第37話 二人きりの打ち上げ(委員長side)

 急に、みんなの騒がしい声が聞こえなくなった。

 まるで世界に、天野さんと二人きりになったみたい。


『どうせ行くなら、私は二人きりがいいんだけど』


 天野さんの先程の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。

 なにか言わなきゃ、と分かっているのに思考が上手くまとまらない。


 どうしよう。

 冗談とか、ふざけて言っているわけじゃないよね?


「……ご、ごめん。委員長。塾なのにこんなこと言っちゃって」


 困らせちゃったよね、と天野さんが下を向く。


「待って」


 とっさに天野さんの腕を掴んだ。

 天野さんの細い腕はわずかに震えている。


 困らなかった、と言えば嘘になる。だって今日は塾の日だから。

 塾をサボってしまいたい、という私の気持ちに嘘はない。だけど、塾をサボる、ということは私にとってハードルが高いのだ。


 体調不良以外で塾を休んだことはない。

 課題だって忘れたことはない。


 塾って勝手に休んだら、親に連絡がいくもの?

 いや、塾が電話しなくたって、お母さんは気づくわ。


 塾に入るとすぐ、受付で専用のICカードを機械にかざす。

 そうすることで、親に塾へきたということを知らせるメールが自動的に送信されるのだ。

 帰りも同じことをするため、親は子供の行き帰りの時間を把握できるのである。


 カードを忘れたって言えば、どうにかなる?

 一日くらいメールがこなくたって、お母さんも気にしない?


 正直、怖い。

 ごめんねと天野さんに頭を下げて塾へ行くべきなんじゃないかって、頭のどこかでは考えてしまう。

 別に、天野さんと二人で打ち上げができるのは今日だけじゃないから。


 だけど……。


 天野さんがせっかく、誘ってくれたのだ。


「……行きたい」

「え?」

「二人きりの打ち上げ、行きたい」


 物事にはきっとタイミングがある。

 そしてたぶん、それは今なのだ。


「いいの?」

「今日くらい、サボっても大丈夫だから」


 お母さんのことを考えると気が重くなる。でももしこのまま塾へ行けば、私は死ぬほど後悔するだろう。

 だから、今日は塾をサボる。


「さっさと、二人で抜け出しちゃわない?」


 こくん、と頷いた天野さんの頬は、苺みたいに真っ赤だった。





 二人で教室を抜け出して、そのまま私たちは学校を出た。


「委員長、お腹空いてる?」

「まあ、かなり」


 今日は午前中文化祭を見てまわって、午後はずっとコスプレ喫茶で働いていた。

 昼食は食べているものの、だいぶ空腹だ。


「ご飯食べに行こっか。委員長、何がいい?」

「えーっと……」


 こういう時って普通、どういうところに行くの?

 打ち上げって言うくらいだし、ちょっと美味しいところ?

 でも、学校帰りに友達と寄るのって、ファーストフード店とかファミレスのイメージが強いわよね。


 今まで、学校帰りに誰かと寄り道なんてしたことがない。

 だからこういう時、どんな答えをすればいいのか分からないのだ。


 困っていると、天野さんが少し気まずそうに言った。


「できればあんまり高くないところだと助かるかも……なんて」


 天野さんはアルバイトをしている。

 もしかしたら、あまり金銭的に余裕がないのかもしれない。


「天野さんと一緒なら、どこでも」

「ちょっと委員長、その言い方は狡くない?」


 天野さんが照れたように笑う。明るい声に安心した。


「じゃあ、ファミレス行かない? ドリンクバーで長居できるし!」

「うん。行きたい」


 ファミレスなんていつぶりだろう。

 何度か親と行ったことがある気はするけれど、あまり覚えていない。

 天野さんとなら、楽しいんだろうな。


「そうだ。委員長、ドリンクバーでジュース混ぜたことある? ないでしょ」

「うん、ない」

「私のおすすめがあるの。教えてあげる」


 天野さんは得意げな顔でそう言って胸を張った。

 子供みたいで可愛い。


「うん、教えて」


 私は友達と寄り道をしたこともないし、たぶん、知らないことがたくさんある。

 それをこれから教えてくれたら嬉しい……なんて伝えても、きっと天野さんなら笑って頷いてくれるんだろう。

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