った頭に手を当てて、やれやれと言って見せる。


「全く……。天界の揉め事は、天界だけで解決してくださいよ」


 エインフィールドを背負い、夜道に消えていく男。

 彼が向かっている先は、学生向けのマンションのような場所だった。



「……?」


 横になっている天使が目をぱちくりとした。そして──。


「──おや、目を覚ましましたようですねぇ。お目覚めの気分はどうです?」


 寝具で横なっている天使の前に立つ、スーツ姿でシルクハットを深く被った男性。その目は、帽子のつばの影に隠れて見えない。


「!? だ、誰なの!?」


 天使──エインフィールドは飛び起き、男へ向けて腕を伸ばした。彼女は手のひらを開き、“何か”をしようとする……が。


「おっと。怪しい者じゃありませんよ。だから、えー、どうか穏便に──見知らぬ天使の方」

「……」


 天使がその腕を下ろすと、男はほっとしたのか息を吐いた。だが、未だエインフィールドは、スーツ姿の男を疑いの目で見ている。……と。


「──さて、早速ですが本題に入りましょうか」

「本題……ですって?」


 自分に向けられている目も気にせず、男は話題を切り出した。唐突のことに、エインフィールドの頭には疑問符が浮かぶ。


「えぇ。私の願いとしては、今すぐ天界へと帰ってほしいのですが──」

「て、天界へ」


 帰る、と言う前に、自分が地獄で敗北したことを思い出した。先遣隊の隊長として預かった命を、全て死なせてしまった。


 そもそも、そんなベリアルという存在が天界を狙っているという報告をして、それが真実だと証明することができるのか。


 言いよどむ天使を前に、男は続ける。


「見たところ、ワケありさんのようだ。おまけに羽根もないときた」


 シルクハットを深く被り、顔の影から鋭い目でエインフィールドを見る、スーツ姿の男。


「そこで、提案です。」

「……提案?」


「──私がバックアップをするので、人間として暮らす、というのはどうです?」

「……にん、げん」


 天使は、口を開けている。そんな彼女を見て、男は、


「まぁ、まだ飲み込めないでしょうが──天界へ帰ることができないのなら、提案を受け入れていただけることを願いますよ」


 スーツ姿の男は、それまでのつかみ所の無い雰囲気を保ちつつも、どこか凄みのある言い方でそう言った……かと思うと。


「それじゃあ、また後で」


 手を振ってその場を去って行く。扉の閉まる音。空間が一気に静まりかえった。


「ん……?」


 状況の確認のため、エインフィールドが周りを見渡すと、色々な荷物があることに気がついた。

 寝具から立って、床にあった大きな箱を開けてみると、いわゆる学生服と、ペンや本などが全て入っていた。


 そして、その一番上に置いてあった、萩目学園はぎのめがくえんと厳かな字で書かれた学生証と書いてあるカードには、こう記されていた。


 ──萩目学園はぎのめがくえん一年。天束あまつかエイン、と。



 朝を迎えたエインフィールド──天束あまつかエインは、意外にも落ち着いていた。


「人間界で過ごしながら……ベリアルについて調べる」


 昨日見つけた学生証を手に持って、独り言を呟く。


「立ち止まってる暇はない……。この瞬間にも、ベリアルは……」


 彼女は目を閉じて、深呼吸をした。様々な情景が頭に浮かぶ。そして。


「……よしっ」


 目を見開いて、自分の頬をぺちっと叩き、活を入れた。鞄を肩にかけて、萩目学園はぎのめがくえんの夏服を身に纏った天束あまつかエインは、外へと向かう。


 翼を失った天使、失翼しつよくの天使の運命さだめが、今動き出そうとしていた──。

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