第6話 告白

「諦めるな!」


 おそらく、人生で一番大きな声を出した。自分で自分の声に驚き、顔を強張らせていると、後を追ってきたユーリカも壇上に飛び乗り、隣に立った。

 大声を出した甲斐あって、ひとまず住民たちの注目を集めることには成功する。皆がこちらを見ていた。

 その視線に気圧されそうになったが、懸命に堪えてまた口を開く。


「……このまま諦めたら、全てを失うことになる。本当にそれでいいのか? 家を焼かれて、妻や娘を犯されて、親や子供を殺されて、男たちも最後には殺される。無念ばかり抱えて死ぬことになる。そんなこと、誰だって受け入れたくないはずだろう!」


 勢いに任せてここに立ったので、頭を懸命に働かせながら言葉を紡ぐ。

 皆を説得するのに失敗すれば、自分もユーリカも死ぬ。だからこそフリードリヒは必死だった。


「それが嫌なら戦おう! 僕たち皆で!」

「だけど、戦うってどうやって……」

「誰が戦い方を考えるんだよ!」


 当然の疑問が、住民たちから投げかけられる。


「僕が考える。僕が指揮する。戦いについては知ってる。書物で――」

「何を生意気言ってんだ!」

「無理に決まってるだろう!」

「そうだ! 孤児上がりの分際で!」


 反論が飛んできて、フリードリヒの言葉は途切れる。

 出自がなんだ。孤児上がりがなんだ。自分たちは戸惑い怯えるばかりだったくせに、よくこちらを馬鹿にできるものだ。感情のままにそう言い返しそうになるが、ぐっとこらえる。

 このような反応が来るのは予想していた。自分が彼らの立場でもきっと同じことを言う。怒鳴り返すのでは駄目だ。それでは状況は変わらない。彼らを説得するのだ。

 皆の怪訝な顔が、不安な顔が、それら数百の顔が自分に向けられている。

 教会の前では司祭やアルマが心配そうにこちらを見ている。広場の端からは、ブルーノたちが皆に混じって「孤児上がりのくせに生意気だぞ!」とヤジを飛ばしている。あの野郎。

 考えろ。考えろ。考えろ。目の前の民衆に説得力を与える方法を。

 ぐっと目を瞑り、思考を全速力でめぐらせる。


「大丈夫。私がついてるよ、フリードリヒ」


 囁くように、こちらにだけ聞こえる声で、ユーリカが言った。

 次の瞬間、フリードリヒは目を開いた。

 多分、この手しかない。そう思いながら背筋を伸ばし、堂々と胸を張った。


「僕は貴族だ!」


 フリードリヒは最初よりももっと大きな声で叫んだ。

 誰も予想していなかった言葉だったのか、広場が静まり返る。


「僕は王都の貴族の私生児だ。正妻の子ではないために、王都から遠いこのボルガの教会に預けられて、表向きは孤児として育てられた。それでも確かに貴族の息子だ。僕には貴族の血が流れているんだ」

「……どこの誰の息子だよ! お前の親は一体誰だって言うんだよ!」

「マティアス・ホーゼンフェルト伯爵」


 ぶつけられた問いに、フリードリヒは即答した。迷うそぶりを見せてはならないと思い、すぐに名前が思い浮かぶ有名な貴族の中でも、この場で出すのに最も都合の良さそうな人物――数週間前にその活躍を書物で読んだ英雄の名を咄嗟に出した。

 語られたその名にざわめきが広がる。この国の人間で、英雄マティアスの名を聞いたことのない者はいない。


「考えてみてくれ。どうして孤児上がりの僕が、これほど巧みに読み書き計算ができる? どうして難しい書物を読める? どうして代官に仕事の手伝いを頼まれるほどに頭が良い? それは貴族の血を引いているからだ。どうして僕が時々領都に足を運んでいたと思う? ただ遊ぶためじゃない。ホーゼンフェルト伯爵家の使者と面会して、近況を伝えるためだ。時には父マティアス・ホーゼンフェルト自身が、僕の顔を見に来てくれていた」


 世襲の王族や貴族が支配するこの国で、血筋は大きな説得力を持つ。王族や貴族が自分たちの上に立って治世を行うのは、彼らに高い教養があるのは、彼らが「頭の良い」一族だからだと単純に考えている平民は多い。学のない者ほどそのように考える。

 フリードリヒが投げかけた疑問の数々。親の名前を問われて即答した迷いなき姿勢。皆から「お前なんかが領都に行って何をするのだ」と言われながらも領都通いを止めなかった真相。そして何より堂々とした語り口に、ボルガの住民たちは聞き入る。


「これは教会でも、司祭様とアルマ先生しか知らない真実だ。赤ん坊だった僕は、街道上に捨てられていたところを拾われて教会に届けられたということになっているけれど、それは嘘だ。本当はホーゼンフェルト伯爵家から内密の依頼を受けた行商人たちの手で、このボルガの教会に預けられたんだ。僕が入っていた籠の中には、僕の出自を証明する手紙が入っていた。ホーゼンフェルト伯爵家の封蝋つきの手紙が」


 淀みなく、自信満々に語るフリードリヒを前に、ボルガの住民たちは説得力を見出す。彼らの表情が変わっていくのを見て、フリードリヒは手応えを覚える。


「本当は決して自分の立場を明かしてはいけないと言われていたけれど、王国の民を救うためならきっと父も許してくださる。僕は英雄マティアス・ホーゼンフェルトの息子だ。彼の血と才覚を継ぐ貴族の子だ。この僕が、ボルガに迫る危機を乗り越える方法を考える。僕に従えば、たとえ百人の盗賊が相手でも生き残れる。何も諦めなくていいんだ。財産も家族も守れるんだ。だから……共に戦おう!」


 フリードリヒは語りきった。

 数瞬の静寂の後、住民の一人が口を開いた。


「ちくしょう! 家族のためだ! やってやるよ!」


 それがきっかけとなった。先ほど悲壮感が伝播したように、今度は熱が伝播する。


「こうなりゃあ一か八かだ! 戦ってやる!」

「このまま諦めてたまるか!」

「そうだ、戦おう!」

「英雄の息子が戦い方を考えてくれるなら大丈夫だ!」

「盗賊なんかに負けるわけがねえ! 返り討ちにしてやる!」

「フリードリヒ! いや、フリードリヒ様! 俺たちを勝たせてください! お願いします!」


 感情の高ぶった民衆は、何かひとつきっかけがあれば一斉に一方向に流される。瞬く間に熱狂が広場を包み、その中心に立つフリードリヒを包む。

 誰もが戦う意思を見せ、フリードリヒに従う意思を見せる。

 力強い声が無数に広場を飛び交い、自分に向けて投げかけられる中で、フリードリヒは思う。彼らは自分の言葉を信じてくれたのだと。

 この異様な興奮状態があってこその結果かもしれない。それでも彼らは、孤児フリードリヒが英雄マティアス・ホーゼンフェルトの私生児であると信じてくれたのだ。

 フリードリヒは傍らのユーリカと微笑み合う。そして空を見上げ、息を吐く。


 嗚呼。


 ものすごい大嘘ついてしまった。

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