第二章 罪には等しく罰が伴う

第38話 新しい立場

 話はフリードリヒがマティアスの養子となった直後、王城での報告を終え、マティアスとともにホーゼンフェルト伯爵家の屋敷へと帰宅した時点まで遡る。

 屋敷の主マティアスの帰り。それを、家令のドーリスが出迎える。彼女の隣には、今回も留守番をしていたユーリカも並んでいた。


「お帰りなさいませ、旦那様。お疲れさまでございました」

「ああ。出迎えご苦労……フリードリヒだが、クラウディア王太女殿下に証人となっていただき、王家より了承を賜った上で正式に私の養子となった。今後はそのつもりで頼む」


 マティアスが言うと、ドーリスは表情をほころばせる。


「まあまあまあ、それは大変めでたく存じますわ。それでは……フリードリヒ坊ちゃまも、お帰りなさいませ」

「……坊ちゃま?」


 ドーリスから恭しく頭を下げられたフリードリヒは、きょとんとした表情で呟く。


「ええ、そうですよ。旦那様のご子息になられたということは、あなた様は今日からこのお屋敷の坊ちゃまです。私たち従士や使用人にとっては、お仕えすべきお方の一人ですよ。もう『フリードリヒくん』なんて呼べませんわ」


 正面玄関の扉を閉めながら、ドーリスはそう語る。


「……」

「慣れろ。私の養子になるとはこういうことだ」


 少し困惑した表情をフリードリヒが向けると、マティアスは微苦笑しながら言った。


「屋敷内だけではない。これから軍内でも、王国社会でも、お前の扱いは変わっていくだろう」

「……はい、閣下」


 まだ困惑の表情は収まらないまま、フリードリヒは頷いた。

 養子に迎えるというマティアスの打診をフリードリヒが受け入れた後も、二人の距離感は変わっていない。自家の家紋を身につけたフリードリヒに亡き息子の姿を重ねているのか、マティアスが時おり普段より優しげな顔を見せることもあるが、それだけに留まっている。

 マティアスは息子として可愛がるためではなく、家の跡継ぎとして、英雄の後継者として育てるために自分を養子に迎えたのだと、フリードリヒはそう理解している。

 マティアスとは廊下で分かれ、フリードリヒは自室に向かう。その横に並んだユーリカが、フリードリヒの腕を抱きながら笑いかけてくる。


「フリードリヒ。私も坊ちゃまって呼ぼっか? じゃなかった、お呼びしましょうかぁ?」

「いや、ユーリカは今まで通りでいてよ。公の場では仕方ないときもあるだろうけど、普段はそのままでいて」


 冗談めかして尋ねる彼女に、フリードリヒは苦笑交じりに答えた。


「っていうか……ユーリカもいずれホーゼンフェルトを名乗るんだよ。ユーリカが僕と結婚して、僕が閣下から家督を継いだら、君はホーゼンフェルト伯爵夫人になるんだから」


 フリードリヒは大真面目な口調で言う。

 養子に迎えられるとき、マティアスはユーリカとの関係を変えなくていいと言った。

 ホーゼンフェルト家は、五代前の当主――現代と比べても随分と血なまぐさかった時代に、傭兵から成り上がった初代当主が興した貴族家。当時は男爵家だったが、初代当主が短期間のうちに功績を重ねて伯爵家にまでなった家。

 そのような出自や、代々に純粋な武門としての役割が求められてきたこともあり、建国当初から存在するような伝統的な貴族家や「近所付き合い」を重要視する領主貴族家と比べると、貴族社会のしがらみからは遠い。その気になれば名家の子女を嫁や婿として迎えることもできるが、迎えない選択をとることもできる。英雄マティアスの威光があれば尚更に自由が利く。

 なのでフリードリヒは、養父の威光を遠慮なく借り、少なくとも自分の代では貴族社会のしがらみにとらわれず、幼馴染のユーリカを妻に迎えると決めている。家督を継いだ後に周囲に舐められないためには、自分自身が相応の功績を挙げなければならないと覚悟の上で。

 まだ十九歳。貴族の結婚は平民よりも遅めであることも考慮し、少なくとも向こう数年は軍と貴族社会で修業を積んで実績を重ね、名実ともにホーゼンフェルト伯爵家の継嗣として認められた上でユーリカと結婚する。そう考え、ユーリカ本人からも養父マティアスからも同意を得ている。


「だから、ユーリカもそのうち奥様って呼ばれるつもりで……どうしたの?」


 フリードリヒは小さく片眉を上げて尋ねる。

 ユーリカはにまにまと締まらない笑顔になりながら、頬を赤く染めていた。


「ホーゼンフェルト伯爵夫人って……奥様って……いい響きだねぇ」


 そう言いながら、フリードリヒの腕を一層強く抱く。にまにまと笑ったまま、フリードリヒの顔に頬ずりしてくる。

 密着されて歩くのに少々難儀しながら、フリードリヒは彼女に笑いかける。


「その良い響きの呼び方が、どっちもユーリカのものになるんだよ」

「ふふふっ、最高。今から想像するだけでぞくぞくしちゃう」


 二人はそんなことを話しながら歩き、そして二人ともフリードリヒの部屋に入った。


・・・・・・


 侵攻の出鼻をくじかれたアレリア王国の動きが止まっているこの機を利用し、フェルディナント連隊には王家より数週間の休暇が与えられた。騎士も兵士も、それぞれ家族と過ごすため、自宅や実家に帰った。フリードリヒの戦友となったオリヴァーも、実家である王国東部ファルケ子爵領に帰っている。

 王都の屋敷が実家となったフリードリヒには、帰省の必要はない。ボルガを発ってから一年も経っていない今は、まだ顔を見せに帰ることはしない。フリードリヒもユーリカもまだまだ修行中の身であり、往復およそ二週間もかけて故郷に帰り、懐かしさに浸るのは早すぎる。

 マティアスからそう言われ、フリードリヒたち自身もそう考えている。なので、アルマをはじめとした教会の皆には、近況を綴った手紙を送るだけに留めた。

 今は帰省よりも、休暇期間を利用してもっと心身を鍛え、多くを学ぶべき。才覚や戦功はともかく、経験値という面では二人ともまだまだ不足。特にフリードリヒは、ホーゼンフェルト伯爵家の継嗣となったことを考えるとあらゆる点で未熟。

 これから数週間は、先の冬までのような努力の日々がまた始まる。

 教官役は、やはり従士長グレゴール。妻とまだ幼い息子と共に王都で暮らし、実家も王都にあるため、彼もまた長期の帰省をする必要はない。


「おはようございます、若様」


 フリードリヒが正式にマティアスの養子となった翌朝。屋敷の裏庭で、木剣を手にフリードリヒたちを出迎えたグレゴールの第一声はそれだった。


「……若様」

「はっ。我が主ホーゼンフェルト伯爵閣下の養子となられた御身、若様とお呼びして敬意を表すのは当然のことにございます」


 フリードリヒが目を丸くしながら呟くと、グレゴールは生真面目な表情で頷く。

 理屈は彼の言う通りだと、フリードリヒにも分かる。しかし、やはりというか、今までは厳しい上官であった彼から若様と呼ばれ、敬語を使われるとものすごく違和感があった。


「もちろん、教官の任については今までと変わらず務めさせていただきます。若様を甘やかし、ぬるい鍛錬を施すことはあり得ません。若様を敬い、若様の御為を思っているからこそ」


 生真面目な表情を一切崩さず語るグレゴールを前に、フリードリヒは安堵の微笑を浮かべる。口調は変わっても中身は変わらず厳しい従士長だと分かり、かえって落ち着く。


「分かりま、分かっ……あの、それじゃあ僕はどう話せばいい? ……ですか?」

「私の名は呼び捨て、敬語は排していただいて構いません。いえ、むしろそうしていただかなければ私の従士長としての立場がございません……もしやりづらさを覚えられるのであれば、私を目下の者として扱っても違和感がないほどにご成長いただきたく」


 混乱し、敬語慣れしていない頃のユーリカのような言葉遣いになったフリードリヒに、グレゴールはそう答えた。


「従士長、私は?」

「お前は何も変わらん。分かりきったことを聞くな、馬鹿が」


 フリードリヒの隣でユーリカが小首を傾げながら尋ねると、グレゴールは即座にそう返す。


「若様と結婚してホーゼンフェルト伯爵家に入らない限り、お前はただの従士だ。それも一番新米のな。新米の分際で主家の継嗣の最も近くにお仕えするというのだから、それにふさわしい力が身につくよう、今まで以上に厳しく鍛えてやる」

「はぁい。頑張ります」


 グレゴールの返答は予想通りだったようで、ユーリカは飄々とした態度で言った。


「それでは若様。本日の鍛錬を始めましょう。まずは帯剣しての走り込みを」

「……分かった。よろしく頼むよ」


 そう答えたフリードリヒに、グレゴールが木剣を手渡す。

 今までは、裏庭の隅に置かれた木剣を自分でとらなければならなかった。それ以前に、屋内から木剣を運んでくるのも自分たちの仕事だった。

 それが今日は、事前に木剣を運び出してくれたグレゴールから、こうして手渡される。こんな些細なことからも、自分の立場の変化を実感する。


「……」


 フリードリヒは顔がにやけそうになるのをこらえる。

 この扱いは養父マティアスと、ホーゼンフェルト伯爵家の威光あってのもの。そう分かってはいても、あのグレゴールから敬語を使われ、丁重に扱われるというのは悪い気はしない。正直に言うと、少し気分がいい。

 この扱いに見合う務めは果たすつもりなのだ。内心で楽しむくらいなら、ささやかな役得として許されるだろう。そう思いながら、フリードリヒは木剣を腰に下げての走り込みを始める。


・・・・・・


 甘やかし、ぬるい鍛錬を施すことはあり得ない。グレゴールはその宣言をしっかりと実行した。むしろ今までよりも厳しいのではないかと思える鍛錬を施してくれた。

 軍務中は余計な体力を消費しないことも仕事のうちであるため、意外と動かない。夕方近くまでみっちりと続いた鍛錬は、体力的には先の北方平原での軍務よりも過酷で、終了を宣言されると同時にフリードリヒは地面に倒れ込んだ。

 その隣ではフリードリヒ以上に厳しく鍛えられたユーリカが、倒れはしないものの、汗だくで座り込んでいた。


「……」

「この程度で倒れ込んでいるようでは、畏れながら若様もまだまだですな」


 グレゴールがそう言いながら差し出してきた水とタオルを、フリードリヒは根性で起き上がって受け取る。声を発する余裕はなく、ぜえぜえと荒い息をしながら頭を下げて感謝を伝える。

 私は? という顔を向けるユーリカには何も差し出さず、無視を決め込みながらグレゴールは離れる。不満げに頬を膨らませるユーリカに、フリードリヒは革袋に入った水を分けてやる。


「……なんていうか、懐かしいね」


 夏らしくなった空気の中で、風に深紅の髪を撫でられながらフリードリヒは呟く。

 こうして屋敷の裏庭で汗をかきながら夕方を迎えていると、数か月前の鍛錬づけの日々が思い出される。

 そう、数か月前。あれからまだ数か月しか経っていない。それなのに随分と変わってしまった。自分の立場も、運命も。

 感慨も諦念も決意も、様々な思いを複雑に混ぜ合わせて抱きながら、フリードリヒは微苦笑を浮かべる。それに、ユーリカは口をニッと開けて笑みを返してくれた。




★★★★★★★


昨日は一章完結と書籍化決定のお知らせに際し、多くの労いやお祝いの言葉をいただきました。本当にありがとうございます。


引き続き、『フリードリヒの戦場』をどうかよろしくお願いいたします。

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