第60話 公爵領軍殲滅戦②

「き、騎士が来た!」

「どうすんだよ!」

「落ち着け! 障害物を投げろ! クロスボウを取れ!」


 森の陰から姿を現した騎兵部隊を前に兵士たちが狼狽える中で、捕虜回収部隊の隊長である騎士が命令を下した。

 捕虜回収のための荷馬車に積まれていた、騎乗突撃を防ぐための障害物。木の杭を数本束ねて自立するようにした、開発者の名前をとって「フェリクスの針鼠」と呼ばれている代物。

 捕虜が積まれるのと入れ替わりで荷台から降ろされていたそれらが、敵騎兵部隊の迫りくる南側へと投げられる。さして多くないが、それでも騎乗突撃に対して多少の防御効果を見込める数がばら撒かれる。

 さらに、同じく荷馬車に積まれていたクロスボウも持ち出される。こちらも総数は三十足らずと大した数ではないが、それでも騎士の天敵であるクロスボウがあるだけで、状況はいくらかましと言える。


「矢を番えろ! 早く! ほら、構えて狙え……放てぇ!」


 正面に並んだフェリクスの針鼠に突っ込むことを嫌い、それを避けるように左右に分かれた敵騎兵部隊に対し、大慌てで行われたクロスボウの斉射。倒れた騎士は先頭にいたわずか数騎だが、それでも先頭が倒れたことで突撃の勢いは多少削がれる。

 結果、フェルディナント連隊は当初の想定ほどの破壊力を出せず、公爵領軍の捕虜の中に突っ込むこととなった。一気呵成に突撃し、公爵領軍をひと息に壊滅させるには至らない。

 それでも、ろくな武器も持たず隊列も整えていない捕虜たちにとって、騎兵による蹂躙は恐怖だった。


「くそっ! まだ残っている捕虜が!」

「もう潮時です! このままじゃ全滅しちまう! ここらで撤退――」


 フランツィスカを制止しようとしていた捕虜回収部隊の隊長が、そこで言葉を止める。言葉を発するための頭を失う。

 後ろを通過しながら剣を振るったフェルディナント連隊の騎士によって頭を斬り飛ばされ、その首元からは血が噴水のように噴き出す。


「ちっ……撤退するぞ! 荷馬車を出せ! 走れる者は自分の足で逃げろ!」


 隊長が戦死したとなれば、指揮を引き継ぐべきは立場的に自分だろう。そう判断したフランツィスカは、死んだ隊長の意思を汲んで苦渋の決断を下す。

 解放できた捕虜は八割ほど。残る二割は置いていくしかない。

 ふと北側を見ると、護衛部隊の陣形に綻びが生じていた。数でも練度でも差がある以上、いつまでも敵と拮抗することはできない。


・・・・・・


「騎乗突撃でも完全崩壊しないとは、しぶといですな」

「フェリクスの針鼠を持ち出すとは。考えたものだ」


 また、マティアスはグレゴールと言葉を交わす。

 エルザス回廊、そしてノヴァキア王国との国境を守り、王領へと続く街道を防衛する務めを負うバッハシュタイン公爵領軍は、フェリクスの針鼠を一定数、常備することになっている。

 とはいえ、それが決まったのはもう数十年も前の話。久しく領内が戦場となっていないバッハシュタイン公爵領で、すぐに持ち出せる状態のフェリクスの針鼠があれだけの数保管されていたというのはなかなか驚くべきことだった。

 王位簒奪の進軍で利用するために準備したのではないだろう。単純に、領主であるバッハシュタイン公爵の几帳面さ故の結果か。マティアスはそう考える。


「後方より敵襲! 騎兵二十!」


 そのとき。周囲を見張っていた本陣直衛の騎士の一人が言った。

 マティアスたちが振り返ると、本陣の置かれている森の陰へと、森を迂回して南から回り込むようにして、公爵領軍と思われる騎士の群れが迫っていた。


「グレゴール、殲滅しろ」

「はっ! 者共、迎え撃つぞ! 抜かるなよ!」


 マティアスの傍を離れたグレゴールが命じ、それに本陣直衛の騎士数騎と、このような事態を想定して置かれていた歩兵五十人ほどが動く。


「フリードリヒ。お前はここに残り、推移を見守れ。将は最後まで動かないものだ」

「……はい、閣下」


 フリードリヒはそう答え、敵の迎撃に回るユーリカと一瞬だけ視線を交わし、離れた。


「閣下。バッハシュタイン公爵は、この戦場へ到達する前に騎兵部隊に別行動をとらせ、こちらの背後に回していたということでしょうか?」

「ああ。最初からこちらの本陣を狙うために、おそらくはレムシャイトを発った時点で本隊とは別に動かしていたということだ……これはすなわち、我々が本陣を置く場所を正確に予想していたということになる。さすがはバッハシュタイン公爵だ」


 フリードリヒが尋ねると、マティアスは頷く。


「しかし、それも閣下の予想のうちだったと」

「そうだ。私が彼の立場ならば、敵将――すなわち私を討って逆転を狙う。バッハシュタイン公爵は有能な御方。だからこそ、私の予想通りに動いてくれた。推測を外して妙なところに奇襲部隊を送らず、正確にこの本陣に差し向けてくれたことも、かえって助かる」

「信用できる敵、というものですか」

「そうだ。以前に教えたな」

「はい、閣下」


 戦争は水物である。優秀な将が軍学の常道に則って軍勢を指揮していても、戦を知らない敵将が支離滅裂な指揮をした結果、両者にとって予想外のことが起こり得る。そうなると優秀な将の軍勢に本来出なかったはずの大損害が出たり、最悪の場合まさかの敗北を喫したりする。

 その点、敵将が理屈に合った動きをしてくれるというのは、戦うこちら側としてもかえってやりやすい。

 バッハシュタイン公爵は敵将を直接仕留めて不利を覆すという、妥当な策に出た。こちらの本陣の位置も読み誤らなかった。おかげでこちらは戦況を変に乱されることなく、事前に備えていた通りに敵の奇襲を迎え撃つことができる。


「構え! ……放て!」


 後方でグレゴールの声が聞こえる。フリードリヒが振り返ると、歩兵のうち三十人がクロスボウを敵に向けて斉射していた。

 敵がこの本陣を狙うとしたら、数の少ない貴重な騎士を集中的に投入してくる。そう考えていたマティアスの命令で、歩兵の装備の半数以上はクロスボウとなっている。

 騎兵対策でクロスボウを持ち出す、という点では敵の捕虜回収部隊がやったことと同じだが、捕虜の解放と陣形南側の防衛という二つの役割を負わされたために満足な対処ができなかった敵と、最初からクロスボウを装備して敵の奇襲を待ち構えていたこちらでは状況が違う。

 落ち着いて敵を狙ったクロスボウの斉射によって、敵騎士の実に半数近くが戦闘不能に陥る。矢を受けて落馬し、あるいは馬が矢を食らったためにその馬ごと倒れる。

 残る十騎ほどの敵に対して、今度は本陣直衛の騎士たちが立ち向かう。


「一騎でも多く仕留めろ! 閣下に敵を近づけるな!」


 グレゴールが吠えながら剣を振るい、すれ違いざまに敵騎士の一人を叩き斬る。

 その近くではユーリカが、敵騎士の剣先を巧みに躱し、自身の剣で敵騎士の横腹を切り裂く。斬られた敵騎士は内臓を零しながら落馬する。訓練を重ねたユーリカは、今や騎乗戦闘においてもかなりの技量を誇っている。

 その他の騎士たちも、実力を遺憾なく発揮する。本陣直衛は器用な騎士が選別され、配置されている。馬上で巧みに得物を振るう彼らによって、一騎また一騎と敵が討たれる。

 生き残っている敵騎士たちは防衛線の強行突破を試みるが、槍を構えた二十人の歩兵がそれを阻む。

 戦場を大きく回り込んできて馬が疲労している上に、技量でも装備の質でも王国軍には及ばない公爵領軍騎士たち。槍衾を前に攻めあぐね、後方から迫ってきたグレゴールたちに殲滅される。


「でやあああああっ!」


 完璧に思われた包囲網を、意地で突破してみせる敵の騎士が一人いた。

 自身の馬を犠牲に槍衾を強行突破し、その際の負傷で左腕が使い物にならなくなり、落馬の衝撃で兜が脱げながらも、残る右手で剣を構えてマティアスに迫る者がいた。


「下がっていろ、フリードリヒ」


 マティアスはそう言って自ら剣を抜き、鬼気迫る敵騎士に対峙する。フリードリヒと、医者や聖職者や鷹使いなど本陣の非戦闘員たち全員を守るように立ちはだかる。


「ホーゼンフェルト伯爵! 覚悟ぉ!」


 初老に見える敵騎士は雄叫びを上げ、マティアスに斬りかかる。片腕しか使えないにしては、その剣筋はかなり鋭い。

 しかし、それでもマティアスの敵ではない。二度ほど斬り結んだ後、マティアスは初老の敵騎士をあっさりと斬り伏せた。


「騎士エグモント殿だな。当代バッハシュタイン公爵の従兄にあたる人物だ」

「……ということは」

「ああ、捕虜の指揮官、騎士フランツィスカの父親だ。娘を救うため、自ら危険な別動隊の指揮を務めていたのだろう」


 そう言って、マティアスは初老の騎士の亡骸に目礼する。フリードリヒもそれに倣う。

 敵であろうと、勇ましき健闘には敬意を払わなければならない。人を殺す軍人が、人の心を保ち続けるためにも。

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