第63話 謀反の帰結②

「……それで、バッハシュタイン公爵閣下。そしてコンラート・エーデルシュタイン王子殿下。ここからどのように逆転を成すおつもりですか? 何か挽回の策がおありで?」


 ツェツィーリアがわざとらしく首を傾げてみせると、彼女の黒髪が揺れる。前髪の間から彼女の赤い双眸がエルンストとコンラートを見据える。彼女の口元には親しみやすそうな笑みが浮かんでいるが、彼女の目は笑っていない。


「……」

「我々としては、智将と名高きあなたの手腕に期待したい」

 黙り込むエルンストに代わり、そう言ったのはコンラートだった。

「私の手腕、ですか?」

「ええ。あなたは三年前のミュレー王国征服に際し、巧みな指揮で敵部隊を次々に打ち破り、大きな貢献を果たして智将としての評価を不動のものにしたと聞いています。あなたの力をもって、集結した敵軍を打ち破ってもらいたい。敵が集結しているということは、一網打尽にする好機でもある。勝利を成せば、王都までの我々の進軍を阻む者はいません」


 小さく目を見開いてコンラートの話を聞いていたツェツィーリアは、すぐには答えなかった。

 しばらく驚きに固まった後――吹き出した。


「ぷっ、はははははっ!」

「……あの、一体何がおかしいのです?」

「ファルギエール伯爵。王子殿下の御前で、いくら何でも無礼であろう」


 腹を抱えるようにして笑うツェツィーリアに、コンラートは怪訝な顔を向け、エルンストはさすがに黙りかねて不機嫌な声で言った。


「ははは、いやぁ、失礼しました。あまりにも……あまりにも、他力本願のお答えだったものですから。さすがに耐えきれず」


 笑い過ぎて零れてきた涙を指で拭いながら、ツェツィーリアは答える。そして、泣き笑いの表情を引っ込めると、整った笑顔に冷ややかな目をたたえて二人を向く。


「はっきり申し上げましょう。論外です」


 その言葉の強さに、エルンストもコンラートも気圧された。


「そもそも、オストブルク砦の奪取に失敗した時点で、この計画は壊れました。砦を奪い返された経緯は、つい先ほどこの騎士セレスタンから詳しく聞きましたが……そちらの大隊指揮官は随分と甘い判断を下したものですね。私がその指揮官であれば、たとえ敵の大部隊が接近していようと、予告もなく現れた荷馬車隊を確認もせず砦に迎え入れたりはしません。得体の知れない輸送隊など砦の外に捨て置くべきでした」


 笑顔を張りつけたまま、ツェツィーリアは容赦なく公爵領軍の失敗を評する。


「百歩譲って、砦を奪い返されたのは仕方ないとしても、その後のあなた方の対応がまた愚かなものでした。バッハシュタイン公爵閣下、私があなたであれば、馬鹿正直に領軍の本隊を大動員して捕虜の救出作戦など強行しませんでした。あなた、騎士セレスタンが二度も進言したのに、それを無視して出陣していったそうですね?」

「……理由は説明したはずだ。我が公爵領軍の性質を考えると、最初から捕虜を見捨てるような選択をすることは――」

「ええ、できなかったと理解していますとも。なので私があなたの立場だったならば、領軍兵士たちの結束を逆手にとって利用しました」


 ツェツィーリアの言う意味が分からず、エルンストはまた黙り込む。


「大して学もない末端の兵士たちには、敵が罠を張っていると推測する頭はどうせないのです。なので適当に数十人規模の捕虜回収部隊を組織して送り込み、敵の罠にかからせて最小限の損害で捕虜救出失敗という結果を得ればよかったのです。その後、兵士たちの敵に対する憎しみを煽ればよかった。敵はこちらの捕虜救出を妨害し、卑怯な罠を張って我々の同胞をさらに大勢殺したのだ……と語り聞かせることで。そうすれば、兵士たちの憎しみは全て、公爵家ではなく敵に向かう。あなた方は領軍の本隊を温存しながら、捕虜を切り捨てることができたことでしょう」

「「……」」


 エルンストとコンラートは、恐ろしいものを見る目をツェツィーリアに向ける。


「同じ要領で、死んだ兵士たちの知人友人や家族親族であった公爵領民たちの憎悪も煽り、温存された公爵領軍本隊の人手を使って民から新たな兵を募ればよかったのです。民兵とはいえ、敵討ちの名目で士気を高めさせ、数を集めればそれなりの戦力になったことでしょう……私ならばそうしていました。ですが、あなた方の選択は違った。なので結果も違う」


 ツェツィーリアはそこで言葉を切り、大仰な手振りで自身の後方を示す。アレリア王国軍や貴族領軍の兵士たちがひしめく野営地を。


「エルザス回廊近くの部隊と、対ノヴァキア王国を想定して配置していた部隊を合わせ、そこに私が連れてきた直轄の精鋭も合わせておよそ二千五百。この上で公爵領軍の本隊が健在であり、さらにあなた方が領民から兵をかき集めてくれていれば、総勢で五千、いえ六千に迫る兵力が揃っていたかもしれません。想定される敵の兵力は四千前後。民兵を上手く使い潰せば、我が軍があまり損害を負わずに決戦で勝利する目は十分以上にありました。そうであれば、王子殿下が仰ったように、私が決戦に臨む理もありました」


 再びエルンストとコンラートに向き直り、ツェツィーリアは呆れたように首を横に振る。


「ですが、この状況ではもはや駄目です。そもそも今回バッハシュタイン閣下のご提案に我が王が同意されたのは、この計画ならば最小限の損害で貴国を従属させられるはずだったからです。エーデルシュタイン王家に知られずに大部隊を侵入させ、無防備な王都と王城まで一気に進軍して制圧する……この計画が崩れ去った今、我が軍が不利な状況で決戦に臨む意味はありません。私は智将と呼ばれていますが、奇跡の逆転勝利を保証できる魔術師ではない。大損害を被る可能性を覚悟の上で、あなた方の尻拭いをするためにどうして戦わなければならないのでしょうか」

「……では、貴国はこの戦いから手を引くと?」

「ええ。私はその決断を下す権限を、我が王より賜っています。バッハシュタイン公爵閣下。そしてコンラート王子殿下。誠に遺憾ながら、あなた方の計画はここまでです。バッハシュタイン閣下が我が王に交渉し、当面はエーデルシュタイン王国を属国として従属させる案を承諾させたご手腕はお見事でしたが……戦に関しては、期待外れでしたね」


 ツェツィーリアの言葉を受けて、エルンストとコンラートは顔を見合わせる。エルンストが首を横に振ると、コンラートは無念そうに目を伏せた。

 そして、エルンストはツェツィーリアを睨みつけるように見据える。


「卿らが去るというのであれば致し方ない。我々には卿らを押し止めて言うことを聞かせる力など無いのだからな」

「ご理解をいただけて幸いです。ちなみに、あなた方お二人だけであれば、我が国への亡命を受け入れることもできるかと思いますが、いかがですか? いずれ我が王がエーデルシュタイン王国に勝利した後、コンラート王子殿下は我が王の名代を務める総督として、バッハシュタイン閣下はその補佐役としてこの地に舞い戻ることも叶うでしょう」


 ツェツィーリアが試すような表情で提案すると、二人はまた顔を見合わせる。そして今度はコンラートが口を開く。


「ありがたい申し出だが、承諾しかねる」

「……ですが、このまま残ればあなた方には死が待っているのでは?」


 コンラートの言葉を聞いたツェツィーリアは、わざとらしく片眉を上げて首を傾げる。


「ああ、卿の言う通りだろう。だが、失敗すれば死ぬことは承知の上で、我々はこれだけの行動に踏み切ったのだ。私が欲しかったのはエーデルシュタインの王位そのものであり、単なる富や権力ではない。この国が滅びてアレリア王国の一地方となった後に、ただ行政を司る者として舞い戻っても何の意味もないのだ」

「そして私は、バッハシュタイン公爵家の当主だ。己の決断で家を挙げて王家に反旗を翻し、家臣たちはもちろん領軍や民までをも巻き込んだ以上、それらを捨て置いて私だけ逃げ去るわけにはいかない。敗北する以上、当主として行いの責任はとる……それに、私が命惜しさに逃げ去れば、私の思想そのものが汚れてしまう。ルーテシア人の誇りのために立ち上がったからには、私は最期まで誇り高きルーテシア人であらねばならない」


 コンラートに続いてエルンストも語ると、それを聞いたツェツィーリアの表情に、僅かに優しさが含まれる。


「畏れながら、お二人とも見上げた度胸ですね……分かりました。それでは残念ながら、ここでお別れです」


 ツェツィーリアが手を差し出すと、二人は少し呆気にとられた表情を見せた後、応じる。コンラートとエルンストが、それぞれ彼女と握手を交わす。


「では、セレスタン。全軍に退却準備を命じてくれ。天幕を片付け、荷物をまとめ――そしてこの都市に集積された物資を全て頂戴するようにと」

「了解いたしました」


 ツェツィーリアが傍らに控える騎士セレスタンに命じると、その言葉にコンラートとエルンストは目を見開いて驚愕する。


「何だって!?」

「どういうことだ!」


 コンラートの裏返った声とエルンストの怒声を浴びても、ツェツィーリアは怯まない。余裕を感じさせる笑みで、二人を振り返る。


「目の前にいただけるものがあるのでしたら、いただかない選択肢はないでしょう」

「だが、集積した物資は王都への進軍に際して消費するためのものだ。アレリア本国へと撤退する卿らに渡す筋合いはない!」

「仰いたいことは分かりますが……こちらも、二千五百もの兵を動員するのに相応の費用を要しているんです。本来であれば今後さらに兵力を投入するために本国で準備をさせている部隊や、手薄になったノヴァキア国境の守りを固めるために急きょ招集した傭兵と徴集兵にもかなりの維持費がかかっています。民の血税から集めた国家予算を投じている以上、回収できる分は少しでも回収しなければなりません」


 そこで言葉を切り、ツェツィーリアはこの上なく穏やかで親しみやすい笑顔を見せる。


「それが受け入れ難いということであれば、抵抗なさいますか? 残り三百に満たない公爵領軍をもって我々に挑むというのであれば、あなた方の自由です。どうぞ挑戦なさってください」

「「……」」


 コンラートとエルンストには返すべき言葉がなかった。アレリア王国の軍勢が何をしようと、止める術はないと二人とも頭では理解していた。


「ああ、良いことを思いついた。セレスタン、バッハシュタイン公爵家の城からも、金目のものを運び出してくれ。公爵家は十中八九、取り潰しになるだろう。彼らにはもはや財産など不要。エーデルシュタイン王家に接収されるくらいなら、我が軍がもらい受けた方がいい」

「それは良いお考えです、閣下。城へと置いている部隊に直ちに命じ、増援も送り込みましょう……ところで、私からもひとつ進言を」

「なんだ? ぜひ聞かせてくれ」

「エーデルシュタイン王家へとさらなる打撃を与えるため、公爵領内の農地を焼けるだけ焼くのはいかがでしょう。撤退準備や物資の接収に多くの兵を割くため、回せる人材は限られますが」

「それは素晴らしい考えだな。今は秋植えの麦が実っている時期だ。きっとよく燃えるだろう。王家の食料庫でもある公爵領の農地を焼けば、最小限の人手で最大限の損害を与えられる。実行に移してくれ」

「かしこまりました、閣下」


 狼狽えるコンラートと唖然とするエルンストの前で、ツェツィーリアたちは話を進めていく。


「それではコンラート王子殿下、バッハシュタイン公爵閣下。我々は仕事があります故、この場は失礼いたします」


 ツェツィーリアは優雅に一礼し、騎士セレスタンを連れて去る。

 その背中を睨みながらエルンストは思わず腰に帯びた剣に手を触れるが、ツェツィーリアを囲む護衛の騎士たちが対抗する素振りを見せると、諦めたように剣の柄から手を離した。


「エルンスト……」

「……申し訳ございません、殿下。私は殿下に王位を献上することができませんでした」


 悔しさを滲ませながら、エルンストは唸るように言う。

 それに対し、コンラートは穏やかな微笑を浮かべて首を横に振った。


「謝る必要はない。君はよくやってくれた。私は……私は君に感謝している」


 それを聞いたエルンストは、顔を上げて視線をコンラートに向ける。


「何らの挑戦をせずに人生を終えるより、己の野望のために挑戦した結果、失敗して人生を終える方がいい。私はそう思っている。君がいなければ、私は挑戦することさえできなかった。ありがとう、エルンスト」

「……勿体なき御言葉です、殿下」


 静かに一礼したエルンストの肩に、コンラートは手を置く。


「君は公爵家の当主だ。身辺整理には何かと時間がかかるだろう。それを済ませたら……共に降伏しよう。我が姉の軍勢に」

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