第157話 勝利者
後送されたキルデベルト・アレリア国王を追うように、アレリア王国の軍勢の生き残りは後方拠点であるアルンスベルク要塞まで撤退した。その途中で徴集兵と傭兵の大半、貴族領軍の過半、さらには王国軍の一部までもが逃亡した。
開戦前には四万もの規模を誇った大軍勢は、要塞に逃げ込んだ時点で負傷者も含めて五千を割っていた。
エーデルシュタイン王国の軍勢は壊走した敵を追って西進し、アルンスベルク要塞近郊に布陣。負傷者の世話や捕虜の管理、死体の片付けなど事後処理のために後方に一定の人員を割き、それでもなお兵力は一万五千以上を保っている。
そうしてアレリア王国の軍勢を追い詰め、数日が経過した頃。司令部の置かれた天幕に、王国軍と貴族領軍、帝国からの援軍の主要な指揮官たちが集められ、御前会議が開かれる、
「まず、最も重要な朗報を私自身の口から伝えておこう……キルデベルト・アレリアは戦死した」
会議の場を見回してクラウディアが言うと、居並ぶ将たちの間に小さなざわめきが起こる。
待ち望んだ報であり、おそらく今日この場で聞くことになるだろうと誰もが思っていた報だったが、いざ現実になるとその衝撃は大きかった。
ざわめきが収まるのを待ち、外務大臣アルフォンス・バルテン伯爵がクラウディアから説明役を代わって口を開く。
「アレリア王国側から我が国に正式に通告があったわけではありませんが、要塞内に忍び込ませていた間諜からの報告では、将兵たちに向けて正式に国王崩御の布告がなされたそうです。追撃の際に捕縛した捕虜の話によると、誰が見ても瀕死と分かる状態のアレリア王が後方に運ばれる様を多くの者が目撃していたそうで、加えて要塞内には早くから国王崩御の噂が流れていたらしく……王弟エマニュエル・アレリアをはじめとした敵側の将たちも、もはや覇王の死を隠しきれないと考えたのでしょう」
天幕内に、ざわめきに代わって今度は安堵の空気が満ちる。
ようやく、決戦で大打撃を与えた上で覇王キルデベルトを討つことができた。アレリア王国が今までのような覇権主義を続けることは極めて難しく、かの国による侵攻の日々もこれでひとまず終わる。皆がそう考えたからこその安堵だった。
フリードリヒも将の一人として、ほっと息を吐いた。
「これも、キルデベルトに漆黒弩の矢を浴びせたディートヘルム・ブライトクロイツの戦功あってこその結果だ。よくやってくれた」
「……女王陛下より直々に戴く称賛の御言葉、光栄の極みに存じます。しかし畏れながら、私は一将として己の務めを果たしたに過ぎません。全ての将、士官、兵士、そして女王陛下御自身の奮戦の結果として得られた勝利であると存じます」
ディートヘルムは厳かに答えた。それに、クラウディアは笑みを浮かべて頷く。
「確かに、卿の言う通りだな。アイゼンフート卿をはじめ、前衛の中心となって敵の突撃を受け止めた者たち。それを後方から支えた、王国と帝国双方の弓兵部隊。敵前衛を打ち崩し、敵の精鋭部隊を左翼側に誘い出し、勝利を得るための状況を作り出したフェルディナント連隊。勝利への決め手となる突撃を成した我が国の騎兵部隊。その突撃を万全のものとするために立ち回り、敵騎兵に大損害を与えたカーライル卿たち帝国の騎兵部隊。決戦を支えた後方支援要員たち。全ての者が己の役割を果たしたからこそ、我々は勝利した。私もアイヒベルガー卿ら近衛隊に守られながら、女王として覚悟を示すことで勝利への貢献を成すことができたと思っている」
ディートヘルム、レベッカ・アイゼンフート侯爵、グスタフ・アイヒベルガー子爵、領主貴族たち、チェスター・カーライル子爵をはじめ帝国の将たち。ランドルフ・バルツァー男爵をはじめ後方支援を指揮した者たち。戦いに臨んだ皆に視線を向けながら、クラウディアは言った。
「だが、あえて最大の功労者を決めるとしたら、それはフリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵だろう。何せ、此度の作戦の概要を独力で考え出したのが彼なのだからな」
不意に名前を挙げられ、次いで皆の注目を集め、フリードリヒは小さく目を見開く。
「それは……畏れながら、あまりに過分な評価かと」
「謙遜する必要はない。卿の智慧がなければ、我が国の勝利はなかった。それはこの場の誰もが認めるところだ。皆、そうだろう?」
クラウディアが呼びかけると、居並ぶ者たちは口々に同意を示した。以前の軍議では、異例の出自から英雄の後継者となったフリードリヒにまだ懐疑的な視線を向けていた一部の貴族たちも、今やフリードリヒを認めていた。
「堂々と誇れ、フリードリヒ。これからはお前こそが、エーデルシュタインの生ける英雄なんだからな」
気安く肩を叩きながら、ディートヘルムが言う。
「エーデルシュタインの生ける英雄。その称号で呼ばれるのか。これから僕が」
そう呟き、フリードリヒは自身の手を見つめる。
英雄の後継者。マティアスの養子に迎えられて以降、周囲からは既定路線としてそのように語られ、扱われてきた。英雄より全てを受け継ぎし者。決戦前、自らをそのように語って周囲を鼓舞することはあった。
しかし、エーデルシュタインの生ける英雄という称号はやはり別格。自分がまさしくそのように呼ばれると、強い緊張を覚えた。
自分がそう呼ばれることを、王国は、亡き父は、認めてくれるだろうか。そう考えてしまった。
「その資格がお前にはある。フリードリヒ・ホーゼンフェルト」
クラウディアに言われ、フリードリヒは顔を上げて彼女を向く。
「お前の智慧が王国を勝利に導き、この国に生きる者たちを救い、そしてこの戦いで死んだ者たちをも救った。私は女王として、此度のお前の戦功を伝え広めていく。臣下臣民たちもお前の戦功を語る。これから先、お前の名を聞けば味方は勇気を抱き、敵は恐れおののくだろう。お前の名にはそれだけの力がある。そんなお前を、エーデルシュタインの生ける英雄と呼ばずして何と呼ぶというのだ」
彼女の言葉は、フリードリヒの葛藤を霧散させた。
生きる者たちを救い、そして戦いで死んだ者たちをも救う。亡き父マティアスがどのような覚悟で英雄の称号を受け入れていたのかを、彼女も知っているのだと、その語り口からフリードリヒは理解した。
「……承知しました。父より受け継いだ称号に恥じぬ軍人として、これからも王家と王国の御為に尽くしてまいります」
フリードリヒがあらためて覚悟を固め、答えると、クラウディアは優しく笑った。
「それでいい。真に英雄となったお前の活躍に、これからも期待している……だが、その前にまずは此度の勝利の話をしよう。最大の敵であるキルデベルトは討たれ、その他に関しても我が国は大勝利と言うべき状況にある。アイヒベルガー卿、説明を頼む」
クラウディアがそう言って促すと、新たにグスタフが説明役を担う。
「今回、エーデルシュタイン王国はキルデベルト・アレリア国王を討ったのみならず、敵側に大損害を負わせることにも成功しました。敵側の死者は推定でおよそ一万。負傷者が推定で一万から一万五千。戦場に残った死体には、敵前衛の混乱の最中で過度に密集し、あるいは壊走の際に踏み潰され、圧死したと思われる徴集兵が数多く見られます。負傷した敵のうち相当数がそのまま戦場で死んだものと考えられるため、死者に対して負傷者の推定が少なくなりました」
語られた敵の損害の凄まじさに、再びざわめきが起こる。
「敵徴集兵はもちろん、正規軍人、特にアレリア王家の権勢を支える王国中央の精鋭部隊や、王家にとって重要な戦力となっていた王国東部の精鋭部隊にも多大な損害が出たものと推測されます。王国東部の精鋭部隊はフェルディナント連隊に敗れて壊滅し、半数以上が戦死。生き残りも大半が負傷。王国中央の精鋭部隊は、およそ半数が戦死あるいは負傷。王家の近衛隊たる『王の鎧』に関しても、死傷者が半数近くに及んでいるものと考えられます。後衛に控えていた敵正規軍部隊にも追撃で少なからぬ損害を負わせており、参戦したおよそ一万の正規軍人のうち、死傷者は少なくとも三千に迫るかと」
「敵の死傷者の推定には、離れた位置から観戦していた我が帝国の士官たちも大いに協力した。退却や逃亡で戦場から去る敵の割合を数えてな。感謝してくれていいぞ?」
口を挟んだのは、クラウディアの隣に立つエドウィン・リガルド皇太子だった。事実ではあるが調子のいい軽口に、集っている一同から笑いが起こる。
「もちろん感謝している。戦力面での助力のみならず、貴国には大いに助けられた。歴史的な決戦の経過や結果について、より詳細な記録が残るのは帝国のおかげだ……ではアイヒベルガー卿、説明の続きを」
クラウディアがエドウィンに答えた後、グスタフに促して話の流れを戻す。
「次にこちら側の損害ですが、死者はおよそ千三百。うち千は徴集兵と傭兵です。負傷者は四千程度。敵徴集兵との戦闘や、敵側の放った矢による負傷が大半を占めます。敵側に比して大幅に少ない損害となったのは、帝国軍弓兵部隊による敵弓兵への牽制と、陣形を崩すことなく最前面を支えた各部隊の奮戦がもたらした結果と言えましょう……最後に、捕虜について」
そこで一呼吸挟み、グスタフはさらに語る。
「戦場に残された敵側の負傷者を中心に、総勢で五千を超える捕虜が得られました。そのうち八割ほどが徴集兵ですが、残る二割は正規軍人です。貴族家の関係者も三十人以上になります」
徴集兵の捕虜にも使い道はある。無傷の者や軽傷の者は戦場の事後処理をはじめ労働力として利用できる上に、まとめ売りにはなるが敵国に返還すれば、戦勝の利益の足しになる。負傷者を手当てしてやり、人道的に扱った上で帰国させれば、国境を接する隣国の民からの心情を良くすることができる。
とはいえ、それと比べても正規軍人の捕虜の価値は高い。貴重な戦力を取り戻すためにも、正規軍人たちからの求心力を維持するためにも、敵の王侯貴族はほぼ確実に身代金を支払ってくれる。
貴族家関係者の捕虜の価値はさらに高まる。爵位や当主との繋がりにもよるが、場合によっては平民の数百倍から千倍以上にもなる。それが三十人以上というのは尋常でない戦果だった。
「捕虜の中でも最重要は、サミュエル・アレリア王太子。政治的な価値は絶大なものと考えられます。その他にも『王の鎧』の指揮官であるパトリック・ヴィルヌーヴ伯爵、智将ツェツィーリア・ファルギエール伯爵をはじめ七人の貴族家当主を捕縛。子弟や縁者の捕虜は二十五人に及びます」
挙げられたファルギエール伯爵の名に、フリードリヒは僅かに目を細めて反応を示す。
自身にとって因縁深き相手。戦死したものと思っていたが、幸運にも命を拾って捕虜になったらしいと聞いたのは決戦が終わって間もなくのこと。
その名を聞くと嫌でも意識が向いてしまうが、それでも死んでしまえばよかったと憎悪を抱くことはない。彼女は亡父を討ったが、軍人同士が戦場で敵対した以上、どちらかが死ぬのは何ら不思議なことではない。
軍人が戦うのはそれが務めだからであり、そこに私情を挟む余地はない。戦争で誰を殺しても喜ぶべきではなく、誰を殺されても恨むべきではない。父の教えを自分は正しく守ることができていると、内心で安堵する。
「サミュエル王太子については、アレリア王国との講和に利用する。国王を失った上に王太子を捕らえられている以上、敵側もこれ以上の抵抗は難しいだろう。アレリア王家が政治的にも軍事的にも弱り切っているこの機を利用し、王太子の返還と引き換えに最大限有利な条件を引き出す。その他の捕虜については身代金に換える。王国が得る利益は参戦した領主貴族の諸卿にも回ってくるであろうし、帝国も勝者として一定の賠償金などを得られることだろう……後は、敵側が講和を申し入れてくるのを待つのみだ」
グスタフの説明を補足するように、クラウディアは女王としての考えを語った。
このまま講和に流れ込むことがほぼ確定しているにもかかわらず、敵側が申し入れるのを待つのは、その後の話し合いをさらに有利にするため。弱りきったアレリア王家の申し入れを勝者たるエーデルシュタイン王家が聞き入れてやるかたちをとることで、交渉の主導権はクラウディアの手に握られたまま揺るぎないものとなる。
「強気の姿勢を示すためにも、正式に講和がなされるまでは兵力を保ち、いつでも戦える態勢を維持する必要がある。諸卿においても今しばらく力を発揮してほしい」
「帝国の諸卿も同じく。最後まで務めを果たし、以て我ら帝国人の誇りを体現しようではないか」
クラウディアとエドウィンの言葉に、エーデルシュタイン王国とリガルド帝国の諸将は力強く応えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます