大小様々の冒険

@rona_615

第1話

 大人しくて、真面目で、勉強が得意。

 安菜の評判は、だいたいそんな風だった。

 外に出て遊ぶよりは、本を読むのが好き。忘れ物はほとんどしない。テストはほとんど満点だし、通知表だって体育と音楽を除けば、だいたい“よくできる”だ。

 そんな安菜のことを先生たちは褒めてくれるし、クラスの子たちからも一目置かれている。

 だけれども、安菜本人はちっとも納得していない。

 桜庭くんみたいに走るのが速いわけじゃないし、泳ぐのもボールを投げるのも大の苦手。スポーツ選手になんて慣れっこない。

 音痴だし、礼美ちゃんと違って楽器もできないから、音楽家だって無理だ。

 不細工な顔だし、背も低い。しゃべるのだって下手くそだから、これじゃ、芸能人どころか、結婚も難しいに決まってる。

 だったら、この先、ちゃんと生きていくためには、勉強くらいできるようにならなくちゃ仕方ないじゃない。

 自分でもおかしな考えだと分かっているから他の人にはまだ言ったことがないけれど、安菜はずっとずっとそう思っていて、だからこそ、せっせと努力を続けてきたのだった。


 安菜のそんな考えは、もしかしたら両親の離婚がきっかけかもしれない。

 自分をおいて出ていってしまったお父さん。お母さんは安菜と二人で暮らすようになってから、仕事ばっかりで一緒にご飯を食べることも少ない。たった一人の弟も、離れて暮らすようになってからは会うたびにどんどん普通の、ちゃんとした男子になっていく。

 きっと、三人とも安菜のことを助けてはくれない。だから、一人だけでなんとかしないと。そのために自分なんかでもできそうなことを、一生懸命探した結果なのだ。


 春休みが明けて、六年生になったばかりの日。安菜は小学校からの帰り道を一人で歩いていた。図書室に寄ったせいか、通学路には他の子たちの姿は見えない。

 ランドセルが重いのは『モモ』だとか『クローディアの秘密』だとか『マチルダは小さな大天才』だとか『裏庭』だとか、大好きな本を全部で6冊も借りてしまったたからだ。何度も読んだ本ばかりだけど、今の自分には、どうしても必要に感じる。

(……明日から、学校、行きたくないな)

 五年生までよく話していた友紀とはクラスが離れてしまったし、運動会や音楽会で活躍しそうな同級生が多い三組に入れられてしまったのも、安菜にとっては気が重い。

(みんなの足を引っ張ったら、嫌)

 地面へと落ちた目線がパッと上がったのは、門が開く、軋んだ音が聞こえたからだ。

 小学校に入って以来、幾度となく前を通った古い無人の洋館。周囲の木々の隙間から眺めては、中を想像したものだ。

 垣根の途切れ目に取り付けられた、2枚の大きな金属板でできた門。その片側が前庭に向かって開いている。

 安菜は開かれた門口の前に立つと、敷地をのぞき込んだ。門扉から玄関へと続く石畳にはヒビが入り、割れ目からは白っぽく雑草が生えている。その両側に植えられた樹木も手入れが不十分なのか無秩序に伸びていた。

 荒れた印象を受ける庭とは異なり、建物自体は綺麗だ。茶色のレンガが積まれた壁にも、重たそうな玄関の扉や取り付けられた鈍い銀色のドアノッカーにも、目立った汚れは見られない。

 憧れの館を目にし、安菜は背負った荷物の重さも忘れ、ぼうっと立ち尽くした。

 と、不意に扉が動く。ほんのわずかにだが内側へ引いた様に誘われ、安菜は石畳の上へ青色のスニーカーを下ろした。


 焦茶色の扉を目前に、安菜はシャツの胸元を両手でギュッと掴んだ。目線を上げると、ドアノッカーが目に入る。映画や図鑑で見たモチーフはライオンが多かったけれど、これは耳がピンと伸びたウサギの形をしていた。

 握りしめた拳の下で心臓がドキドキといっているのがわかる。誰かに見られたら怒られるに決まってるのに、背を向けて立ち去ってしまうのが、惜しく思えてしかたがない。

(ちょっとだけなら、中をのぞいても大丈夫かな?)

 安菜の気持ちを後押しするかのように、ドアがまた少しだけ奥へと下がる。それを追いかけるように、顔を隙間へと近づけた。

 その途端、まるで安菜を引き寄せるように、風が強く吹いた。勢いよく開く扉と一緒に、安菜は屋敷の中へと転がり込んだのだった。


 慌てて伸ばした手が着地したのは、生い茂るクローバーの上だった。バッと顔を上げた安菜は「え……」と呟く。

 頭上に広がるのは白い雲の浮かぶ青い空。振り返ってみても、一本の木があるだけで、扉や壁はどこにも見当たらない。両方の膝と手を地面についたまま、安菜は何度も首を左右に動かしてみるが、目に映る景色は変わらないままだ。

「言い伝え通り、人間が木から生まれたよ」

 いきなり聞こえた言葉に、安菜はびくりと震えた。声の聞こえた方角に恐る恐る視線を向けると、鉛筆みたいにひょろりとした影が木の後ろから姿を現した。

 その人はずいぶんとおかしな風貌をしていた。身長は142センチメートルの安菜より少し大きいくらい。それなのに顔も身体も細長くって、まるで背の低い人間の頭と足をつまんで、ぎゅーっと引き伸ばしたみたいだ。真っ黄色の半袖シャツと半ズボンから出た肌は薄い黄緑色。くしゃくしゃと広がった髪も、大きく見開かれた目も、肌よりは少しだけ濃いものの似たような黄緑だ。

「何言ってるの?人が木から生まれるわけないじゃない」

 立ち上がりながら安菜が言い返すと、相手は「ひゃ!」と叫び、幹の影に戻ってしまう。

「……けど、君はさっき、この木から出てきたんだよ」

 甲高い、不満げな声だけが安菜の元に届く。それを無視して安菜は、木に近づき、幹に触れた。なんの変哲もない、ただの木だ。ドアになるような切れ目も見当たらない。

「木から生まれた人間は、まずシチョウさんのところに行くんでしょ?」

「よく知ってるわね、トッテンカッター」

 緑の人への返事は安菜の頭上から聞こえた。つられて上げた視界に、手のひらくらいの大きさの人が飛び込んでくる。トッテンカッターと呼ばれた緑の人は、両手を上にかざし、彼女を受け止めた。

「危ないよ、チルサ」

「あら、あなたがつかまえてくれたじゃない?」

 トッテンカッターがそっと地面におろしたその子は、サイズも相まって人形みたいだった。薄ピンクのブラウスに、足元までふんわりと広がる真っ赤なスカート。透き通るような金髪を高い位置でツインテールにしている。真っ白な肌と青い目は、ちょうど今の空みたいな色の取り合わせだ。

 そんな可愛らしい容貌とは不釣り合いに彼女は、足を開き、手を腰に当て、安菜の睨むように見上げてくる。

「あなた、名前はなんなの?」

「安菜だけど、あなたこそなんなの?」

「アーナね、変な名前。わたしはチルサよ。さっき聞いたでしょ?」

 安菜が思わず頬を膨らませるのを意に介さず、チルサは右手をバッと上げた。

「シチョウに会いに行くわよ。ちゃんとついてきなさいね」

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