友達、それからクリスマスプレゼント②
「そういえば、どう? サークルとかしてるんだっけ」
「うん、まあ」
と私は曖昧に微笑んだ。
大学に入ったら、もっと自由になると考えていた。でも、思っていた自由とは、何かが違って、急に与えられた自由に戸惑って、私はどうしたらいいのか分からなかった。友達ってどうやって作っていたんだっけとか、授業時間が長くなって慣れないとか。環境に慣れるだけで、一年が過ぎてしまった。
こうやって、時間を消化していくだけで人生が終わっていいんだろうか。毎日毎日、何をしたらいいのか分からなくて、何をしたいのかも分からなくて、でも、置いていかれたくなくて……。
「なんか、高校生、なんだよね」
ふと、そんなことを私は思っていた。
「何が?」
「ずっとまだ、高校生を続けているような……感覚っていうか」
「あ、それわかるー」
と、本気で共感されて、私は意外に思った。こんなに大学生活に適合していそうな由美が、そんなことを思っているとは思わなかった。
「なんか、高校の時って、うちらキラキラしてたんだなって。あれが無くなったっていうか。入学した時に想像してたのと全っ然違くて、やっぱ経験してみないとわかんないもんだなって。
でもやっぱ、今を全力で生きなかったら損じゃん? だってこれがずっと続くわけじゃないし」
一つ一つのことに全力になるってこと。
それは私があの日以来、置いて行ってしまったことなのかもしれない。全力になるのが怖くて、全力を出して受け入れられなくて、傷つくことが怖くて、それで立ち止まっている。
このままじゃいけないってわかっているはずなのに。わかっているはずなのに、自分の心を閉じ込めておくほうが、楽なように思えて……。
でもずっと納得がいかないで、こうやってぐるぐる考えているのは、本当は由美みたいに生きたいと思っているからだろう。由美がとても、うらやましく見える。
私だって……。そう思う自分が、めんどうくさい性格だってわかっている。
突然、由美が、
「あ、あれ、ピアノじゃん」
と言って指をさした。店の端っこに、電子ピアノが設置されている。
「千沙、弾いてみたら」
由美は、とっておきのことを思いついたみたいに提案する。
「ううん、いい」
私は首を横にふる。私が弾いたとして、私の音色を誰が聞きたいと思うんだろう。それに、指がかじかんでいるし、最近弾いてないし……うまく弾ける自信が、ない。
「あ、そうそう、この前バイトでさ」
由美はそれ以上、興味を持たなかったみたいで、話題を変えた。私はホッと救われたように思った。めんどうくさい自分の性格をさらけ出すような話をするより、由美の明るい話を聞いていた方が楽しかった。
「幸せ」という名前のパンケーキは、あっという間に溶けていった。
「ごちそうさま」
席を立つと、ショルダーバックを持った由美が、真っ直ぐに私を見た。
「ね、千沙のピアノ、久しぶりに聴きたい」
「え……」
「いいでしょ、あそこに置いてるんだから、弾いてどうぞってことだと思うし」
私は躊躇したけれど、だからと言って由美のお願いを断るのもどうなのかなと思って、気がつけばズルズルとピアノの前に立っていた。
「あ、お弾きになりますか?」
さっきの可愛らしい店員さんが、どうぞどうぞとスイッチを入れてカバーを取って、あれよあれよという間に準備されてしまった。
私は「ありがとうございます」と硬直気味に言うと、あの黒いピアノ椅子に、神妙な気持ちで座る。
いつの間にか、由美が隣に椅子を持ってきて座っていた。
黒と白の空間。そこに添えられる指。耳に馴染みがある方が聞きやすいかなと思って、昔好きで何百回も弾いていた、映画のテーマソングにしようと決めた。
最初の和音に指を添える。息を吸って、そっと押す。そこから先は、指が覚えていた。懐かしいメロディが鍵盤からあふれていく。
電子ピアノは音の強弱をつけづらい。けれど、音を単一にならしてくれる分、ブランクの下手さがカバーされていて、私は思ったよりショックを受けずに弾くことができた。
でも、やっぱり昔の方が……そう思ってしまうのは、仕方がない。だって事実なんだから。それでも、今できる、精一杯をこのピアノに捧げるしかない。
弾き終わると、小さな息が漏れた。いつの間にか、周りから拍手が起こっていた。近くに座っていた、子供連れの夫婦がいて、「よかったよ」と言ってくれる。
「あ……ありがとうございます」
私は胸が熱くなるのを感じながら、会釈する。
「やっぱ千沙のピアノ、好きだわー」
感慨深そうに由美は言ってくれる。そんなに言ってくれるなら、もっと準備運動で指を動かしておけばよかったと、喜びより先にそっちの方を私は感じた。
「ずっと思ってたんだけどさ、優しくて、心がこもってて、癒しって感じなんだよね。急にピアノ教室もやめちゃったって聞いて、顔も死んでたし、色々大変そうだったからあの時は言えなかったけど」
そうだったんだ。私は驚いた。
自分が落ち込んでいる時は、自分のことしか考えていなかった。考えられなかった。けど、周りには心配してくれていた人がたくさんいたらしいということを、たまに聞く。
「そんなこと、思ってくれていたんだ……」
「イヤなんだったら別にいいけど、今も好きって気持ちがあんなら、続けてたらいいんじゃないの? プロになれないからピアノやめるってなるのかもしれないけど、別に趣味だっていいじゃん。受験も終わったんだし」
ああ、由美はどうしてそんなに前向きなんだろう。
そう思ってから、少し感じた。そう言って励ましてくれるってことは、由美は私のことを今も心配しているのかな。
実際に心配されるような状況にいるかどうかは置いといて、心配されているという事実に、ちょっぴり胸が痛んだ。由美はそんなこと、微塵にも思っていないかもしれないけど。でも迷惑かけているんだって思うと、心苦しい。そう思うんだったら、心配されない自分になれたらいいのに……。
「また聞きたいな。あ、そうだ、バンドとか入ればいいじゃん、で、キーボードとかやって」
「……!」
それは入学当初に考えて、結局諦めていた選択肢だった。言われてから、自分も考えていたことを思い出した。その時、私はハッと気づいた。
そっか、由美は私の考えないことをやっているんじゃなくて、私が考えたけど諦めちゃったことを、諦めずに拾い上げて、やっていたんだ。だからこんなにキラキラして見えるんだ……。
お会計を済ませるとぶらぶらデパートの中を散策して、安売りされているコートとか、スカートを物色する。
それから、9階まで上がって、屋上庭園に行った。いつもならもう閉まっているらしいけれど、今日はクリスマスだったので、特別に空いていた。
自動ドアが開かれると、冷気が全身に吹きつけてくるのを感じた。
「さっむ」
素足をさらしている由美には、冷たさが直撃している。でもやっぱり楽しそうだった。
オレンジ色の街灯から、植物が照らされ、夜の姿を見せている。前にはビルの光が点々と続いている。いつも見る夜景とは、ちょっと違う気がした。
私は由美と会う前に見た、イルミネーションを思い出していた。夜の川に映るイルミネーションの方が、綺麗なのだろうか。それは川の上に本当の光が輝いているから、幻想がこぼれ落ちてくるのかもしれない。
小さな頃からピアノをやっていて良かったと思える日が、いつか来るのかな……。
「あ、雪」
天空から白い粒が降ってくる。
「積もるかな」
私はつぶやいてみた。
「かもね」
由美は答える。
「それじゃ、メリークリスマス」
「うん」
写真を撮る由美の横顔を見ながら、私はぼんやりと感じていた。
少しずつでいい。
人と比べすぎる必要はない。
私もあんなふうに、なってみたい。
そんなふうに思えたから、それが私にとっての、クリスマスプレゼント。
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