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  • はじめまして。
    興味深く読ませていただきました。
    自分も参加していたのですが、とても楽しい企画でしたね。
    こちらのエッセイ、タイトルがとても素敵だなあと思いました。
    ゆっくりですが、少しずつ読ませていただきたいと思います。

    作者からの返信

    ご覧くださりありがとうございます。
    滑り込みでの参加でしたが、他の方の創作論などが垣間見えて大変興味深い自主企画でした。質問企画の回答と違い、本編のエッセイはアクが強いので、注意事項をご確認のうえでご覧いただければと思います。もちろん、肌に合わなければ距離を置いてくださいね。題名は、持病に関する皮肉なのですが、琴線に触れるものがあれば命名した甲斐がありました。

  • 慷慨する敗残者への応援コメント

    こんにちは。
    わたしも何度云われたことでしょう。「読まれない作品には意味がない」と。
    「読まれない作品には価値がない」と口にする方々はシンプルに、「人が読んでくれること」に小説の価値をおいているのでしょう。

    もちろん読者の持つ力はすごいものがあり、PVゼロで溜息をついている時に一人でも読んでくれたら急に息を吹き返すくらいの威力をもっていますが、「人寄せ」の為に書いているわけではありません。

    大勢の読者を獲得し世に押し出されていくのが最高のかたちだとしても、もしその作品が自分の好きな作品でないのならば、創る意味がないと考えます。
    究極の原点は「自分の好きな作品を自分の手で書きたい」これに尽きます。

    読者がほとんどいなくとも、数名の読者から熱愛されている書き手さんもいます。読まれない作品であっても創り続けたからこそ美術館に収蔵されるような名画が~とお決まりのことを云うつもりはありませんし、さすがにおこがましいのですが、大量の☆を獲得している人と我が身をひきかえて、「なんでだろうなぁ」と想う時には、ゴッホのことなんかを考えて(笑)、顔を上げることにしています。

    まああとは単純に、カクヨムでは良くも悪くも『交流の数が星の数』ですから、そのあたりが得意な方は、さらさらと星は増えます。
    それだけのことかもしれません。

    作者からの返信

    ご覧くださりありがとうございます。
    朝吹さんと同じく、私自身も自給自足に重きを置いており、「自分の読みたいものを書く」ことが原動力です。創作物は鑑賞されて完成するもの、との金言もあるとはいえ、鑑賞者の数を増やすことを目的にする必要はないと思っています。交流の有無も、仰るように評価に影響している部分もありますね。

    投稿サイトを活用する以上、他者からの評価はついて回るものですが、数値化されたデータが小説の絶対的な価値を保障するとはかぎらないのではないでしょうか。また、他者の評価基準は、趣味嗜好に左右されることが多いと思えば苦にならない気もします。私の身内は、本文でも挙げたような著名な作家の作品を好むので、創作活動を「作家気取り」と揶揄されることもありました。私の好きな作家には興味も示さず、所詮は他人の趣味だと割り切るようになりました。他者の需要より、自分の需要に忠実でありたいものです。

    ご丁寧な感想、とても励みになりました。作者のフォローにも重ねてお礼を申し上げます。

    編集済
  • 慷慨する敗残者への応援コメント

    >評価されない作品の投稿を否定する旨の主張
    本当ですか、これはびっくりですね。そして、
    >どの水準から「評価されている」と判断するのか
    結局そういうことだと思います。そんなものは誰も決められません。

    例えば100人が☆1をつけたのと、3人が☆3をつけたのなら、数はずっと少なくても後者の方がよい作品に見えます。

    漫画化や他のメディア化されることを望んでいる作者ならいいですが、僕も(自分が)小説として書いたものが他の形になるのはいやです。あたかも全作者がそれを望んでいるようにコンテスト受賞の謳い文句になっているのが不思議です。でもそれが「売る」ってことなんですね。

    数字を考えたら世知辛い投稿サイトですが、万人受けしない自分のために書いた話でもふいに真摯に読んでくれる人が現れて、そこから少しずつ興味を持ってもらえる。そんなところがささやかな幸せだと思っています。

    作者からの返信

    ご覧くださりありがとうございます。
    ここ数日、気持ちの整理がつかず、うまく言語化できない消化不良なエッセイとなりました。投稿サイトでは、作品の評価が目に見える数値に置換されてしまうのが寂しい気もします。柊さんの仰るように、星の総数よりも、誰がいくつの星を贈ってくれたのかに意義があるのかもしれません。

    私は、作品の主題や読者の需要と自分の要望をすり合わせることが苦手なので、柊さんのように多くの読者の方を納得させられる作品に昇華できる才能に感服するばかりです。作品が小説として尊ばれる環境が重んじられることを願います。

    最近は、カクヨムから、作品投稿のみのサイトへの移籍を検討しておりました。コメントをお寄せいただき、柊さんのような素晴らしい書き手の方にも思うところがおありなのだなと、胸のつかえがおりました。もう少し、ささやかな幸せを信じてみたいと思います。拙作をご覧くださることに、あらためて感謝を申し上げます。

    編集済
  • 突如現れる「最推し」という言葉が好きですね。
    その言葉自体ではなく、その俗っぽさが。全ての質問の答えが「最推し」という部分にある気がしました。

    作者からの返信

    ご覧くださりありがとうございます。
    何かと堅苦しく答えがちなので、とりわけ俗っぽさが顕著に見えるかもしれません。ご指摘の通り、回答の根底に通じる嗜好を表しているのだと思います。作品の基盤となるような主題なのかな、と改めて認識いたしました。

  • たりないはらわたへの応援コメント

    お邪魔します、こんにちは。
    まずエッセイのタイトル「たりないはらわた」が俊逸です。
    わたしもはらわたではありませんが、臓器が足りません。ちゃらんぽらんな性格のせいか、それについて深く悩んだことは何故か、ないのですが。
    「健全な魂は健全な肉体に宿る」、これは生きるのに不安のない健康体と、健やかな精神を持った人間が使う分には、わたしなど、確かにそのとおりだな~と想ってしまいます。

    蘆蕭雪は「ろ・しょうせつ」とお読みするのでしょうか?
    小説に対して真摯な姿勢がひと目で分かるような文章をお書きで、古風なこのお名前がとてもよく似合っているように想われます。
    物書きなんて全員が不健全な魂を持って生まれたようなものです。それが業です。堂々と、不健全ライフを送りましょう。
    長文失礼しました。

    作者からの返信

    ご覧くださりありがとうございます。
    題名がお眼鏡にかなったようで光栄です。先行してタイトルが決まっており、沿うような内容を選りすぐって執筆を始めました。病や身体的な欠損、精神的な不調の有無にかかわらず、世間が模範とする「健全さ」の基準に違和を覚えることが多々あります。筆名については、仰るとおりの読み仮名で、長澤蘆雪と曽我蕭白から採ったものです。身に余るお言葉を賜り恐縮ですが、名前に恥じないものが書けるよう精進してまいります。

  • 再掲いただきましてありがとうございます!
    非常に丁寧に記述いただき、勉強になる点がたくさんありました。

    ②ノートの作り方が非常に参考になりました。
    「読者に提供したい情報や出したい要素」「問題提起に必要な場面などを箇条書き」

    私はとりあえず書きたいことを先行して詰まりがちなので、物語の核となる部分をまずはきちんと決める必要があるなと気が付きました。

    ③「実際の生活や社会との軋轢、摩擦を踏まえた妥協点」
    「絵空事、机上の空論にならないよう現実的な視座」

    このあたり、非常に絶妙な塩梅が必要ですよね。私もこういったテーマを扱う際、つい慎重になりすぎて綺麗ごとのように都合よく着地してしまうので、難しいなと感じています。

    ⑩おっしゃる通りで、リアルになりすぎてもフィクションを逸脱してしまい、本来の面白みがなくなってしまうし、かけ離れても「解像度」の面では足りない。

    こちらも楽しみながら拝読しました。永久保存させていただきたい内容です。感謝申し上げます。

    作者からの返信

    こちらこそご覧くださりありがとうございます。
    ご丁寧な感想まで賜りまことに恐れ入ります。私自身、次に取り組みたい原稿のプロットに悩んでおり、思考を整理する良い機会となりました。執筆にかかる工程を精査できただけでなく、温かなコメントまで頂けて大変励みになりました。
    また、「絶妙な塩梅が必要」とのこと、仰る通りだと思います。実際、私もフィクションらしい結末を望んでしまう傾向にあります。たとえ着地点が綺麗ごとでも、結論に至るまでの過程でリアリティを追求したいところですね。
    この度は、素敵な企画をありがとうございました。

    (追記:作品のフォローは解除してくださって構いません。当方のエッセイの閲覧を強制することは本意ではありませんので……!)

    編集済