第128話 女王として、この国の新たな庇護者として

「私はクラウディア・エーデルシュタイン。亡き父ジギスムントに代わり、この国の王位を継ぐ者である」

 厳かに、クラウディアは語り始める。これまでも病床の父王に代わり、幾度となく演説を行ってきたその堂々たる様には、既に威厳が備わっている。その声は集った者全てに届く。

「今、エーデルシュタイン王国は危機に瀕している。侵略者たるアレリア王国の軍勢がベイラル平原を越え、この国に踏み入っている。アルンスベルク要塞は陥落し、エーデルシュタインの生ける英雄たるマティアス・ホーゼンフェルト伯爵は壮絶な戦死を遂げた……そして奇しくも、時を同じくして、誰からも敬愛された国王ジギスムントが世を去った。唯一絶対の神は今、あまりにも大きな試練を我らに課している」

 王国の現状を容赦なく語りながら、しかし力強いクラウディアの声のおかげで、その言葉は悲観的には聞こえない。

「この試練を我らは乗り越えられないのか。あまりに大きな試練を前にこの国は滅びるのか……それは否である! エーデルシュタイン王家にはこの国を勝利に導く力がある! かつてヴァルトルーデ・エーデルシュタイン女王は、あらゆる困難を乗り越え、貴族のみならず民にも見守られながら王冠を戴き、この国を築いた! それ以来、エーデルシュタイン王家はこの国を、この国に生きる全ての者を守り続けてきた!」

 語る王太女の言葉は熱を帯びていく。その熱が背景の威厳によって増幅し、民の間に生まれた恍惚と高揚を育てる。

「王家には今なお国を守る力がある! 建国の母ヴァルトルーデの時代より、偉大なる父王ジギスムントの時代まで受け継がれし権能を、この私も受け継ぐ! 新たな女王の力と覚悟を示すためにこそ、私はここへ来た! 王国全土より民が集いしこの場所こそが、我が戴冠の地に相応しい!」

 クラウディアが手で合図を送ると、アリューシオン教の総主教が進み出てくる。その手にはエーデルシュタイン王家に代々受け継がれし王冠がある。

 中央教会ではなく、戦場の最前線で戴冠する。クラウディアがその意向を示したとき、総主教は当然難色を示したが、抵抗はその一度だけ。すぐに王太女の望みを叶える選択をした。

 この地において、世俗の為政者と宗教指導者の立場が逆だったのは遥か昔のこと。エーデルシュタイン王家は教会に相応の敬意をもって接してきたが、教会が存続を許されている理由は、究極的にはその権威性に利用価値があるからに他ならない。だからこそ、総主教も新たな君主が求めるとあらば、神聖なる儀式の異例を許容している。

 居並ぶ聖職者たちが、聖歌を歌う。それに貴族と騎士たちが続く。一定以上の社会階層の者ならば皆、基礎的な教養として覚えている聖歌だった。

 数百人の歌う聖歌は、儀式の場を幻想的に包み、より優雅で鮮やかな威厳を描く。風向きさえもが今はクラウディアに味方し、聖歌の響きは丘の上から民の方へと流れていく。

 いよいよ神話的な空気さえ漂う中で、クラウディアは王冠を向き、今は神の子として両膝をついて首を垂れる。その前に立つ総主教が、神に仕える者として王冠を高らかに掲げる。

 空と大地と海を創りし絶対の神の下、クラウディアがこの地の正統な支配者であり、エーデルシュタイン王家の正統な後継者であることを宣言し、総主教は王冠を彼女の頭上に載せる。

 王冠を戴いたクラウディアが立ち上がり、前に向き直る。この国の新たな主が、貴族と軍人たちを、そして集った民を睥睨する。

「……我らが女王陛下」

 穏やかな、しかし不思議と広く通る声で言い、今度は総主教がクラウディアに首を垂れる。それと同時に、クラウディアの背後、幕を背景に王家の紋章旗が交差するように掲げられた。

 女王陛下。戴冠を果たした彼女をそう呼びながら、居並ぶ王国軍人と文官の全員が、貴族とその配下の全員が、聖職者の全員が、一斉に片膝をついて礼をする。

 旗の合図を機にしたことで揃ったその所作と、発せられた言葉。鎧や衣擦れの音。全てが一致し、女王への畏敬が形を成して民の目に映る。何も命じられずとも、民衆も自然と首を垂れる。

「皆、面を上げよ!」

 それまでにも増して力強い声が、丘に響いた。支配者の声だった。その声を受けて全員が顔を上げ、立ち上がる。

 あらゆる手を尽くして作り上げられた威厳に包まれ、神秘性に彩られたこの場で、王冠を戴いて立つクラウディアは尋常ならざる迫力を放っていた。

「今日ここで、私は王冠を戴いた! 今このときより、私はこのエーデルシュタイン王国の女王となった! 決して忘れるな! 私が最前線の戦場で、貴族のみならず民に見守られながら戴冠したことを!」

 手を掲げ、高らかに語る女王の前、民衆の中に生まれた恍惚と高揚は、つい先ほどまで彼らの中にあった不安を遥か過去のものとしていた。

「今まさに国を守って戦う者たちの前で、これから国を守って戦う者たちの前で、彼らを戦場に送り戦いを支える者たちの前で、私はこの王冠を戴いた! 私はこの国に生きる臣下臣民の女王である! 私もお前たちと共に戦おう! 私がお前たちを勝利に導こう! この戴冠式こそは我が覚悟の証である! 故郷に帰り、語り広めよ! お前たちが今日ここで見たことを! お前たちが今日ここで感じたことを! そして戦う者は、再びこの戦場に集え! 何も恐れることはない! 女王である私がお前たちと共に戦場に立つ!」

 視線を巡らせ、掲げた手を巡らせながら、クラウディアは吠える。

 女王が自分たちを見ている。自分たちを手で示している。そう感じながら彼女の言葉を浴びる民の心には火が灯り、その火は間もなく炎となる。炎の中から闘志が生まれる。

「故郷を思え! お前たちが築いてきた歴史である! 親兄弟や伴侶を思え! お前たちの帰るべき家である! 子供たちを思え! 我らの希望、我らの未来である! この地にあるのは我らの全て! 全てを守るためにこそお前たちは戦うのだ! 全てを守るためにこそ、私は勝利をもたらすのだ! 女王として、この国の新たな庇護者として、私が最初に下賜するのは勝利である!」

 世界そのものに宣言するように、クラウディアは高らかに叫び、君主のみが帯びることを許された剣を抜いた。掲げられたその刃は、背景の幕のさらに後ろ、太陽に照らされて煌めいた。

 民衆から見たクラウディアの立つ方角。この時期この時間の太陽の高さ。王家専属の学者による気象予報。それら全てをクラウディア自身が計算に入れた結果として、まるで舞台装置のように剣を照らす陽光を、しかし民衆は神が女王を祝福する後光として見た。

 刃の煌めきが彼らを撫でたその瞬間が、彼らの恍惚と高揚が心の内から溢れる瞬間となった。

 空気が震え、大地さえ震えた。

 丘を揺らすほど爆発的な歓呼が、一帯を満たす。女王陛下。女王陛下。女王陛下。無数の声が新たな君主の誕生を称える。この先にある勝利を想像する。民衆だけではない。怒涛の熱量に飲み込まれた兵士たちや、一部は騎士や貴族たちまでもが、拳を突き上げて女王を呼んでいた。

「……」

 その光景を、クラウディアの全力が作り上げた様を、フリードリヒは半ば呆然と見ていた。

 かつて。マティアスの威光を借り、自分がボルガの民を鼓舞したとき。理屈としては、クラウディアのやったことはあのときの自分と変わらない。

 しかし、その規模は比較にならない。何もかもの桁が違う。今まで偉大な王の代理として、臣下臣民の前に立ちながら国政を担ってきた彼女の、これが本気かと思い知らされた。

 これだけの舞台を用意し得る王家の権能、歴史に裏打ちされた威厳、それら全てを最大限に利用しながら、演出と演説のみでこれほどの熱狂を作り上げる。あれほど冷え切っていた民衆の心に、凄まじい興奮の炎を生み出す。今この国で、まさしく彼女にしか起こせない奇跡だった。

 二週間前に自分が予想した事象を遥かに上回る光景が、今目の前に広がっている。興奮が熱となり、声が風となって物理的に感じられるほどに、皆が一体となって力を生んでいる。まるでこのまま勝利をもぎ取ってしまいそうな。

 もちろん、そうとは限らないことを理解はしている。フリードリヒをはじめ、冷静さを保つ重臣たちの誰もが分かっている。ここでクラウディアが示したのは言葉だけ。彼女は王家と父王の威光を借り、それを言葉巧みに纏っただけ。この先に極めて厳しい戦いが待っている現実は何も変わらない。

 にもかかわらず、民は戦意に満ち、まるでもはや勝利が決まったかのよう。民だけではない。兵士たちも既に、女王が与える熱に飲まれた。騎士や貴族たちも少なからぬ者が。集団で熱に浮かされるその様は危うさもはらんでいる。

 それでも今、この国にはこの熱が必要だった。不安が絶望に代わり、諦念の冷気が社会を覆わないためには、皆を熱に浮かれたままにしておかなければならない。

 そして、この熱の根源たる戦意の炎を、一時の幻想にしてはならない。侵略者の軍勢を焼き尽くし打ち破るだけの力を帯びた、実体ある炎に変えなければならない。

 この先に現実の勝利を掴むことが、そのための道筋を築くことこそが、軍人の務め。将の務め。亡き父よりホーゼンフェルトの家名を継いだ自分の務め。

「……女王陛下」

 貴方に忠誠を。王家に献身を。王国に勝利と安寧を。騎士として。軍人として。貴族として。

 仕える祖国の新たな主を仰ぎ、フリードリヒは静かに敬礼した。




★★★★★★★


以上までが第四章となります。お読みいただきありがとうございます。


あらためてお知らせです。

2024年7月25日、オーバーラップノベルス様より書籍1巻

『フリードリヒの戦場1 若き天才軍師の初陣、嘘から始まる英雄譚の幕開け』

が発売されます。


素晴らしいイラストとデザインに彩られ、内容も大幅加筆した絶対の自信作に仕上がっています。書影や詳細の公開まで今しばらくお待ちください。


また、WEB版は次の第五章が物語の大きな一区切りとなります。

引き続き『フリードリヒの戦場』をどうぞよろしくお願いいたします。

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