第26話 進軍

 フリードリヒが王太女クラウディア・エーデルシュタインに初めて拝謁した数日後、フェルディナント連隊に北方平原への出撃命令が下されたと、全隊に伝達がなされた。

 出撃を命じられてからは、連隊の行動は早かった。平時より迅速な出撃のために訓練を積んでいる騎士と兵士たちは一週間足らずで準備を終え、王都ザンクト・ヴァルトルーデを発った。

 フリードリヒにとってはこれが軍人としての初陣だが、マティアスに命じられるままに出撃準備に奔走し、緊張を覚える暇もなかった。

 例のごとく歩兵部隊と弓兵部隊が先に発ち、騎兵部隊と連隊本部は少し遅れての出発。それぞれの部隊には輸送部隊も随行している。

 かさばる装備や物資は輸送部隊の荷馬車に預けてある上に、西へと続く街道沿いには補給拠点が一定間隔で作られている。そうした支援のおかげで、行軍速度は速い。

 とはいえ、丸一日馬の背に揺られ、よく整備された街道を進むのにさして気を張る必要もなく、単調で退屈な時間が続く。いよいよ戦場へと向かっている道中、馬上で暇を得たフリードリヒの内心には、初陣への緊張が今さらじわじわと湧いてくる。


「行軍のときからそんな顔をしていたら後がもたないぞ、フリードリヒ」

「……そうだね。分かってはいるんだけど」


 連隊本部の隊列最後方を進んでいたフリードリヒは、騎兵部隊の最先頭にいるオリヴァーから声をかけられ、苦笑いしながら答える。


「ふふふっ、私が守ってあげるから大丈夫って言ってるんだけどねぇ」

「ユーリカほどの実力者が直々に護衛につくのにその緊張ぶりか。なんとも贅沢だな」


 フリードリヒの横に馬を並べているユーリカがニッと笑いながら言うと、オリヴァーは冗談交じりに返した。

 二人とも、軽口で自分の緊張を和らげようとしてくれている。そう理解はしながらも、フリードリヒの表情はやはり少し硬い。

 何者かになりたいという意志はある。王国軍人になったのだから使命を果たしたいとも思うし、自分を見込んで従士に取り立て、騎士として叙任までしてくれたマティアスに応えたいという気持ちもある。

 しかし、それらの思いとは別で、戦いへの緊張と恐怖はやはり湧き起こる。死を恐れる感情まで忘れ去れるほどには、まだ肝は据わっていない。

 行軍中は考えごとをする時間が無限にあるのも良くなかった。故郷ボルガで盗賊に立ち向かったときは、戦うと決めてからいざ盗賊が襲来するまでのんびりする時間もなかったので、かえって緊張する余裕もなく戦いに臨むことができた。


「そもそも、敵が北方平原にやって来ると決まったわけでもないぞ。ベイラル平原の方に現れて、睨み合いだけをして終わる可能性もある」


 敵の進軍状況を把握するのは意外と難しい。敵国の領土内で兵の集結や出撃準備が行われていることは間諜や商人などから情報がもたらされ、国境の要所に敵軍が迫ってくれば哨戒や斥候によって察知できるとしても、その間については収集できる情報が限られる。

 斥候は有用な存在だが、本隊から離れられる距離や報告までの時間差、人数、稼働時間などの制限も大きい。斥候を過剰に頼ってはならず、戦場で全てを見通そうとすれば逆に何も見えなくなると、フリードリヒはマティアスから教えられていた。

 今回に関しては、敵軍がどこへ迫るかはまだ未定。集結の位置からしてベイラル平原か北方平原のどちらかまでは絞れるが、そこまで。フェルディナント連隊の出撃は、徒労に終わる可能性もある。それに越したことはないが。


「確かにそうなんだけど……だけど、個人的には敵は北方平原に来ると思う」

「……ホーゼンフェルト閣下から何か聞いているのか?」


 オリヴァーの問いかけに、フリードリヒは首を横に振った。


「いや、僕も敵がどちらかの平原に来るとしか聞いてないよ。だけど、僕がアレリア王なら北方平原を攻めさせるだろうなと思って」


 アレリア王国はミュレー王国を二年前に征服した。次に征服しやすい位置にあるのは、かの国から見て北東のノヴァキア王国と、東のエーデルシュタイン王国。野心家のアレリア王ならば、そろそろ新たな侵攻に本腰を入れ、緒戦に臨んでくる可能性も高い。

 政治的な事情も判断材料になる。総人口二百五十万にまで膨れ上がったアレリア王国は、ノヴァキア王国とエーデルシュタイン王国を征服してしまえば、国力はともかく単純な人口ではいよいよリガルド帝国と並ぶことができる。

 北には大山脈、西や南には海。ただちに脅威となる存在はなくなり、帝国と真正面から睨み合うことさえ可能になる。

 ぐずぐずしていると、帝国の方が友邦であるノヴァキア王国やエーデルシュタイン王国へさらに接近しかねない。今こそが攻めるべきときだと、アレリア王国の視点では言える。


「――って考えたんだけど」


 フリードリヒが語り終えて振り返ると、オリヴァーは驚いた表情をしていた。


「……今までも会話の端々からお前が賢いことは伝わってきたが、閣下がお前を取り立てた真の理由が今分かった気がするぞ。お前はただ賢いだけでなく、俺たちのような一介の士官や兵士にはない視座を持っているのだな」

「そうだよぉ。だからフリードリヒは凄いんだよ?」


 オリヴァーの言葉に、ユーリカが自分のことのように誇らしげな顔をした。


「買い被りすぎだよ。僕はそんな大した人間じゃない」


 そう言いながらも、フリードリヒはまんざらでもなさそうな笑みを浮かべていた。


・・・・・・


 北方平原でアレリア王国と国境を接しているのは、ブライトクロイツ伯爵領という名の貴族領。フェルディナント連隊の各部隊はその領都近郊で集結し、当座の野営地を置いた。

 それから数日をかけて、北方平原に領地が近い各貴族領の領軍も合流した。その数は総勢で三百ほど。なかにはフリードリヒとユーリカにとって馴染み深い、ドーフェン子爵領軍の姿もあった。昨年に十人もの兵力を失ったため、派遣されてきたのはごく小規模だったが。

 参戦予定の貴族領軍が、全て集結した翌日の午後。司令部として立てられた大天幕の中に、連隊の各大隊長と副大隊長、各貴族領軍の指揮官が集まっていた。


「各貴族領軍の合流をもって、北方平原における我らの兵力は千三百にまで増えた。諸卿の助力に対し、国王陛下と王太女殿下に代わって感謝する」


 マティアスは貴族領軍の指揮官たちを見回しながらそう言った。

 貴族領軍の指揮官は、貴族家の当主本人、あるいはその子弟。誇り高き王国貴族である彼らの士気は高いが、領軍そのものの質は王国軍より数段落ちる。

 その背景には王国の歴史がある。

 当代国王ジギスムントの祖父にあたる、第十代国王フェルディナント・エーデルシュタイン。時代の流れに合わせて王権の強化を目指した彼は、領主貴族たちに対し、軍役を大幅に縮小して国境防衛の重い負担から解放する代わりに一定額の上納金を収めさせる案を提示した。

 当時は隣国であるリガルド帝国、ロワール王国、ノヴァキア王国それぞれと穏やかな関係を築いていた平和な時代であり、軍人としてよりも為政者としての気質が重視されて久しかった領主貴族たちは、フェルディナントの提案を受け入れた。

 その後十年ほどをかけて、貴族領軍は治安維持要員と予備軍を兼ねた準軍事組織にまで縮小。一方で、それまで二千人に満たなかったエーデルシュタイン王国軍は、各領主貴族家からの上納金を予算として規模をおよそ二倍に拡大した。各貴族領軍から騎士や兵士が流れてきたことで、人員の確保もなされた。

 この偉大な功績を理由に、第三連隊にはフェルディナントの名が付けられている。


「アレリア王国側の兵力は、王国軍の一個連隊に貴族領軍を加えた千二百ほど。ロワール地方首都トルーズにて集結し、北方平原へと進軍を開始する様が間諜によって確認されたそうだ。こちらが出した斥候も、千百ほどの軍勢が平原の西側に来ているのを確認している。減っている百は、平原の南にある山道を塞ぐための別動隊だろう。後ほど、こちらからも山道を守る別動隊を出す」


 マティアスの状況説明を、一同は静かに聞く。好戦的な表情の者もいれば、緊張した様子の者もいれば、無表情を保つ者もいる。


「今回は睨み合いだけでなく、本格的な戦闘になると見るべきだ……敵軍の中に、ファルギエール伯爵家の旗が確認されている」


 その言葉を聞いた皆の表情に、驚きが混じる。

 ファルギエール伯爵家は、旧ロワール王国の武門の名家。ロワール王国軍と言えばまず最初にファルギエール伯爵家の名が挙がるほどの存在だった。

 ロワール王国がアレリア王国に征服された後も伯爵家は存続しており、そのままアレリア王国軍に将として迎えられた当代ファルギエール伯爵は、先のミュレー王国征服において大きな戦功を挙げてアレリア王家への忠誠を示したという。

 そのファルギエール伯爵が指揮を担う。このことからも、今回の敵の侵攻がただの小競り合いではないことがいよいよ確定的となる。

 一気に緊張感が高まった天幕の中で、グレゴールと並んでマティアスの後ろに立つフリードリヒは、無表情を堅持する。

 マティアスの後ろに控える新参者の自分に、貴族たちの視線がちらちらと向けられているのはフリードリヒも気づいていた。ここで下手に不安や動揺を示せば、自分が舐められるどころか主人のマティアスまで軽んじられかねない。


「とはいえ、数の上ではほぼ互角。編成も似たようなものだろうが、連隊運用の歴史が深いのは我らエーデルシュタイン王国の方だ。敵の主力は旧ロワール王国軍と推定されるが、所詮は我々に敗北し、アレリア王国にも敗北した弱軍。当代ファルギエール伯爵も、私と比べればまだまだ若輩も良いところだ。どの条件を見ても、こちらが敗ける道理はない」


 マティアスの発言は単なる慢心や楽観によるものではなく、あえて敵を小馬鹿にすることで味方の士気を上げるためのもの。実際に、居並ぶ者たちは皆、威勢よく賛同を示す。天幕の中に勝ち気が満ちる。


「明日にはさらに西へと出発し、決戦はおそらく二、三日後となる。王国領土を守り、国王陛下に勝利を献上しよう」

「「「おう!」」」


 その後は明日以降の行動予定についてより詳細な話し合いがなされ、一同は解散。

 天幕にいるのはマティアスとグレゴール、フリードリヒ。そして残るよう命じられた騎兵部隊副大隊長オリヴァーだけとなった。


「騎士オリヴァー・ファルケ。先ほど私が言った別動隊の件だが、お前に率いてもらいたいと思っている」


 マティアスはオリヴァーを見据え、そう切り出した。

 ユディト山脈の途切れ目のひとつであり、南北の幅は十キロメートルもない北方平原。そこから南に半日と少し進むと、山脈を横断する山道がある。

その辺りの山々は二つの平原に挟まれているためか標高がやや低く、その代わりに全面が深い森に覆われて天然の要害となっている。

 そんな地勢を貫く山道は、東西の長さは徒歩でも二時間もあれば踏破できる程度。足場の悪い斜面に挟まれた隘路で、大軍で通ろうとすれば集結の時点で察知される上に、行軍時は細く長い隊列にならざるを得ず、ろくに身動きをとれないまま出口側で容易に迎え撃たれてしまう。

 そのため、今まで戦場にはなっていない。両国とも定期的に哨戒を行ったり、出入りする商人や旅人を使って敵の侵攻の兆候がないか情報を収集したりするにとどまっている。

 そんな山道だが、北方平原が本格的な会戦の場になるのであれば、別動隊を置いて塞がないわけにはいかない。もし防衛のための兵力をまったく置かなければ、この機に敵側の別動隊に侵入されて王国領土を荒らされかねない。実際、敵側はどうやら小規模な別動隊を割いている。

 そこで、歩兵二個小隊と弓兵一個小隊、騎兵一個小隊の計百人から成る別動隊を、オリヴァーに預けてこの山道に送り込む。マティアスはそう語った。


「両陣営ともに同規模の別動隊を置くとなれば、敵側も無理に突破を試みるとは考え難いが、場合によっては小競り合い程度は発生する可能性もある。本隊の会戦に参加できないことはお前としては遺憾だろうが、ここは信頼のおける者を指揮官に置きたい」


 信頼のおける、という言葉を受けて、オリヴァーは表情をより一層引き締めた。


「お前はいずれ連隊の騎兵大隊長となるであろう立場だ。今回、一隊を率いる経験を積んでもらいたい。任せていいか?」

「無論です。王国軍人として、身命を賭して任務を果たします」


 力強く答えたオリヴァーに、マティアスは頷く。


「期待している。何かあったときの助言役には……フリードリヒをつける」


 急に名を呼ばれたフリードリヒは、一瞬だけ目を泳がせた。


「フリードリヒには私が直々に戦の知恵を教え込んだ。記憶力に関しては凄まじい上に、頭の回転も速いからな。意見を求めれば何かしら答えるだろう」

「……」


 言葉選びは少しばかり大雑把だが、自分のことを高評価してくれているのは間違いないマティアスを、フリードリヒは小さく目を見開きながら横目で見た。

 庇護者である彼と別行動をとるのは正直に言うと不安も感じるが、そのような甘えは内心だけに留め置く。


「明朝の出発時、お前たちは南へ向けて発て。騎兵小隊に関してはオリヴァー、お前の直轄の小隊を連れていけ。歩兵と弓兵はこちらで選別しておく。それとフリードリヒ。当然だが、ユーリカも別動隊の方に付ける。お前から説明しておけ……以上だ。分かったな?」

「「はっ」」


 それから委細についても指示を受け、フリードリヒとオリヴァーは下がるよう命じられた。

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