流れ着いた夜の上で。 Ⅱ
私と未亜の幸福論は、いつからか日課になっていました。昼食の間、校舎の銅像の前でベンチに腰掛け、幸福を探すのです。
キリストの前で、ニーチェを語り合いました。今では笑ってしまうくらい、失礼な話ですね。それでも、私たちは考えをやめませんでした。押し付けられた神の教えよりも、考えて生み出されたお伽噺の方が幸せでしたから。
未亜は、時に残虐とも捉えられるような考えを持っていました。
「私の神は私が殺した」「命に重さなんてあるわけないでしょう」「国家が私を不幸にした」「塵の掃き溜めに価値なんてないのに」「人は死ねばいい、早く消えてなくなればいい」
未亜も、悩みに悩んだ人間でした。未亜は、きっと人が嫌いなのです。未亜の過去に何があったかを私は知りませんが、真っ直ぐな道を歩いてこなかった事は確かでした。
未亜は、彼女自身に眠る思想の片鱗を私に見せました。意味ありげに微笑んだと思えば、次の瞬間に消えゆく妖精のように。
私は、未亜の考えを理解しようとしました。私がわかるのは、割れた花瓶の破片の色だけでしたから、闇の深まった夜に、私は一人で哲学を漁りました。考古学、物理学、生物学、文学……私の知識はどんどん増えていきました。
後述しますが、大学を中退しても特段困る事がなかったのは、やはりこの時のお陰でしょうね。
結局、高校三年間では幸福論の答えは見つかりませんでした。見つからないのが幸せの象徴かもね、と未亜は言いました。キリストの像は、相変わらず動きませんでした。
三年間、私は未亜を信仰していました。それは、一種の依存であり、拘束であり、自由でした。
私は、私が未亜に押し付けた物の重さに気付きませんでした。未亜の思想に救いを見出した私は、私が押し付けた神によって、未亜の姿を変えてしまったのです。
未亜は、神様という役を全うしました。そして、ただの人間に戻りました。
高校卒業後、私は独りになってやっと気付いたのです。
未亜は、少なくとも私とは違う、それでもたった一人の人間だったんだと。
未亜は、高校の卒業式が終わってから、キリスト像の前に私を呼び出して、こう吐き捨てました。
「生まれてこなければよかった」
私には、未亜がどういう意図でこれを言ったのかわかりません。未亜とはこれを最後に、二度と会う事はありませんでした。
あれほど仲の良かった私たちは、呆気なくその関係を失くしてしまったのです。余りにも淡白で、でもそれは、私たちに必要だったのが思想だけであったことを表していました。
未亜が私のことを嫌っているのか、いないのか。それは私にはわかりません。
しかし、私たちを繋ぎ止めていた哲学は、もう今や必要のないものであったんだ、と。私はそれを理解しました。
ーー未亜。あなたに神様を押し付けた私を、未亜は今も怒ってる?
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